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主計町茶屋街からひがし茶屋街へ

2023-11-26 00:00:50 | たび
金沢の三大観光地とは、「兼六園」、「21世紀美術館」そして「ひがし茶屋街」と言われる。

これに近江町市場を加えると、三角形と言うか四角形というか。従って周遊バスがある。といっても時間の関係で途中歩いたりするので、結構な時間が必要。美味い物も食べたいし。



本来は、近江町市場で昼食、金沢城址から兼六園、21世紀美術館、そしてひがし茶屋街で三時のおやつというように思っていたが、金沢駅でコインロッカー待ちがあったことと、降り続く小雨のため遅れてくるし、寒くて歩きながら金箔ソフトを食べる気にならないため、ひがし茶屋街の近くの主計町(かずえまち)茶屋街を先に歩いてみる。



ガイドブック的には、ひがし茶屋街という江戸時代の歓楽街が手一杯になって、もっと高級かつ濃厚なサービスに傾いた歓楽街として川沿いの狭い空間が使われたようだ。実際、ひがし茶屋街の方は、現在は茶屋と言うよりも観光地といった風情の物販や飲食店になっているが、主計町の方は、今も細い路地が重なり、実際に営業している店が多い。一見では入れないように、そもそも営業しているのに門が閉まっている。本日貸切の紙が貼られている。お茶屋とか小料理屋ということらしいが、外からでは室内の様子は知る由もない・



そして、夕闇が広がるひがし茶屋街だが、既に街から出てくる人の方が多い。雨の中を一回りしてくる。金箔ソフトには手が伸びなかった。金箔屋を冷やかす元気もない。金澤プリンを雨に濡れながら食べるのは無理。傘を指して、時々撮影し、あと二本ほど手が必要だ。



万歩計はそろそろ二万歩に近付いてきて、夕食を求めて、最後の力を振り絞らないといけない。

兼六園から21世紀美術館へ

2023-11-24 00:00:45 | たび
兼六園は江戸時代に前田藩の藩庭だった。といっても郊外の一戸建ての庭のように、藩主がハサミを持って木に登ってチョキパチするわけじゃない。日本三名園といえば、兼六園、後楽園、偕楽園といわれ、兼六園は今回が2度目。



三名園の一つの岡山の後楽園は池田藩の藩庭だった。池田家は鳥取と岡山に分かれて、合わせれば外様の大藩で、かなり幕府を意識していたはず。数年前に、池田藩の秘蔵品を展覧会で見た中にも、幕府の秘密のはずの大阪城の内部図面が入っていた。いざという時には一気に攻め込むつもりだったのだろう。新田開発に熱心で実質的な石高は多かったはずだが、立派な庭園を幕府のお庭番にチラ見させ、遊び惚けている無能大名を装っていたのではないかと推理したのだが、前田藩もそういうことなのかもしれない。

水戸の偕楽園にはまだ行ったことはないが、来年あたり行かねばならないだろう。

そして、雨の中、少しずつ冬の準備が進んでいるようだ。雪が降り積もると、さぞかし綺麗なのだろう。公園内は内外の観光客であふれている。松の手入れは植木屋でも別料金のこともあり、これが多い庭は本物だが、要所に松が配置されている。美しい苔を維持するために苔の間に溜まった落ち葉の除去作業など細かな作業もあるし維持は大変だ。



庭園内に地図が不足しているため21世紀美術館から離れた場所に出てしまったが、東京竹橋から移転になった国立工芸館が見えたが、竹橋では何度も通っていたので、今回は外観鑑賞だけにした(以前は国立近代美術館へ入場すると、おまけで行けたのに、これからはそうはいかない)。時間が押してきた最大の原因は、金沢駅でのあてのないコインロッカー待ち時間だ。



そして、21世紀美術館。実は前回に訪館した時にカフェテラスで食べた和栗のパフェがお目当てだったのだが、なにしろ寒いし、カフェは大混雑。メニューも確認できないので、次に向かう。日没時間も気になる。

