第九にふさわしくない場所

2005-12-14 20:50:17 | 美術館・博物館・工芸品
4c68b7be.jpg最近、咳が強くなり、医者に診てもらうことにした。自宅近くの開業医。なぜか、待合室にはベートーベンの第9が流れる。愛と平和と喜びを高らかに謳った詩人シラーの原作を元に、ベートーベン作曲の最後の交響曲。1824年の初演。既に聴力が不自由なベートーベンと、もう一人の別の指揮者という風変わりな二人指揮で大喝采を得る。

現代日本で12月に第9を聴くのは驚かないが、場所が医院とは・・
本当はシベリウスの第4交響曲のように地獄へ吸い込まれるような恐怖感や、レクイエムのような沈鬱な選曲の方が、職業的にはもうかりそうだが、「生の喜び」をたたえ、自らの正月休みをゆっくり楽しむために、一旦、患者をみんな治してしまおうということなのだろう。

そして、医者との会話は、半分以上が第9の講義になってしまった。詳しい話を聴いた。

最初に日本で第9が演奏されたのは、1918年6月1日ということだ。場所は徳島。ドイツ兵捕虜収容所でのこと。ここで、私が逆にフォロー。第一次大戦の際、誰からも頼まれないのに遼東半島の青島を租借していたドイツを攻撃。ほぼ無抵抗のまま、占領。ドイツ兵と一部の民間人(ほとんどの男子は予備役になっていた)を捕虜として拘束し、日本に連れてきていたのだ。この中に、バウムクーヘンで有名なユーハイム氏やハムソーセージで有名なローマイヤ氏が含まれる。さらに日本が占拠しそのまま使用したビール工場は、現在、世界的規模になった青島ビールとなる。

そして、戦争が終わり、日本にバウムクーヘンとソーセージと第9が残ったのだ。(フォロー終わり)

第9が日本で、特に輝きはじめるのは昭和18年のこと、東京音楽大学(現在の芸大)で、学徒動員で出征する学生を送りだす際に演奏されることになった。ベートーベンだから許可されたのかもしれないが、本来、戦争は、生の喜びの対極だ。

そして、戦後生還した学生たちが集まり、不幸にも銃弾に倒れた学友たちに捧げるレクイエムとして演奏されることになる。話はちょっとずれるが、こういう逸話を聞くたびに思うのだが、日本人は世界の標準から考えると、きわめて偏った感受性を持っている。まあ。それでいいのだが。

その後、第9は高邁な精神から徐々にはずれていくそうだ。早い話が、オーケストラという儲からない職業の越年資金源となる。だから12月公演になるそうだ。新しい年をフレッシュな気持ちで祝うなら1月の方が正しい。12月に年賀状を読むようなものだ。


さて、第9論議に長々と花を咲かせた後、(念のため)マイコプラズマ肺炎検査用の採血を終え、待合室に戻ると、既に次の次の楽章、つまり最終第四楽章が始まっていた。そして約20個の白い眼に見つめられてしまうことになってしまったのだ。

ところで、考えてみると、日本最初の第9が1918年、音楽大学での演奏が昭和18年。そして、来年は平成18年。何がおこるのだろうか?
私は、のほほんとみかんを食べながらのフルトヴェングラーにするのではあるが・・


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