天地に燦たり(川越宗一著)

2020-09-07 00:00:02 | 書評
直木賞を「熱源」で受賞した川越宗一氏のデビュー作。というかこの作品で松本清張賞を受賞して、次で直木賞というスピードぶりだ。本作は時代小説。秀吉の朝鮮出兵を舞台として描いているが、普通に書くなら、日本側からか朝鮮あるいは明側から書くのが常道だろうが、本作の視点はまったく別角度の3人による。



島津藩の重臣である樺山久高、琉球国の密偵である真市、朝鮮の最下層・白丁で靴職人の明鐘。それぞれが自らの人生の目的として「仕えるべき王」を探し求めている。

薩摩藩は九州平定直前に秀吉から攻められ、圧倒的兵力差により、軍門に下るしかなく、藩内はいざこざが絶えない。武術においては群を抜いた藩であったが、天下に出るのが遅かった。

琉球国は、日本(あるいは島津藩)の圧力を受け、独立を守るためには、中国(明)の属国として日中間の二枚舌外交を取るしかなかったが、金欠が深刻な状態になっていた。

朝鮮国は身分階級による差別が甚だしく、さらに役人の品位低下により国内に不満が充満していた。

一方、秀吉は既に耄碌していて、事前調査も不十分に明国に侵攻する計画を立て、なぜか朝鮮半島の南側から小西・加藤を中心とした部隊で北上していった。おそらく、朝鮮は明に支配されているのが厭だろうから、日本軍と合流して友軍になるだろうと考えたのだろう。日清戦争後に中国による朝鮮支配を終結させた大日本帝国と同じ間違えだ。

この小説のもう一つの流れが儒学。その中でも「礼」である。礼なき人間は禽獣だそうだ。儒学が本格的に日本に根を張ったのは江戸時代なので、朝鮮侵攻時は中国と朝鮮と琉球は儒教先進国で、日本は禽獣国だった。

ただ、儒学まで持ち出したのが小説として成功だったのかどうかは疑問のような気がする。明国は、対日防衛費のため疲弊し清国に滅ぼされる。朝鮮も日本も琉球も鎖国を国策として東アジアは閉塞の時代に入っていく。三か国について儒教が重要なのは、実は今のような気がする。