シリパ岬からロウソク岩へ

2023-07-17 00:00:26 | たび
余市の市街地から北西方面、つまり積丹半島の海岸沿いに延びる国道229号線を進むと、右前方に見えるのが、余市のシンボルであるシリパ岬。形状的には左から右へ伸びる尾根が、突然に海に崩れ落ちたように見える。数万年かそれ以上前かもしれないが、何らかの巨大な崩落があったのだろうか。シリパはアイヌ語で「山の頭」という意味らしいが、さらに意味が解らない。



この峠の部分は内陸に迂回して、再び国道は海岸線に出て、遠くの海を眺めると奇岩が見えてくる。観光の目的としていたロウソク岩だが、思っていたよりもずっと海の先の方にある。



しかし、この奇岩だが、大きな岩が波の力によって浸食され、もはや鉛筆のように細くなったということだろうが、信じがたい。この細長い奇岩のまわりにあった岩はどこに行ったのだろう。



国道229号線はまだ遥か先に伸びていくが、数分先には1996年2月10日午前8時10分頃に発生した「豊浜トンネル崩落事故」の現場近くに到達する。路線バス、乗用車2台を一瞬で押しつぶし、主に通学・通勤途中だった20名が圧死した。もう27年も経ったのかというのが実感。たまたまトンネルの崩落と路線バスの運行が重なるとは、まったく不条理だ。意気地なくUターンする。

羊蹄山六景

2023-07-13 00:00:33 | たび
羊蹄山は富士山によく似ている。遠景で斜面の角度を見ると、富士山と同じようなカーブを描いている。地球の重力や溶岩の粘度などの結果だ。活火山であるし、たぶん羆もいるだろう。

富士山には様々な顔があるのは有名だが、羊蹄山の画像を並べてみた。

1.ニセコに着いた日は今にも雨が降りそうだった。翌日は町全体が霧の中だったが、その後は回復。天候の変わり目に撮影。



2.夕方になり、赤富士となる。山の中腹より上が赤色に染まる。原理はわからない。



3.羊蹄山の北側から撮影。



4.双子のサクランボの木から。



5.夕方の蝦夷富士



6.ダチョウ牧場より



高橋牧場(ミルク工房)へ

2023-07-12 00:00:03 | たび
ダチョウ牧場の次は、高橋牧場へ。別名はミルク工房。経営形態はよくわからないが、一カ所にミルク加工品の販売所やレストランやガラス製品販売などが集まっているのが高橋牧場。宿泊地と近いので、食べ物を買いに行く。



そして、パンフレット(といってもリアルな紙ではないが)によると、近くにニセコの象徴でもある双子のサクランボの木があるそうで、探してみる。データ上は存在する場所にサクランボの木が二本生えていたので、それなのだろうが、絵葉書などの画像とは少し違うような気がする。カメラアングルが違うためかもしれない。大小二本の樹ということで、たぶんこれなのだろう。



そして、ドリンクヨーグルトを飲むと、わずかに酸味がある濃厚なヨーグルトだ。最近、蒜山高原のジャージー種のドリンクヨーグルトを飲んでいたのだが、それよりもさっぱりしている。



そして、レストランでピザを焼いてもらう。テイクアウトし、ホテルへ持ち込んで羊蹄山をみながら、食べる。



羊蹄山は富士山のように、よく姿を変える。

ダチョウに噛まれる

2023-07-11 00:00:11 | たび
正式には『有島第二牧場』というらしい。ニセコの中心部から南東方向にある牧場。羊蹄山の山裾にあり、主に牛を飼っているが、合わせてダチョウがたくさんいる。

