ボストン浮世絵名品展(山種美術館)

2011-03-27 00:00:48 | 美術館・博物館・工芸品
boston1ボストン美術館に眠る日本美術コレクション5万点の中から、特に鳥居清長、喜多川歌麿、東洲斎写楽にフォーカスして全144点が日本国内で巡業中である。東京は、新装なった山種美術館である。恵比寿駅より少し歩く。

実は、山種に行ったのは、大震災の少し前である。たぶん、その後すぐにエントリを立てていたら、少し違うことになっていたかもしれない。江戸時代と言う歴史の箱庭の中にあだ花のように咲き誇り、明治になるや、あっという間に消えていった美術。それを米国人3人(フェノロサ、モース、ピゲロー)が収集し、偶然にも3人ともボストン人であったところから、ボストン美術館が収集することになった。

というように、江戸文化という一つの囲いの中で見ていただろう。

ただ、大震災のあと、世界が驚いた日本人の態度。あんなに首相が毎年交代する国なのに、「日本が一つ」ということを巧まずして演出したわけだ。「大きな一つの社会」と評する記事もあった。日本では、「一流の国民と三流の政府」という表現もあった。個人的には、政府は二流位で、ニセ民間企業が三流なのだろうと感じている(東電、NHK、JR)。本件とは関係ないが日本航空もそうだった。

では、何が日本をまとめているかと言えば、長く続いた文化の流れということだろう。よく考えれば、日本が日本であるのは、ずっと昔からであるわけで、あまりに古い時代は別として、聖徳太子の頃からは、この国が何をしてきたかは、はっきりしているわけだ。政権交代は何度も繰り返したわけだが、政権が変わっただけで国家が変わったわけじゃない。

コトバだって文化だって延々と続いている。ある意味、1945年の終戦だって、これ以上続ければ、国家がなくなるというラインまでやったわけだ。

浮世絵だけじゃなく江戸文化で現在見られなくなったものは多いだろうが、江戸文化という集合体が、次の文明開化につながっていったのだろうと思うわけだ。それに、浮世絵が滅びたかどうかは定かじゃないし、朝青龍なんて、力士絵にしたら、なかなかの作品になっただろうと思うわけだ。



で、清長。何と言っても吉原の図が多い。どうも最初は、吉原遊郭の美人娼婦のコマーシャルだったわけだ。だから、描く女性を現実よりも美化し過ぎている。そのうち、町場の商店の看板娘を描き始めるが、遊郭の女の源氏名は公開してもいいが、商店の看板娘の実名は公開禁止になる。




そして、歌麿。歌麿の描く男女はなんで艶やかな表情なのだろうか、と観察していたら、一つわかったことがあった。多くの人物は、口をわずかに半開きにしているわけだ。何かため息を漏らしているのだろうか、あるいは喘いでいるのか、あるいは何かを喋っているのだろうか。




逆に口を固く閉ざした人物が多いのが写楽。写楽については言うまでもないが、「Who?写楽」ということになる。流星のように登場し、僅かな作品数を残したまま、忽然と姿を消す。日本文化史のかなり大きなミステリである。

ただ、「写楽はどこから来たか?」というよりも、「写楽は、なぜ姿を消したか」ということの方が重要なのではないだろうか。少なくとも、姿を消した時には、写楽の作品は有名だった。ゴッホのように陽が当らないまま失意の怪死を遂げたわけじゃない。「消えた」わけだ。私なら、自分の浮世絵が飛ぶように売れ、懐が温まりだしたと仮定したら、遊び過ぎて自滅(小室流)するかもしれないが、一体、写楽には何が起きたのだろうか。


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