小説家に特待生制度を聞いたら

2007-05-06 00:00:41 | 市民A
e5bcec20.jpg2000年公開の映画「小説家を見つけたら」を今頃観る。同時多発テロ以前は、こういう映画がたくさんあったのに・・と、まず思ってしまった。原題は「Finding Forrester」。ForresterというのはWilliam Forresterという、生涯最高の小説を1953年に発表して、その後、一作も発表しないで40年間、姿を消している幻の印税作家である。

そして、ある高校のそばのマンションに潜んでいる彼の部屋に忍び込んだ作家志望の16歳の黒人高校生ジャマール(ロブ・ブラウン)の将来性を見抜いたフォレスター(ショーン・コネリー)との感動の友情物語である。そして、そう言ってしまえば、単に「能力のある黒人は、おカネがなくても高い教育を受けられ、白人と同じように成功者になることができる」という現代版アンクル・トム物語じゃないか。世界はもっと複雑なのだ、と言う声もあるようだが、それは、その後の不幸な米国史と、米国映画が辿っている方向性の見出せない暗い混迷状態から、そう思うのかもしれない。黒人は、白人社会に囲い込まれたが、スパニッシュはどうなのか、韓国系はどうなのかとか、たぶん複雑なのだが、無理に考えたくもないのでやめる。

そして、雑感の連続になるのだが、

1.ショーン・コネリー
 007の時といつも変わらない。ジェームズ・ボンドにふさわしいイメージの方が変っていって、彼と合わなくなったのだろう。

2.ヤンキースタジアム
 この映画の舞台はニューヨークで、ヤンキースタジアムは二つの意味で主題に係わってくる。一つはフォレスターの兄の思い出であり、二つ目の関わりはジャマールの兄の方。彼の兄はスタジアムの駐車場主任、つまり球場職員なのだが、その中で、ヤンキース対レッドソックスのチケットは3ヶ月前から売り切れというシーンがあった。今の日系旅行社の苦労がしのばれるところだ。

3.ウィリアム・フォレスターのモデルは?
 映画の中で、彼は生涯最後のベストセラーを1953年に書いて、ピューリッツァー賞をとったことを語っている。そして、ピューリッツァー賞フィクション部門の歴史をひもとくと・・

 1953年 「老人と海」:アーネスト・ヘミングウェイ
 1954年  受賞作品なし
 1955年 「寓話」(岩波書店):ウィリアム・フォークナー

ということになっている。つまり、ウィリアム・フォークナーの名前に近いウィリアム・フォレスターという作家を創作し、しかもピューリッツァー賞の隙間の1954年を見つけて、ストーリーを作っている。

4.原稿の書き方
 フォレスターは、「第一稿は感じるままに書け」という。そして第二稿は「頭を使え」と言う。そして、第一稿ができた時に、「至福の時がくる」と言っている。ブログもそうだと思う。

5.特待生制度について
 作家の卵のジャマールは、全米共通テストで優秀な成績を取ったことで、他の学校のスカウトが集まってくることになる。しかも、彼はバスケットの名手。「学業」と「バスケット」の両方の評価で「学費免除」となる。

 今回の意味不明の高野連の調査で特待生と認定された生徒たちだが、300余高の中には、「野球も上手いが勉強もできるから学費免除」というのはいなかったのだろうか。そういう場合でも出場禁止なのだろうか?それとも「あり得ない」のだろうか。


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