そのため、一般には『ダチョウ牧場』と言われる。



実は、なぜダチョウを飼っているかは、柵の外に貼られたQRコードを読み取ればわかるそうだが、簡単ではない。

ダチョウ用の袋に入った餌を買って、柵の外にある餌場に餌を投げ入れてもいいし、直接掌の上に餌を置き、手の上で食べさせてあげればいい。

人間の数よりダチョウの方が多い。



コーンのような袋詰めの餌を購入し、給餌争いに参戦。しかし、手ではなく袋を狙ったり、手をかまれたりする。左手の小指を噛まれてしまった。血が出なかったのが幸いだった。

ところで『噛む』という漢字は左が「口」で、右が「歯」。ダチョウには歯がないため、正確には字が違うのだろう。

ダチョウ牧場の起源だが、冒頭に書いたようにQRコード読み解けばいいのだが、ダチョウの嘴攻撃を受けるためにQRコードに近付くことができないわけだ。



ダチョウに撃退されるために行ったようなものだ。

京極吹き出し公園散策

2023-07-09 00:00:34 | たび
ニセコといえば、夏のアクティビティ系と言えば、ラフティングやカヌー。ついで日本最長級のジップライン。乗馬、熱気球。主に、色の白い外国人が好んでいるらしいが、体力伴いそうもない。熱気球は垂直に数十メートル上がって降りるだけのようで、泊っているホテルの階よりは高い程度。乗馬は近いところは定員埋まっているということで、観光スポットめぐりとする。それとミニグルメ。



まず羊蹄山を挟んでニセコは西側だが、反対の東側にある京極町の『京極ふき出し公園』を目指す。北側から羊蹄山に関係する物をふき出すのだが、溶岩ではない。湧き水。硬水ではなく軟水。カルシウムやマグネシウムは非常に少ない。1日に8万トンもの湧水だそうで、約30万人分の生活用水に相当するそうだ。計算すると一人266Kg(=リットル)になるが、政府は緊急時には一人1日300リットルを用意するように推奨している。ただし、風呂、トイレはこの数字の外だそうだ。



湧き水なので安心だろうと思い込み、少しだけ飲んでみたのだが、「生水なので煮沸してから飲むように」注意書きがあった。



名物はコーヒーゼリーだそうで、近くに工場があり、道の駅で販売しているが、売店で売られている「飲むコーヒーゼリー」を試してみた。なかなかいい。

ニセコに南側から戻ると羊蹄山を一周し真狩町に行くと、「名犬ポチ」とか「細川たかし生誕地」があるが、町内で「ヒグマ」が出たそうで、敬遠して北回りで戻る。もちろん羊蹄山の東にヒグマが出たなら、西側にも出ると思われるので、電動自転車をやめて自動車を借りたのだ。

ニセコ駅周辺へ

2023-07-06 00:00:13 | たび
小樽で借りた車で、羊蹄山の西側にあるニセコまで直行する。主に国道5号線だが、不思議なことにあまり直線ではない。そのため、途中で別の道を使う。国道は時速50キロ制限だが、脇道は60キロのところもある。そもそも私は旅行者だから速度違反で捕まるわけにはいかない。知人で同じ日に2回も捕まった者もいるのだが、観察すると、10キロオーバーの車と、15キロオーバーの車がいるように思える。ということでなかなか走りにくい。結局夕刻になり、食事処を探すことにする。



ホテルで入手したパンフでニセコ駅の近くの店をみつけたので、駅に向かう。夕暮れなので逆光写真になったが、ニセコ駅は箱根強羅の駅(つまりサンモリッツ駅)に似ている。観光地の駅そのものだ。



近くを見ると古い倉庫が並んでいるが事前確認していた『中央倉庫群』のようだ。使われなくなった農業倉庫をリノベーションして中に店舗が並んでいるようだが、残念ながら夕刻になって、ほとんど閉店しているようだ。出入口が既に閉まっていて、「ただの古い倉庫」のようにも見える。



そしてSL。ここにSLがある理由が、書かれてはいるが、よく理解できなかった。夏は屋外展示で、冬は室内に収納するようで、転車台までついている。そしてSLの背後に見えるのが「ニセコ大橋」。黄色がまぶしい。



翌日、ニセコ大橋の上を車で通った。その時に合法的方法で撮影した。まるで観光地だ(冗)。事前調べでは「ニセコは日本の中の外国」と言われるそうだが、そうでもないような気がする。夏と冬とは様相が違うのかもしれない。

中央構造線!

