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びんずる尊者に瞬間タッチ

2023-05-16 00:00:45 | たび
北向観音を観光バスで出発し、目指すは長野市の善光寺。日本有数の大寺院だ。本堂は南を向いているが南向寺とはいわない。ほとんどの寺院は南向きだからだ。ただしご本尊は本堂の西側にある。

4月5日に本堂の入口近くにある「びんずる尊者像」が盗まれ、即日回収されたことで有名になる。盗んだ男は九州からわざわざ長野に来て実行に及んだのだが、不起訴になった。この像があると不幸が起こるので土に埋めようと思ったと供述したところ、責任能力なしと方面になった。つまり、シャバに戻っているわけで、うっかりしたことは書けない。



まず、参道。かなり長い。いわゆる門前町というのだろうか。全国の社寺の中でも長いと思う。別格は大阪天神橋商店街だろうが、端から端まで歩く気にはならない。



そして、山門と思わせる門があるのだが、これは山門の弟分のようなもので、その先に驚愕の大きさの山門が現れる。門という機能を超えている。もっとも、都市の入口の門というのは軍事施設で、大きくて上から侵入する敵を攻撃できるようになっている。京都の羅生門とか。



ところが、善光寺の山門は常識外れだ。上から攻撃するには高すぎる。そもそも観光客が大勢で山門に入るというようなものではないのが普通だ。入場料を払って山門に上ると、絶景だった。天守閣のような感じだ。



そして、本堂に上がる。真っ先に出迎えてくださったのが『びんずる尊者像』。自分の体の不具合の部分と同じ部分を撫でると症状が軽癒すると言われている。どうせならゴルフの後に痛み出す右ひじをさわろうと思っていたのだが。事件後、一気に人気沸騰したのか長蛇の列が像の左右にできている。列に並んでいるときに気付いたのだが向かって右側の列なので、像の右ひじを触ることはできないわけだ。左側の重要臓器といえば心臓なので、別に悪くはないが予防接種のように心臓でも触ろうかと思い直したのだが・・・

びんずる像の画像は写していない。そもそも本堂内は撮影禁止。盗難の後に戻ってきた像の写真が報道各社の写真でわかるが、撮影禁止の場所なのだが・・

私の前に並んでいたのが70代後半と思しき女性。自分の番になると像に抱きつくように接近し、両手で全身を撫でまわし始めた。それも1分以上続けるわけだ。風俗のサービスじゃあるまいし、からだ全身が病気なのだろうか。頭を撫でるべきじゃないのかな。しょうがないので、彼女が像を撫でまわす動きを観察し、一瞬の隙をついて、心臓あたりを指タッチ。1ミリ程度触った感じが指先に残る。

その後、本堂を巡り、階下の戒壇へ。地下通路の暗闇の中を歩くと、右か左の壁沿いに、幸運の鍵があって、見つけると良いことが起こるらしい(あまり宗教的でないのが怪しいが)。右側ばかりに列があるので左側を進むと、右側の人から「あった」という声が。すかさず右側に横入りすると、大きなカギ型の物体があった。イメージでは5センチぐらいの感じだったが、実物は30センチぐらいの感じだった。

本堂の大きさは東日本最大とのこと。西日本では東大寺が最大だそうだ。もっとも長野県は東日本ではないという人もいる。

北向神社には話題が多い

2023-05-15 00:00:58 | たび
先月の中旬に長野、富山両県にまたがる小旅行に行った。主目的は「(立山黒部)アルペンルート」。前々から訪ねたい場所だったが、何種類もの交通機関を調べるのも難しそうだし、ちょっと怖そうな感じもある。

ということで、旅行社のパッケージツアーを探していたら、アルペンルートの前と後に長野や白馬の宿泊と観光を組み入れたツアーがあった。少し高いような気もしたが、後で考えると、アルペンルートは次々に料金の高い移動手段を乗り継いでいくので、合わせて高額になるのだ。

ということで、最初は東京駅に早朝に集合して新幹線に乗車する。個人旅行では絶対に乗らない時間に集合して車内で朝食。目的地は上田。個人旅行なら、まず上田城に行くのだが、上田で待っていた地元の観光バスに乗って向かった場所は、「北向観音」。「きたむき」と素直に読めばいい。小さな観音堂だが、ここより北の方に善光寺があり、南向きになっていてその反対に北向観音は北を向いていて、ちょうど正対している。

