ウンベルトDを現代的に考える

2007-05-04 00:00:05 | 映画・演劇・Video
00f17468.jpgデ・シーカ監督の「ウンベルトD」を観る。1951年の映画だから56年前になる。当時の敗戦国イタリアの生活苦を題材にしていて、名作「自転車泥棒」と同じような時期の作である。それでは、「自転車泥棒」は名作と言われ、「ウンベルトD」は、かなりマニアしか知らない映画になったのはなぜか?といえば、邦題の付けかたかもしれない。いや、原題の付けかたかもしれない。

なにしろ、原題は「UMBERTO D」だから、そのままだ。このウンベルトというのは、主人公の老紳士の名前である「ウンベルト・フェラーリ氏」。しかし「D」は何を意味しているのか?よくわからない。何しろ、主な登場人物は少ない。老紳士ウンベルトは公務員年金の値上げ要求ストに加わったりして、公務員年金に生活を依存している。一方、彼はアパートの家賃の支払いを渋っていて、大家の女性から追い出される寸前である。そして、そのアパートの使用人であるマリアという若い女性が彼の愚痴を聞いてあげる相手なのだが、彼女も軍人のこどもを婚前妊娠していて、失職寸前である。

ウンベルトの唯一の友は、フライクという小型犬だが、ウンベルトが仮病を使って病院に入院しているときにフライクは女大家に追い出され、収容所に送られてしまうが、ウンベルトは危うく救出に成功。しかし、追い出しの圧力に負けてしまい、ついにウンベルトはアパートを出て、自殺を決意する。

00f17468.jpgしかし、彼は愛犬フライクのことを考え、あちこちに引き受け先を探すのだが失敗。ついに無理心中しようと鉄道の線路に入るが、いち早く危険を察知したフライクが逃げ出し、失敗。結局、公園の中で愛犬と遊び始め、FINということになる。その後の解釈は「どうぞお好きに」というのはイタリア式ということだろう。本当の主演はフライクではないかというくらい、この犬の演技はうまい。

デ・シーカ監督は、ウンベルト・フェラーリ役に、まったくの映画素人の大学教授(カルロ・バティスティ)を探してきたそうだ。その教授はそれっきりで他の映画には出ていないそうだ。そして、使用人の若い女性のマリア役にはマリア・ピア・カジリオを起用。彼女はその後、数本のデ・シーカ作品に出演。その後の消息は不明。


ところで、この映画の中に登場する、社会現象なのだが、まず、公務員の年金の話。要するに、年金は公務員のためにある制度だったようだ。要するに「恩給」ということ。そして、イタリアは役人天国だったはずだが、生活苦になったのは、インフレのせいなのだろう。

さらに、現代の愛犬ブームから考えれば、ウンベルト氏と犬の共同生活は微笑ましいのだが、無理心中となれば、話は別。死ぬなら一人でどうぞ・・それに鉄道や飛び降りは迷惑がかかるからやめてもらいたいところだ。

嫌な話だが、現代の日本だって、円安が続けばスタグフレーションに嵌り、年金激減どころか、輸入食料の価格上昇で、犬の餌代どころの話じゃなくなる可能性だって10%以上あるかもしれないのだから、これもまた「団塊・団塊ジュニア」といった世界大戦争のツケのせいなのかもしれない。


そして、話はまたも題名に戻るのだが、「老人と犬」という程度がなじみがいいのではないだろうか。「ウンベルト」といっても、その老人の名前に意味があるとは思えない、映画の後半になると、主人公は犬の方にかわるのだから、犬の顔も立ててやるべきだろう。ということは、ウンベルトDの「D」は犬(dog)のことかと思うのだが、イタリア語では「cane」とかではなかっただろうか。やはり意味がよくわからないままだ。


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