2023-05-31 00:00:04 | たび
富山・長野の観光バス旅は高遠城址、光前寺(駒ケ根市)をもって終了し、中央本線の茅野駅から特急あずさ号に乗り都心方面に向かうのだが、高遠市から駒ケ根市に向かう途中に天竜川沿いを南下する時間があった。



不思議な風景なので車窓から撮影し、後で調べると「中央構造線」の一部だった。

日本の代表的な構造線は、九州中部から四国北部、紀伊半島を横切り関東まで続く「中央構造線」と新潟県と静岡を結ぶフォッサマグナの二つがあると思っていた。

今回調べてみると、フォッサマグナを糸魚川・静岡線と思い込んでいたのは間違いで、その線は日本海と太平洋の間に、ある時期に存在した大きな溝(これがフォッサマグナ)の西端の線に過ぎないということらしい。東端はおおむね柏崎と千葉市と結んだ線で甲府を通る。

この横に走る中央構造線とフォッサマグナ西端が縦横に交わるのが諏訪湖だそうだ。

では、どういう順番だったかというと、日本列島の母体は、残念ながら大陸の一部だった。しかしその頃、中央構造線は大陸の沿海部の横ずれによって発生。

その後、大陸から日本列島が分離する段階で東北日本と西日本の方向がずれてきて、本州の原型が二つ(東北日本と西日本)に割れてしまう。それによってできたのがフォッサマグナ(大地溝帯)。

その後、堆積物が増加したことと、海底からマグマが噴き出したりで、再び東北日本と西日本が一体化し、海底だった溝の底から隆起したり噴火したりしてアルプスが出現し、あたかも東西日本が別の島だったことが見えなくなっているそうだ。

天竜川は東西に走る中央構造線が、例外的に諏訪湖に向かって北上する場所らしく、諏訪湖で糸魚川静岡線(おおむね富士川)と交差するようだ。

フォッサマグナの東端が柏崎というのも気になる。世界最大能力の発電所がある。

これにて、立山黒部アルペンルート+信州の旅紀行は「終わり」。

宝積山 光前寺

2023-05-30 00:00:34 | たび
高遠城公園を短時間で済ませ、観光バスは次の臨時目的地に進む。



宝積山(ほうしゃくさん)光前寺(こうぜんじ)。



枝垂桜(しだれざくら)の名所で駒ケ根市の山がちの立地がゆえ、ちょうど満開時期だった。

宝積寺(「宝」も「積」も旧字体)とは、宝を積むという豪勢な名前だ。桃太郎伝説の感じだが、内陸なので鬼が島はない。むしろ桃太郎ではなく『早太郎』という伝説があるようだ。

この寺に住み込むことになり「早太郎」と名付けられた、運動能力が抜群の聖犬で、鬼や妖怪と戦い続け、人々を守ったといわれている。JR某駅の焼鳥屋の串に釣られて毎日通い続けた忠犬よりも立派かもしれない。

そして、もう一つの注目点は、この寺には『ひかりごけ』が自生しているということ。



石垣の間に生えていて、うっすらと光ると言われていて、観光バスの同行者たちが石垣探索を続けるが、「あれがそうかな」とか「光ってない」とか「これにしとこう」とか、怪しい話になってしまう。とりあえず、撮影をしておいて、自宅で画像を拡大して確かめようと、「そこにあるはず」の石垣のすき間を撮影したのだが、さらにわからないわけだ。