これにより、古来より、善光寺に行くなら北向神社と両参りすべきといわれている。このあと善光寺に向かうまえの作法として訪れるようなものだが、見どころは多い。



まず、参道。とても細く道路との間に川があり橋を渡ってからずっと下って、少し上る。レア感が凄い。



お参りする前には、手と口を清めるのは全国共通の儀式だが、ここは驚くことがある。

水ではなく、温泉なのだ。だから、熱い。温泉で手を洗うのは初めてだ。この神社の傍に別所温泉がある。



そして本堂内にも驚くことがある。提灯が何本かつるされているが。「小林幸子贈」のわけだ。後に帰宅後調べたものの「小林幸子氏は縁が深い」そうだ。よくわからない話だ。



境内の一角には見事な桂の木が生えていて、これが「愛染かつら」と呼ばれている。1937年から1938年に書けて川口松太郎が『婦人倶楽部』に連載して、その後、上原健と田中絹代が出演した映画になった。筋は現代的で、大病院の院長の跡取り息子が、歌の上手いナースと恋愛関係になり、利益相反関係の関係者の妨害を受ける。結果、二人は駆け落ちするのだが、予期せぬファクトがあり、バラバラになってしまう。

後年になり、新展開が始まるというようなこと。その小説に桂の木が登場するわけだ。



また、境内にはいわゆる夫婦杉(めおとすぎ)があるのだが、さらに珍しいのは、夫婦杉が2セット並んでいるということ。つまり4本。珍しいことなのかどうかもよくわからない。根元が一緒で二股に分かれた杉のことと思っていたが、そういうものはないだろう。二股に分かれたのなら夫婦ではなく双子の兄弟ということだろうか。ありえない。

銚子電鉄と遭遇

2023-04-19 00:00:47 | たび
日本一のエンタメ鉄道を目指しているのが銚子電鉄だそうだ。「ぬれせん」「まずい棒」に続き、昨年は「電車を止めるな」という映画を作って、全国巡回で上映しているようだ。

そして、偶然にも犬吠灯台に向かう途中の踏切で遭遇。



思っていたよりも大きな車両だ。都電とか路面電車のサイズじゃない。

駅は全部で10。JRの銚子駅から引き継ぐ形で、犬吠埼の先まで伸びている。現在の電気料金の値上がりが心配だ。1923年の開業ということで今年の7月で開業100年。もっとも100年続けばいいというような問題ではないだろう。(今年は「令和5年」ではなく、「昭和98年」という人もいる)

今さらながらだが、電車でなくてもディーゼル(軽油)車でも良かったのではないだろうか。遅れているようにも思えるが、軽油の品質の低公害化もあるし、今後、充電型や燃料電池型のような架線レスの汎用車両に切り替えることもできるはず。



ところで、先頭車両に続く後続車両だが、内部は風船等でデコレートされているのだが、車両の側面の一部にはグレーの塗装が使われている。本塗りの下地になる錆止めの塗装ではないかとも見える。上塗りするペンキ代がないのだろうか。7月の開業100年をめどに、頑張って運行しようというようにも見える。融資先に疑われないように、上塗りしておいた方がいいと思う。

彼方に屛風ヶ浦を眺める

2023-04-18 00:00:04 | たび
銚子から南へ10キロにわたって、断崖絶壁が続く。日本のドーバーと呼ばれるらしいが、屛風ヶ浦という地名だ。屏風など見たことがない人もいるだろうが、長い崖だ。

実際には、屛風ヶ浦を観るには北側の銚子マリーナ海水浴場の駐車場から遊歩道を歩く必要がある。かなり遠いのは一目瞭然。そして近づくと全体像が見えなくなると思われる。崖の下から眺めることになるのだろう。



突然思い出したのは、大阪の梅田スカイビルの空中庭園。駅からビルに向かって歩くとしばらくして他のビルに隠れてしまい、方向を失って迷ってしまう。また、台北の509mの台北101ビルでは近づきすぎて入口がわからなくなった。

屛風ヶ浦は離れていても十分に全体像が見える。双眼鏡を持ってくればもっと良かった。

実は、このマリーナからイルカ・クジラのウォッチング船が出ていて、今回の旅の大目標だったのだが、1日目、2日目は雨が降っていて、3日目は雨は上がっていたのだが、早朝に確認すると、波が高いので欠航ということであった。銚子の海はことさら荒いので無理はできないということだろう。海に投げ出されればライフジャケットがあっても黒潮に乗って永い旅になるだろう。念のため記しておくが、クジラコースは4時間、イルカコースは1時間ということ。

ところで、遠景ではなく近景。浜辺にいる人達だが、どうも地元の方たちで、砂浜を掘っている。何をしているのかはよくわからないが、地声が大きいからだろうか「アサリ」とか「ハマグリ」とか「チッセエ」とか聞こえてくる。

ここではほとんどの市民のご先祖が漁業従業者のはずで相続財産として漁業権を持っているのだろう。縄文時代、いやそれ以前から続く不滅の産業だ。

灯台へ!

