三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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皇甫康子「「慰安婦」問題をどう伝えるか」

2020年02月12日 | 海南島近現代史研究会
 以下は、2020年2月8日に開催した海南島近現代史研究会第25回定例研究会(主題:歴史認識と社会変革)での皇甫康子(ファンボ・カンヂャ)さんの報告(「慰安婦」問題をどう伝えるか)の要旨です。
 次回の海南島近現代史研究会第14回総会・第26回定例研究会は、9月5日に開催します。

                     海南島近現代史研究会

■「慰安婦」問題をどう伝えるか■   

 1991年12月、初めて元「慰安婦」だと名乗られた金学順さんの証言会が大阪で開催された。被害女性たちが語る事実に驚愕し、名乗り出た勇気に応えるためには日本を変えていかなければという機運を強く感じることができた。被害者の女性たちの話を聞くと、必ず出てくるのが「私たちのような被害者を二度と作らないでほしい」という言葉だった。

●元「慰安婦」の女性たちの願いは
 「謝罪」と「再犯防止」
 「再犯防止」には反省の歴史としての事実を残し、語り継いでいくことが必要。
 教科書に記述されることが重要。→取り組む根拠となる。

●「慰安婦」問題を教えたいがどう教えて良いかわからない。
 こんな現場の意見に答えるために制作したドキュメンタリービデオ
 1994年に制作「それでも生きた~クレドサラワッチ~」歴史編、現代編の二部構成40分
 現代編には「在日」への差別問題や性暴力の問題も入っている。
 英語版も製作し、1995年の北京世界女性大会で報告。中学校や高校、大学、女性センター、人権のつどいなど、日本全国で教材に使ってもらったり、啓発のための集会や講演会で上映されたりした。

●「少女像」バッシングの中での伝え方
 平和学習からのアプローチ
 戦時性奴隷は人間を支配するための戦略的な安い武器。地域や共同体、家族の基盤である女性たちを破壊し、根深いダメージを与えるための攻撃手段。経済的利益を得るため、加害者が罰せられずに逃げおおせる「罰せられない文化」を変革するには、被害者たちが告発できる社会にすることが必要。平和なときの差別意識が戦時には噴き出す。だからこそ、平和なときの人権教育が大切だ。(2018年ノーベル平和賞受賞コンゴのムクエゲ医師のことば)
 防災教育の中に性暴力の問題を入れ込む。(被災時に告発しにくい性暴力の被害)
 #MeToo運動から考える。→日本社会、韓国社会に存在する女性差別の問題とつなげて考える。金学順さんをはじめ、名乗り出た女性たちは先駆的存在という位置づけが若い人たちの共感を呼ぶ。

●民族学級でどのように伝えるのか、悩む民族講師たち。
 まずは、伝えられる情報を共有し、伝え方をみんなで考える。
 絵本「コッハルモニ」や漫画「草」の活用(日常的な教育活動の中に入れ込む)
 当事者につながる人間としての思い。(無力感)
 強制連行の写真、アウシュビッツの「やまのような死体」の写真
 「かわいそうな朝鮮人の女性」ではなく「生き抜いてきたことが素晴らしい」(自分も生き抜けると希望を持つ女性たちがいる)
 「名乗りでた勇気」(金学順さんの存在がドイツ強制収容所や世界の性奴隷被害者に勇気を与えた)
 「コンゴ、ウガンダ、ナイジェリア、シリアなどの紛争地の性奴隷被害者や、ベトナム戦争時の韓国軍による性暴力被害者への支援、朝鮮学校の子どもたちへの支援活動もしている尊敬できる女性」(金福童ハルモニ)
 「加害者を罰せられない文化」を変えていくために、記録し、記憶し、伝えていきたい。


■「ミリネ(朝鮮人従軍慰安婦問題を考える会)」の活動紹介■ 2020年2月8日
        「在日」女性の集まり「ミリネ」代表 皇甫康子(ファンボ・カンヂャ)