そういえば『ひかりごけ(武田泰淳著)』という小説がある。早い話が極限時のカニバリズム(人肉食い)がテーマだが、数十年前に読もうとして文庫本を片手に雨の日に地下鉄のホームに向かっているときに駅構内で落としてしまい、数秒後に泥水を含んでしまって、そのまま放置ゴミにしてしまった。読むな!という天啓だったと思っている。

室堂から大観峰、黒部平そして黒部湖へ

2023-05-23 22:00:08 | たび
雪の室堂を後にし、黒部湖に向かうが、そこまでに3種類の方法が必要になる。

室堂から大観峰へは立山トンネルトロリーバスに乗る。距離3.7Km、標高差134m。バスは道路の頭上に貼られた送電線からパンタグラフのような設備で受電してモーターで走る。全国の市街地でこういう光景があったようだが、今は全国でここだけ。

さらに特徴は市街地の広い道路を走るのではなく、全線が傾斜のあるトンネルの中なのだ。

そのトンネルの中を満員のバスが走るのだが、3.7Kmを10分なら平均時速は20キロで、最高速度でも30キロぐらいなのだろうが、トンネルの中の下り坂なので、以上に怖い。TDLのスペースマウンテンは最高速度50キロで暗闇の中なので結構怖いが、トンネルトロリーの怖い理由は人間が運転していること。レールではないとするとハンドル操作を誤るとトンネルの壁面に衝突し、大惨事だろう。

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寒い上に冷や汗をかいて大観峰へ。そこは絶壁の上からせり出したような建物で、屋外に出ると自動的に崖下に落ちるので、外には出られない。窓からは無機的な山肌が見える。

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次は恐怖の立山ロープウェイ。途中に支柱がないので支柱間の距離が日本一番長いロープウェイだそうだ。発着点の両側に救護用の自走型の箱があるそうで、なんらかの理由で宙吊りになった時は両方から救助用の箱がやってくるそうだ。乗り移るときの恐怖は、おそらく宇宙遊泳より怖いような気がする。1.7Km、標高差480m、7分で黒部平へ。



黒部平から黒部湖までは黒部ケーブルカー。ここもトンネルの中を最大勾配31度もある傾斜の移動。800mを5分。標高差は370m位。ケーブルカーは線路があるのでやや安心感がある。



そして眼前に黒部湖ということになる。ダム湖は千葉県とか新神戸の裏の方とかいくつか見たことがあるが、この景色は百倍ぐらい驚きだ。

美女平から室堂へ

2023-05-22 00:00:00 | たび
ツアーの予定では美女平からは立山高原バスで約1500mの標高差を登っていく予定だった。途中の弥陀ヶ原はさわやかな春風の中、小散策の予定だったが、寒風で粉雪が舞っている。予想外の天候で、無人の雪原だ。前に進むしかない。登山じゃないので、前に進めば無事に家に帰れるはず。ただ、バスの中には暗雲が漂っている。

本来、ツアーの目玉の一つは室堂の近くの道路の両側に聳え立つ雪の壁を見に行くことだった。いわゆる「雪の大谷」。さらに雷鳥を探しに行くとか、自然を満喫するなどだが、それらはすべて雪の季節が終わっていることが前提だった。

しかも、突然の荒天なのだが、観光客は大勢いるので、外に出られない人たちがターミナル内に溜まっているはず。それぐらいはお手軽ツアー客だって想像できる。

そしてついに満員のターミナルに到着。ターミナル内で食べるべく用意されたお弁当を広げる場所もない。ようやくターミナルの最上階に上がる階段の途中にあるガラス窓の手すりに50センチほどの場所を確保し、立食弁当。立って弁当を食べるのは、生涯初かもしれない。初体験に感謝だ。



