あかちゃんのこと×2

2007-05-17 00:00:20 | 市民A
二つの話のどちらから始めようかちょっと考えてみたが、まず、ウルトラマンのこどもから。

元モー娘の「辻ちゃん」辻希美(19)さんと、ウルトラマン・コスモスの主演だった杉浦太陽(26)さんが、結婚することと、妊娠二ヶ月であることを公表。本当に二ヶ月かどうかはずっと後にわかるのだが、その時、計算し直す人は誰もいないだろう。

そして、その記者会見の様子をTVで観たら、大変に違和感のある質問をした男性芸能記者(リポーター)がいた。

質問:「避妊することは考えなかったの」

座が白けるという表現ではなく、何か会場に軽蔑の雰囲気を感じた。

つまり、記者としては、仕事をほっぽいて、こどもなど作って無責任じゃないか、と言いたいのだろうと思うのだが、この発言は、たぶん最近の世間の風を少し読めてない、と思った。閉鎖社会に棲息していて、旧態とした世界観を持っていることがよくわかる。そして予想通りその発言は無視され、辻ちゃんの”また芸能界に復帰する”と営業用の発言で終わる。

まあ、聞かれて「辞める」という人はめったにいないので、本当に復帰するかどうか、まだ、そんなことまで深く考えてないだろうと思う。目先の問題から順番に片付けるというのが、こういう場合の常道だ。少なくても甲斐性の無い中年男と付き合ってクビになった相棒とは運命が逆方向に進み始めた。

そして、よく考えれば、26歳と19歳が結婚してこどもを産むこと自体、最近少ないだけで、元々おかしな話じゃないし、第一、日本はこれから少子高齢化でもだえ苦しむ国なのだから、「少子化撲滅キャンペーン」のモデルになって、これから1ダースくらい位でもこどもを産んでほしいところだ。ウルトラマン一族も私が少し目を離しているうちに、親戚が大膨張しているようだ。

ところで、口の悪い筋からは、「こどもがこどもを産むみたいだ」という声もある。若さに対する妬みということなのだろうが、心配ないわけだ。政府公認の「親学」が始まるらしいからだ。それはそれで、既存の固い頭の大人から見れば「こんなことまで、政府が言うか・・」と言いたいところだろう。

しかし、「親学」の恩恵を受けるのは、「無知な親の方」ではなく「罪のないこどもの方」の人権なのだから、”念には念を入れて丁寧に書き過ぎる”ということでもいいのではないだろうか(ちょっと読んだだけだが、パチンコ中に駐車場に置き去りにしないこと、というのが抜けていたようだ)。

そして太陽君の方も、一時は暴力行為の濡れ衣を被って追放寸前に追い込まれた経験を持つ。芸能ジャーナリズムの底の浅さを見切っているのだろうと思う。


そして熊本の慈恵病院の「こうのとりのゆりかご」。5月10日の午後、3歳の男児が父親と思われる男性から50センチ×60センチの箱に押し込まれてしまった。

「こうのとりのゆりかご」が運用を開始するまでに、賛否両論があったのはご存知のとおりで、賛成論にしろ反対論にしても「やむを得ず」とか「できるならやめてほしい」というような留保的意見が多数だろう。今回の3歳児の件では、ほとんどの国民は心を痛めているのではないだろうか。

しかし、・・

このこどもは自分の名前をしゃべる。おそらく、もっと詳しく状況を説明できるかもしれない。連れてきた男性が父親なのかどうかもわからないが、直ぐに身元がわかるのではないだろうか。そして、直ぐに身元がわかることは、連れてきた男性だってわかっているはずだ。つまり、まったく、本来とは逸脱した目的でこどもを押し込んだのではないだろうか。

例えば、と考えたくないことを列挙すると、「1.既に男性は何らかの理由で自殺してしまった」、「2.○○○○○教○○弁護士殺害事件のようなことがあって、こどもだけは助けよう、と犯罪者が考えた」とか、もっと軽薄に考えれば、「3.妻に逃げられた夫が、こどもをだしにして妻の帰還を画策した」、とかだ。3くらいであることを祈りたい。何しろ、手間のかかる3歳まで育てて、何で今だ。


個人的には、「こうのとりのゆりかご」が全国で1ヶ所とか2ヶ所というなら、それでいいのじゃないかと思っている。特に日本の中央部から離れている熊本というところならば、電車に乗り継いでいかなければならない。匿名で飛行機に乗ることは簡単ではない。たとえば東京から新生児を連れて熊本まで一気にいくのは難しい。1日、2日という日数が必要だろう。そういう親子の旅を続けている間に、考えが変り、引き返すことは十分過ぎるほど考えられる。

しかし、ドイツのように全国に80ヶ所も作ってしまうのは、やりすぎだ。「こどもは国家のモノだ」と内心考えているかもしれないコンサバティブ・アベだって反対している。あくまでも全国1、2ヶ所ということではないだろうか。

日本は近世を通じて、堕胎と間引きで人口調整していたらしいが、欧州では捨て子(差別用語)が一般的とされていた。グリム童話なんて捨て子物語そのものだ。全編、森と狼とこどもの話だ。そこで、宗教者としての教会や修道女院の登場になり、現代的にポストに変質しているわけだ。

そして、こどもを置き去りにする親が知らなければならないのは、こういう実質的な親のいないこどもたちの未来だ。日本でも宗教が絡んでくる。ある組織では積極的に信者が養子をとることを推進している。結果、多くは日曜日に聖書を持たされて、戸別訪問に歩いているようだ。


おそらく、今、熊本のゆりかごのことを考えている親は、誰にも相談していないのだろうと思う。が、今の20代・30代前半の人たちは、そんなに利己主義的ではなく親切な人が多いと感じている。まずは、身近な人や児童相談所などへ、小さな勇気で最初の一言を・・

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