2023-04-17 00:00:44 | たび
ヴァージニア・ウルフの有名な小説に『灯台へ』というのがある。20世紀前半の英国社会に大きな影響を与えた女流作家だった。灯台へ行くとか行かないとか家族旅行の話で家庭不和が起こり、あれこれあって10年経ってから、やっと向かうのだが、「たかが灯台へ行くだけで」と思うが、灯台の立地が違う。

英国の灯台は陸地の近くで島が点在しているような場所で船が座礁しないように点灯しているものが多く、小説の家族は、最終的には海上の小島まで船で行かなければならない。つまり非常に危険なわけだ。躊躇う気持ちにもなる。

日本の場合は大きな灯台というと岬のような場所に高い塔を立てて遠くから見えるようにする。転針点といって、岬から岬に目印を作って航海すると最短ルートになる。灯台に行くだけなら危険はない。

ということで、千葉県の形状的に南端の野島埼と東端の犬吠埼(途中の大東埼にも灯台はある)に大きな灯台がある。



犬吠埼灯台の完成したのは明治7年(1874年)ということで、今年で149年にもなる。白亜の姿は煉瓦作りで、内部階段は99段ということで、実感的には今まで登った灯台の中では一番高いように思える。



展望スペースから眺める海の先にはアメリカ大陸まで何もない。犬が吠えると名付けられた灯台だが、犬はどうして吠えたのだろうか。毎晩眺める月が、なぜか見えない新月の日に吠えたのだろうか。それなら朔太郎より賢い。



犬吠灯台の光が届くところに住んでいて、地元の高校から同音異義語の大学に入った知人がいるが、実際に灯台に来てみると、近くにはめったに人が住んでいない。本当は只者じゃないのか、単なるジョークで言ったのか。いずれ聞いてみたい。

佐原の祭り、山車会館

2023-04-11 00:00:00 | たび
佐原は水運の町であると同時に祭りの町でもある。それも大祭が二つ。

まず、町が本宿と新宿と二つの地区に分かれている。それも江戸時代の最初の頃からのようだ。本宿には八坂神社があり、夏(7月中旬)に祇園祭りを行う。新宿の方は諏訪神社があり秋(10月中旬)に秋祭りがある。

江戸時代初期には神輿を担いでいたが中期になり山車(だし)を引くようになる。年々豪華になっていった。

江戸の方では享保の改革とか倹約気風が漂っていたが、佐原は幕府の意向を受けた地頭(旗本)が祭りを禁止しても、町民が無視していたと言われる。(想像だが、利根川の南側には銚子から関宿まで、ずらっと親分一家たちが並んで抗争を続けていて、とても旗本分際では手に負えなかったはずだ)



現在は、祭りで使われる山車が二基、山車会館に収納されている。二基の山車がちょうど収まる建物だが、歴史があるのは山車の方なので、山車の大きさに合わせて建物が建てられたに違いない。

見るべき日本の祭りなのだろう。

小江戸さわら舟めぐり

2023-04-10 00:00:39 | たび
佐原は、今は香取市の一部になったが、千葉県の歴史の中では長い間、銚子についで千葉県で二番目の市だったそうだ。

古くは江戸時代には利根川に面した水上交通の中継地だった。日本の舟は江戸幕府の方針で外国まで行けないように小さくて底の浅い構造だったので陸地から離れられない。そのため北日本から大消費地の江戸との貨物の輸送には銚子から房総半島を回らず利根川に入り、江戸川との分岐点の関宿(せきやど)から東京湾に向かっていた。

現在でも房総半島の最南端の野島崎は船員にとって緊張する地点になる。野島崎から西に向かう角度は鈍角だが、北上する場合の角度は鋭角になる。しかも船は大きく曲がるのが苦手だ。荷崩れだけならともかく横転したら終わりだ。そのため利根川水路が好まれたわけだ。