ところで『雪の大谷』だがターミナル到着直前のバスの車窓から見ることができた。通常なら、この道路の端を一列で歩くのだが、この状態では危険そのもの。人間あるいはバスが滑れば衝突だし、雪の壁が崩れ、埋もれてしまったら冷凍人間になる。今年の雪壁の高さは13mで平年より低目だそうだ。



ずっと、ターミナルに籠るわけにもいかないので、バスツアー同行者も、ちょっとだけ外に出る。寒風の中、除雪車が展示されているが、そこまで行く気にはなれない。



雷鳥の模型の前が撮影スポットになっている。寒すぎる。関東はポカポカだったので油断した。マフラー、手袋、カイロがほしい。

これから黒部ダムに向かう。いわゆる黒四。黒部第三ダムは建設中に大惨事が起きているが第四ダムでも100名以上の方が亡くなられている。ダムを作るだけではなく、水を流し落とす急角度のトンネルの工事も危険だし。

立山駅から美女平へ

2023-05-21 00:00:58 | たび
立山黒部アルペンルートの入口あるいは出口(『出発点』あるいは『到着点』と言った方が旅行的かな)の立山駅。ツアーバスから降りる。この後、バスがどこをどの位のスピードで走るのか不明だが、数時間後にアルペンルートの反対側の扇沢で待っていてくれる。自力だと、立山まで、あるいは扇沢からも時間を確認しておく必要がある。行く先々で気儘に時を過ごすと大いに危険だ。



立山駅の外観は首都圏の私鉄の駅のような風情だが、駅に入ると、人間があふれている。国連ビルのように国籍不明の人たちで、日本人比率は30%ぐらいかな。標高475m。

まず、駅構内のインフォメーションボードに、おそろしい表示がある。ルート最高点の「室堂」の気温は「0度C」となっている。今、そこへ向かっている。そもそも4月中旬で首都圏は20度をうかがう日もあり、念のためにウインドブレーカーとフリースは持ってきていたのだが、すべてを着込むしかない。追加できる防寒具はマスクだけ。

もっとも駅構内は大混雑なので、使わないつもりだったマスクを着用。これで対策は早くも土俵際だ。

ここから美女平までケーブルカーだがケーブルカーを押したり引いたりする牽引車は大掛かりだ。そして階段状のホームには人があふれ、本当にこぼれそうだ。アルペンルートは最初からデンジャラス。



ホームが人でいっぱいということで、車両内も満員。満員のケーブルカーに立ち乗りだとどういうことになるかというと、階段に立ち止まったまま震度1か2程度の地震にあった感じだ。所要時間7分。手すりを握ったまま。502m上って977mの美女平に。

下車すると、いきなり寒い。そして雪交じりの寒風が吹いている。



駅の外は観光バスの駐車場だが、だいたいの観光客は立山からケーブルカーを使うようだ。

駅舎を外から見ると「美女平」と大きな文字の看板が壁面に取り付けられているが、そこに大勢が集まっている。全部、中国本土からの方々。「美女」という漢字が魅力的なのだろうか、自分を美女と思っている女性たちが順番に並んで、駅の看板を背景に私的な撮影会が開かれている。

大勢待っているのだから、何枚かで交代しているようだが、傍目でもモデルクラスの美女と思われる女性は10枚位ポーズを変えながら写しても文句が出ていないが、そうは見えない女性は1枚か2枚かで交代の雰囲気になる。合理的なのかもしれないが、日本だと逆になるだろう。美人一枚、逆は十とか。

次の目的地は、一気に室堂。標高2450m。1473mの登り。

立山黒部アルペンルートへ

2023-05-19 00:00:40 | たび
立山黒部アルペンルートは北アルプスの中を縦貫する主に観光用のコースで、自然環境保護のため、公共交通機関を優先利用するために1971年に開通。8年前に完成した黒部ダム側の黒部=扇沢間のトンネルを走る電気バスに加え、ロープウェイ、ケーブルカー、トンネル内ケーブルカーにバスと一部徒歩区間が加わる。

