これから貧乏神が活躍する予感、すえずえ(畠中恵著)

2020-09-15 00:00:05 | 書評
しゃばけシリーズの13作目は『すえずえ』。実は、本作の中で、大活躍する妖(あやかし)が、貧乏神。もちろん困った神様で、現代風にいうと経済犯。力が半端じゃない。普段は気に食わない金持ちを破産させるぐらいだが、時には大活躍して街中を大不況にして社会は冷え冷えとした風景に変わる。

今回の自民党総裁選の三頭の出走馬だが、全員が貧乏神ではないかと、感じている。一頭は増税、二頭目はドケチ。三頭目は負け馬感。


さて、『すえずえ』とは、「末々」ということで、主人公の長崎屋一太郎の後々の運命を暗示する一作となっている。いいかえれば、毎年のように続く「しゃばけシリーズ」が、この先、「島耕作シリーズ」のように末永く続くのか、ある時点で「あしたのジョー」のように終わるのか、そういうことでもある。

本作は、短編五作からなっていて、通常なら五作は連作のはずだが、一作目の「栄吉の来年」は、直接に以下の四作にはつながっていないようだが、後で考えると、残り四作の序曲のような関係のように思える。一太郎の親友の栄吉(菓子作りが下手な菓子店の跡取り。他店で修業中)に突然に縁談が舞い込むのだが、お相手の女性の借金がらみの三角関係に巻き込まれていくわけだ。皇室的だ。一太郎は終始傍観者的対応であるのだが、事態は少しずつ糸がほぐれてきて、三角関係も借金も解消し、栄吉は相手の女性の妹(まだ適齢期には遠い)と将来の縁組を約束する。

2作目は「寛朝の明日」は、一転して小田原に僧を二人も食い殺した妖怪が現れたということで、妖封じの達人僧が小田原に向かうのだが、一太郎は病弱のため、代理人として少し前の巻から登場した場久(実は夢の中に住む獏)を同行させ、自分の夢を場久にリンクさせながら状況を把握する(新技登場だ)。事件の背後には、年老いて翼の折れた天狗の存在があった。もはや天狗の国に帰れない天狗は説得されて寺で妖怪退治の飛べないエンジェルをめざし修業にはげむことになる。

3作目は「おたえの、とこしえ」。大坂の米相場で失敗し破綻した上方の相場師がニセの証文で長崎屋の乗っ取りをはかる。解決のため、一太郎が団長になり、貧乏神の金次と大黒天はじめ福の神の三神が長崎屋の快速船で大坂に行き、相場を上げたり下げたりして、ほとんどの相場師を破産させてしまう。福の神たちは大儲けする。

4作目の「仁吉と佐助の千年」が、本シリーズの将来にかかわる。そもそも一太郎の祖母が年齢二千歳の大妖で、このため、一太郎の母も、そして一太郎も人間ながら妖(あやかし)たちの姿を見ることができる。一太郎の住む長崎屋の離れは、使用人兼一太郎のボディガードの仁吉や佐助だけでなく多くの妖怪や鳴家(やなり)が集まって、妖怪天国を極めている。

一方で、一太郎は長崎屋の跡取り息子であり、二十歳を過ぎれば嫁取りということになるが、普通の人間あれば妖怪は見えないが、妖怪の話声は人に聞こえてしまう。つまり、嫁と妖怪は相容れない存在のわけで、妖怪天国は消滅し、しゃばけシリーズは終了ということになる。

ということで、次々に縁談が舞い込み大混乱の中で、一太郎の選択は?

何巻か前に登場した同類の少女がいた。一太郎と同じ半人半妖。材木屋の娘だ。たぶん年の差10年以上かな。そのまま無理やり屋敷に連れ込んでコトに及べば、江戸時代の話といえどもシリーズ終了、著者は新潮社出入禁止になるだろうが、これも一作目の栄吉と同じように、婚姻時期はずっと将来のXデーということになる。つまりしゃばけシリーズの延長が決まったわけだ。

本巻の中で何回か妖怪側の語り口を使って著者が述べているが、妖怪は千年の単位で物を考えるが、人間は生まれたと思ったら、すぐに結婚して子供をつくって、しばらくして消え去っていくはかない存在だそうだ。

5作目は「妖達の来月」。上方の米相場で大儲けした福の神たちは、儲けを一太郎にプレゼントする。金持ちがさらに金持ちになり、一戸建てを建てて、妖怪たちに住まわせることにする。しかし、家に住むということは近所もあるので、ずっと人間の姿に化けていないといけないわけだ。本作ではそういう江戸という都会に住む妖怪と、山童(やまわらし)という山に住む妖怪のカルチャーギャップがテーマだ。山に帰ってしまったが、再登場するのかな


今まで、はっきりとした主張を隠していたかのように、本作では著者である畠中恵氏の主張が感じられるような気がする。人間ははかない存在で、それが故に愚かでもあるが、美しい、といったところだろうか。妖は千年の単位で守っている「何か」があるというように感じる。ただ、「何か」が何かはまだ読み解けないでいる。