竹橋の公文書館の近くにいたので、開催中(~9月16日)の『お札に描かれた人物』を見に行く。
もちろん、今年が紙幣一新の年だからだろう。タイトルはお札画のモデル人物のことだが、お札の印刷の歴史というのがポイントで、さらにこの展覧会の裏読みができるかということだろう。公文書館の展示というのは一見、公文書の展示だが、本当は館員が言いたくても立場上言えないような主張が隠れていることもありなかなか深いこともある。
まず、日本は江戸時代は各藩が地方政府であって中央政府が統一通貨を発行していたわけではない。あえていえば金貨とか米一石の変動価値とかそういうことで経済を統合していた。
明治政府という統一国家になったが、まだ準備ができていなかった。札の前にコインの方は早々と準備していて、当時は首都が大阪になると思われていて、大阪に造幣局がつくられた(今は桜の名所を兼ねているが)。
紙幣はドイツに発注していたようで、最初は、表面が水平(海軍兵士)で裏が恵比寿さまの図案だった。
そして、最初の兌換紙幣が発行されたのが明治18年。1円、5円、10円、100円の四種とも大黒天の図案だった。
このため、間違いやすいということがあり、さらにインクが温泉の硫黄分のある空気に触れると変色したそうだ。さらに紙の中にこんにゃく粉が入っていたため、虫に食われるという事態になる。
そのため明治21年から4年間かけて肖像画を変えていった。菅原道真、武内宿禰、和気清麻呂、藤原鎌足が登場。その後、昭和5年に聖徳太子が百円札の顔になる。そして開戦後敗戦。物価は100倍になる。そのため新紙幣が必要になるが、肖像画の人物に困ってしまう。何しろ、日本国の長はGHQのマッカーサーだ。軍国主義排除ということで、かつての人物は軍国主義者とレッテルが貼られ、17条憲法の父とされる聖徳太子のみ検閲を通過。昭和21年(1946年)に新券となる。
インフレはさらに進み、昭和23年(1948年)には板垣退助が百円札に登場。自由民権運動の志士だ。
しかし歴史が巻き戻され。1951年、登場したのが五百円札の岩倉具視。幕末の公家。岩倉使節団として欧米各地の視察に回った人物だ。GHQが見逃したのだろうか。
調べてみると、1952年のサンフランシスコ条約で日本が独立を取り戻し、GHQは解散したが、1年前の1951年、トルーマン米国大統領はマッカーサーの職を解いている。よく言われているのは朝鮮戦争で原爆を使うように主張したためなのだが、もしかして日本の紙幣に岩倉具視が登場するのを止められなかったからではないだろうか。
気になるのは、本展では二千円札に関する展示はほぼゼロ。源氏物語の一シーンなのだが。
ところで、会場で、お札の作り方のビデオが流されていた。長さは10分弱だが、紙の材料とか原画の作成とか。印刷方法など。
これでは偽札を作る方法を開示しているようなものだが、逆に言えば、同じような方法で偽札をつくることは絶対に無理と思われるので、「これでも偽札作るのか?」と贋札犯に対するメッセージ(挑戦状)なのかもしれない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます