少し怖い鳥取城へ

2016-05-20 00:00:00 | The 城
鳥取といえば「鳥取城」と言いたいが、少し口ごもることがある。1580年に秀吉に包囲されて落城した時に、20日分しか食糧がなく、それでも2ヶ月は耐え忍んでいたが、それ以降は、味方の死人を食べ、埋められた死者を掘り起こして食べ、逃げようとして秀吉軍から撃たれまだ息のある者を食べ、城主の吉川経家が切腹し開城。

せっかく解放されたのに秀吉が用意した炊き立ての粥を大食いし、ほとんどの兵士がショックで亡くなったといわれる。毒を盛ったのかもしれない。

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実際に立地を見ると、険しい山を背に石垣が組まれ、後背地からの攻撃は無理なのだろうが、だから兵糧の補給に困難が生じた。

歴史的いうと、秀吉はこの前に三木城を同じように兵糧攻めにして落としている。さらに鳥取城の次は備中高松城を水攻めにしている。軍師は黒田官兵衛。

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一説には鳥取城は心霊スポットと化し、夜は妖怪が飛び交うといわれている。

実際には、「妖怪注意」ではなく、「熊、猪、蜂注意」となっている。いずれも逃げても追ってくる。強そうに太った熊蜂に頭を狙われ追い回されたが、奇跡の生還を果たす。整髪料にフェロモン系の香料が使われていた可能性があるかもだ。


ところが鳥取城は工事中なのだ。どうも石垣工事を行っているようだが、さらに天守閣を作ろうということらしい。

なんとなくうまく行かないような気がする。さらに、修復中の石垣だが野面積。大きな石だけを重ねて小さな石を詰めていないので、構造的にアブナイ。まだ完成までは遠いのだが、今でも観光地だろうが、何も努力はされていないようにみえる。

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ところで、秀吉が卑怯な戦法を使った相手は、すべて毛利輝元の部下だ。輝元は動かず、見殺し。結局、秀吉亡き後は五大老の筆頭として起用されたのだが、関ヶ原では加勢のタイミングを誤る。しょうがない奴だ。


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