そういう事情で川越と同じように「小江戸」と呼ばれてきた。現在では川越は各種電車で数十分という近さから「思い立ったらすぐ行ける」場所だが、佐原はなかなか近くない。船で行くわけにはいかない。鉄道も不便だ。



ということで、特に雨であったこともあり閑散としていたが、韓国からの団体旅行客が結構いたのだが、あまりにうるさいので、時間をずらして佐原の水路を平底の舟で巡ることにする。伊能忠敬の旧宅の前から船に乗る。雨の時には屋根付きになるのだが、浅い川の上には橋がかかっていて大小高さの違う橋をくぐるため屋根の高さが変えられるようになっている。



観光船といえば、毎年のように事故があり、保津川下りの転覆事故の時には船頭二人が亡くなり、乗客も救命胴衣の使い方で戸惑ったようだ。

佐原の場合、そもそも深くないとか流れが緩いとか幅が狭いといわれるが、川底の位置はわからないし、底が浅くても泥沼状だと浮き上がれない可能性もあるのだが、舟に積まれた救命胴衣は、固形式、つまり発泡スチロールの板にカバーがついているものだった。普通はこれのはず。最も安全だ。最初に着用するわけだ。仮に落水すると、胸の位置が浮き上がるようになり自然に気道確保される。

欠点は、動きにくいことと、保管場所を取るため、舟に乗れる人数が減る可能性がある。

救命胴衣には、この他に膨張式というのがあって水に浸かると自動的に圧縮された二酸化炭素が救命胴衣の中に噴き出して拡がる方式があるが、水を感知する仕組みがデリケートであることと、岩場だと、救命胴衣が岩に擦れて破れることがある。さらに救助までの時間が長いと空気漏れしていく。

保津川の場合、さらに自分で紐をひく方式だったので、最も危ない。落ちた時の衝撃で気を失うこともあるし、落ちた瞬間には水面下に沈むので紐が引けるかどうかだし、水を飲んでしまう。



話を舟めぐりに戻すと、実は眺めはそう良くはない。視野が狭いわけだ。低いところから高いところを見るということ。景色を楽しむには上から目線の方がいい。舟めぐりをしている人を川岸から眺める図がいいのだろう。

案内をしている人から聞いたのだが、次の日には「嫁入り舟」の仕事があるそうだ。そういえば倉敷でもやっていた。新夫妻が船に乗って、被写体になるわけだ。

葬儀舟もあるのかと聞きたくなったが、ぐっと我慢する。突き落とされても代わりの衣類は用意していないし。

雨の鹿島神宮

2023-04-06 00:00:36 | たび
東国三社参りの最後は真打といえる鹿島神宮。

その由緒は神話の中につながっているわけで大和朝廷よりも古いのかもしれない。広大な敷地のあちこちが神話的ストーリーと関係があるようだ。

三社参りというのは鹿島神宮、息栖神社、香取神宮のことで正確に言うと平たい二等辺三角形の位置だが、時間的には北から南に並んでいるので、三社回るとなると中央の息栖神社の前に鹿島に行くか香取に行くかということ。

「鹿島立ち」という言葉があり、鹿島神宮から旅行を始めるということらしいが、歴史の中では大和政権が東北以北の少数民族と戦うための基地だったようで、鹿島を出て向かう先は北方だったそうで、それでは三社を巡れない。



ということで、香取→息栖→鹿島ということになり、到着時は既に暗くなりつつある時間だった(寄り道しているからだが)。



そしていわゆる小糠雨で地面も緩んでいて、本殿より奥に入るのは遠慮することになる。



そして、本殿であるが、工事中ということで、白い布に包まれていたわけだ。森を見ず帰るということになった。

息栖神社のとある木

2023-04-05 00:00:43 | たび
東国三社の一つである息栖(いきす)神社。香取神宮のところで書いたが、香取神宮は日本書紀では鹿島神宮より上とされ古事記では鹿島神宮が上とされる。息栖神社は古事記派で鹿島神宮の子分のように書かれているようだ。