立山黒部アルペンルート ホームページより

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基本的には富山側は立山、長野側は扇沢が起点だが、富山=立山間の路面走行型の市電や長野側の扇沢=信濃大町、長野間のバスを含める場合もある。

今回参加したツアーでは、バスで長野側から一旦日本海側まで北上して、その後、立山駅(標高475m)から立山からケーブルカー、バスで上っていき、室堂(2450m)から黒部湖の方に下りていくコースだ。その間にケーブルカー、バス、トロリーバス(トンネル内)、ロープウェイ、ケーブルカー、徒歩、電気バス(トンネル内)と乗り継いでいく。全部切符を買っていくと、10,940円だが、そもそも始発と最終の時間もタイトだし、それぞれの乗物には定員があるので、観光客が多い時は、定員で切られて、その後の乗り継ぎにも次々に影響が出ることがあるそうで、ツアー添乗員からは、ツアーからはぐれても待っている場所もないので、自力(自腹)で宿泊地まで来てください、と鬼通告される。

そして、富山空港が台湾、中国、韓国、タイからの直行便を待ち受ける国際空港であることから、上記4か国と日本と米国人の6ヵ国+αがほぼ同一比率で集結してくるわけで、乗物関係は超満員で、予想通り、卒業したはずのマスクをまた使うことになった。

小布施散策

2023-05-17 00:00:17 | たび
バスツアーは、北向観音→善光寺と進み、次は小布施の町に入る。街道筋の宿場町から発展した小粋な市街地だ。観光資源と言えば、栗菓子、酒造、そして北斎。

それらをまとめて、1時間で堪能してほしいというのが、ツアー側のスケジュール。そもそもアルペンルートのおまけの場所なので意のままにならないのはしかたない。

最初に酒造所に行ってみたが、事前情報で試飲できるというのが事情変更で、日本酒BARで座って飲まないといけないということで、小布施のすべてがBARで終わってしまいそうで、すぐに退出。



『栗の小径』
小径というのは、狭くて少し長い道をイメージするが、『栗の小径』は事実上の小径で、長くもない。建築基準法で建物間の距離をとった関係でできたすき間のような場所だ。歩いていくと、和菓子店に到着する。



小布施では小布施堂と竹風堂が覇を競っているようにみえる。『栗の小径』・『北斎館』の近くは『小布施堂』が優勢で、国道(旧街道)沿いは『竹風堂』優勢に見える(真実は知らない)。流れから小布施堂のモンブラン購入(数時間後に缶ビールのつまみになる)。



『北斎館』
北斎館は人生97回の引越しをしたという葛飾北斎が95回目か96回目に居住した小布施を記念して建てられた。人生のほとんどは現在の墨田区で居住していた彼がなぜ2年間だけ信州に行ったのかは本人のみぞ知る、だろうが、実際に小布施でいくつかの天井画を描いている。地元の豪商の家に呼ばれたのは事実だが、当時江戸でも仕事はいくらでもあったはずだから、「天井画」にチャレンジしたかったということかもしれない。



現在は、天井から離れて壁画のように飾られている。

北斎を招聘した豪商はいわゆる「旦那」ということで商才なく資本が疲弊していき、維新後没落する。言い換えれば「世界の北斎」の栄養源になったということ。偉大と言った方がいいだろう。小布施と芸術家の関係と言えば、竹風堂は世界の池田満寿夫氏の早逝後、残された作品群が散逸しないように松代店に併設して「池田満寿夫美術館」を設置していたが、2017年に閉鎖している。



観光バスへの集合時間に5分あったので、露店で地元産ドライフルーツを購入。アンズとリンゴ。リンゴの方ばかり食べたので撮影時にはアンズばかりになってしまった。

集合時間に遅刻し、息を切らして赤い顔でバスに到着した数人組は最初の酒造店で分かれたはずで、小布施のすべてがBARということだったのだろうか。