この神宮も正式には利根川に面した船着き場の前に鳥居があって舟運にとって重要な神社だったと考えられる。古代にはこのあたりは湖だったようだ。



ただ、なんとなく神社周辺が整備され2年後をめどに区画整備が行われていて、観光用神社になるのかもしれない。今でも東国三社めぐりの観光バス用の駐車場がある。



そして境内にある一本の木に説明が書かれている。

招霊(オガタマ)の木と書かれている。幸運をもたらす木の代表で精霊が宿る木だそうだ。パワーツリー。「折り取らないでください」と書かれている。シンガポールの蘭園と同じだがそちらは「折ったら罰金何ドル」というような書き方だった。

さらに、この木は一円玉の表に描かれている木と同じとされている。

しかし、後で調べると、公式的には1円玉のデザインは「若木」とされ架空の木とされている。5円は稲穂、10円は常盤木、50円は菊、100円は桜、500円は桐と具体的だが1円だけ「若木」というのは、何か事情がありそうだ。どうも神道に近すぎるというので若木と仮面をつけたのではないだろうか。

この木は大きな実を付けるそうで、それで神社の鈴が作られるそうだ。なお全国の苗字1,2位を争う「鈴木」というのは、この木のことだそうだ。

香取神社へ

2023-04-04 00:00:30 | たび
東千葉のたびも予定の3日のうち先の2日が雨ということで、予定変更することに。雨でもなんとかという先として神社めぐりにする。前々から知っていたもののということで『東国三社参り』することにする。三社というのは東から言うと鹿島神宮、息栖神社、香取神宮ということになる。この中で鹿島神宮と香取神宮は巨大神社であるのに対し、息栖神社というのは市街地であれば大き目の神社であるが、二社とはけた違いに小さい。

さらに、鹿島神宮と香取神宮は古事記と日本書紀ではまったく扱いが異なり古事記では鹿島が主で香取が従、日本書紀ではその逆となっている。異なる理由はわからないし、どちらも十分古いということがわかる。そもそも神話的な世界というのは2~3世紀のことと思われるが、その頃の人々の祈りの形態もよくわからない。「何かに祈る」ということはあっただろうがそもそも日本は平和ではなかったのだろう。



さて、香取神宮だがおぼろげの記憶では小学校か中学校の頃の修学旅行の時以来と思う。僅か10年前であればいいがその何倍も前でほぼ記憶がない。そもそも当時は乗り物酔いが激しく観光バスが苦手だった。道も多くは砂利道だっただろう。



本来の参道は利根川に面していて鳥居を船でくぐっていたそうだ。現在も川岸に鳥居はあるが現在の駐車場からの参道を通ることにする。これだけの立派な森があると、ちっぽけな心の人間は圧倒される。空気が綺麗だが、マスクをしていない人はいないので、残念だ。特に、若い人がマスクをはずさないと年寄は遠慮しないといけない。



特に本殿がよろしい。風格がある。



要石は本殿から近い場所にあり、地上に見えるのは漬物石のような大きさ。石の本体は深いところにあるとすると氷山の一角のような形状なのだろうか。

そして、全国に400もの香取神社があるそうで、その中心地だ。全国香取神社会議とか毎年あるのだろうか。席の序列とか大変そうだ。

無印ジャンボ

2023-03-30 00:00:18 | たび
東総の旅。成田空港の発着がよく見える場所がある。詳しくは別稿に書くが、次々と着陸する機体が現れる。そのすき間に離陸する旅客機が列をなしている。



ところが、発着を見るのに飽きた頃に奇妙な機体が飛んできた。



機体の形からB-747。通常ジャンボと呼ばれている。登場した時は驚いた。残念ながらボウイング社は製造を中止したはず。



問題は、この飛行機のデザイン。

白一色だ。

といっても、そんなことがどうして起こるのだろう。

単に根拠なき想像だが、どこかの航空会社がジャンボでの運航を止め、中古市場に出し、やっと買い手がついたということだろうか。A国からB国への移動が終わってから新所有者が塗るということだったのだろうか。

豊川稲荷で勘違い

2022-11-08 00:00:21 | たび
三河の旅の最終は豊川稲荷。京都の伏見稲荷と並ぶ双璧だ。境内には数多くの狐の像が並ぶ。

実は、伏見稲荷が神社であることから、豊川稲荷も神社と思っていたが、豊川稲荷は仏教(曹洞宗)だった。では門前にある大鳥居は何だろうということだが、江戸時代は神仏混交だったというのだが、実際はもっと奥が深い話のようだ。



神社サイドの見立てでは、明治になっての神仏分離の時に多くが神社になり、少数が寺院になったということで、稲荷の本筋は神社だ、ということになる。

一方仏教サイドの見立ては、豊川稲荷は元々が寺院であり、所有する秘仏が手に稲穂を持っていることから稲荷信仰が始まったということになる。



どうも日本古来から狐を神の使いと考える信仰があったようだ。また稲作を祈願する人々がネズミの駆除に活躍する狐を祀ったということかもしれない。

また稲は江戸時代では通貨と同様だったので金満信仰の中心だったのだろう。



そして狐の集団は、ちょっと怖い。

吉良ワイキキ海岸の夜

2022-11-03 00:00:09 | たび
西尾市の南、三河湾に面する地域は海水浴場としても有名だ。称して『吉良ワイキキ海岸』となっている。宮崎海水浴場と恵比寿海水浴場の二つのビーチに分かれる。もちろん、規模も名声も本家には及ばないが、ハワイ州政府の許可は得ているとされている。



関東にいると海の砂は黒っぽいが、西日本に行くと白い砂の海岸も多い。本家のワイキキの砂はオーストラリアの砂漠から運んだらしいが、吉良のワイキキは自前だろうか。



ビーチに平行に観光船が走っているが、サンセットクルーズだ。旅行の事前計画では現地で確認してから乗るか乗らないか考えることにしていたが、予想よりも小さな船体なので遠慮することにした。



さらに暗くなると、電飾された観光船となるが、乗っている方は自分の船は見えないわけリゾートホテルの観光客用ということだろう。

そろそろ関東に戻りはじめることにする。

棒の手(西尾市)

2022-11-02 00:00:18 | たび
『おまんと祭り』(西尾市の中畑八幡社)と同日開催されていた祭りが、近くにある田貫町の神明社で行われた『棒の手』。二社の距離は1キロ弱で、ほぼ同じ時刻に行われるので、両方を見学するのには便利だが、初めて見るのでスケジュールを把握するのは難しい。だいたいにして、どちらにも他県からの見学者は数人といったところだ。しかも駐車場は1キロほど離れた矢作川の河原にある駐車場。つまり、駐車場と二つの神社が一辺1キロの三角形のようになっていて、当日は快晴で30度近い中をウロウロすることになる。



さて、棒の手とは不思議な呼び方だが、江戸時代に帯刀を許されなかった農民の武芸で、西尾町に伝わるのは「鎌田流」と呼ばれている。原則的には(実際には違うが)農民には苗字が許されていなかったので鎌田という苗字がついているのは妙な感じなので、室町時代に遡るのかもしれない。



簡単にいうと棒術だ。2メートルぐらいの棒を振り回して戦う技で地元の青年には保存会で教えているようだ。

保存と言っても、現代日本では刀を振り回す戦いは禁止されているし、警察官だって日本刀の稽古はしていないだろうから、棒術は最強の格闘技かもしれない。



『棒の手』はあくまでも祭りの奉納儀式なので、本当の神事は午後行われるようなので、さらに午前中は学生による演技披露ということであったのだが、それでも棒ではなく長刀と小太刀の戦のような演技もあった。

宮本武蔵は巌流島で佐々木小次郎と戦う際に、刀ではなく渡舟の「かい」を使ったとされるが、どこかで棒の手を会得していたのかもしれない。戦いに負けた小次郎は武蔵に殺されたことになっている。棒で殴られても直ぐには死なないだろうから、殴られ続けられてさぞかし痛い思いをしただろう。

おまんと祭り(西尾市)

2022-11-01 00:00:39 | たび
東海地方で行われている『おまんと祭り』だが、滞在中だった西尾市でも行われた。矢作川に近い中畑八幡社で行われているがコロナで2年間中止されていたそうだ。

『おまんと祭り』だが、広場を走り回る馬の首にしがみついて何十メートルか走るわけだ。成人になった時とか、厄年の男がチャレンジするそうだ。(自主的か義務的かはわからないが)



会場にはすでに木の枠が完成している。そして何頭もの馬が交互に登場する。何しろ馬だ。人間よりずっと早くずっと大きい。首につかまれず失敗したら大けがをするかもしれないし数百キロの体重で踏みつけられるかもしれない。



そして、ついに馬が走り出す。



柵の外にいても馬が柵内を円形に走るため、衣服に砂がかぶってしまう。

西尾市に生まれないでよかった・・



言うことを聞かずに勝手に独走する馬もいる。