 91年に在日同胞の女性たちと「朝鮮人従軍慰安婦問題を考える会」(以下「考える会」を立ち上げた。
 朝鮮人女性が抱える女性差別、民族差別を解消するための根源的な問題として「慰安婦」問題の解決を求める活動をはじめた。最初は「従軍慰安婦問題を考える在日同胞女性の会(仮称)」が91年に発刊したパンフ、「私たちは忘れない 朝鮮人従軍慰安婦 ―在日同胞女性からみた従軍慰安婦―」を販売することからはじめた。パンフの内容は当時、挺身隊問題対策協議会会長だった、尹貞玉(ユン・ジョンオク)さんが来日し、同胞女性たちに訴えた報告内容と「慰安婦」問題をどう見るかという「在日」女性の視点がだされている。
 このパンフに刺激を受け、91年8月24日、尹貞玉さんを大阪に招いて、「朝鮮人従軍慰安婦問題を考える集い」を開催した。この時、伊丹の大阪国際空港まで尹先生を出迎えた私は車の中で、はじめて元「慰安婦」と名乗りを上げた金学順さんの話を聞かされ興奮した。沖縄のペ・ポンギさん、タイのユ・ユタさんが名乗られていたのだが、多数生存されているはずの韓国で、名乗る人が一人もいなかった。軍事独裁政権下でも地道に研究、調査はしてきたが、この先、被害者不在で真相究明や謝罪・補償を求めることは困難だと  尹先生は思われていた。集会当日は金学順さんの報道もあり、300人以上が参加し、熱気あふれる講演会となった。この時の参加者とはその後、いろいろな場面で出会い直すことになるのである。

■―91年8月24日「朝鮮人順軍慰安婦問題を考える集い」開催。
 ―91年10月から創作劇「私たちは忘れない、朝鮮人従軍慰安婦」の上演。
 尹先生を招いての講演会のあと、「慰安婦」問題や「在日」について、たくさんの人たちに知ってもらうために、創作劇を上演しようということになった。
 91年10月26日、大阪府豊中市立婦人会館のイベントで、はじめて上演することができた。その翌日の朝日新聞に「思いのこもった演技に会場から大きな拍手がわき、『こんな事二度と繰り返されてはいけない。』と涙ぐむ在日一世の女性もいた。」という一文が入った創作劇上演の記事が掲載された。その後、京都、奈良、兵庫、東京、埼玉の11ヶ所で上演することができた。構成劇の上演を通じて、たくさんの出会いがあった。92年4月、東京YWCAでの上演後、埼玉の丸木美術館に宿泊し、今は亡き、丸木位里さん、俊さんと会えたことも得難い思い出の一つだ。
 せりふを覚え、毎回、緊張が高まる劇はかなりしんどかった。だからこそ、観た人に感動してもらえたと、今でも思っている。

■―91年11月から「朝鮮人従軍慰安婦に関する六項目早期実現を求める署名運動」
 1.日本政府は朝鮮人女性たちを従軍慰安婦として強制連行した事実を認めること。
 2.そのことについて公式謝罪すること。
 3.蛮行のすべてを自ら明かにすること。
 4.犠牲となった人々のために慰霊碑を建てること。
 5.生存者や遺族たちに補償すること。
 6.こうした過ちを再び繰り返さないために歴史教育の中でこの事実を語り続けること。
という挺身隊問題対策協議会が出した6項目の早期実現を要求する署名運動を行い、5ヶ月で36、765名の署名と605の個人・団体の賛同人を得ることができた。92年3月28日には「朝鮮人従軍慰安婦問題早期解決を求める集い」を開催し、約400人が参加した。31日に「署名提出東京行動」を行い、日本政府と交渉した。同胞だけでなく、たくさんの日本人のグループや団体・個人との協力関係が生まれた。

■―91年12月11日、大韓教会婦人部と「金学順さんを囲む同胞女性の集い」開催。
 日本政府を相手に補償を求めて東京地裁に提訴するため、金学順さんが来日した。この時はじめて91年11月に関東で結成された「従軍慰安婦問題ウリヨソンネットワーク」(98年解散)と連動して東京、大阪で金学順さんの証言会を行った。各地で開かれた証言会に同行する等、「考える会」のメンバーが全力を上げて協力した。何度も証言するという緊張感の中、同胞女性たちに囲まれた時だけ、歌を歌って、くつろがれていた金学順さんの姿が今も目に焼き付いている。

■―92年2月8日、「突撃一番」は生きていた!オカモト糾弾2・8集会を開催。
 旧日本軍が「従軍慰安婦」と呼ばれた女性たちを集団強姦した際に使用されたコンドーム「突撃一番」と同じコピーが入った、コンドーム「ラバーマン」が販売されていたことが判明した。92年9月に発見した「性暴力を許さない女の会」から知らせを受け、すぐに抗議文をオカモトに送り、11月26日にはオカモトの大阪支社で「性暴力を許さない女の会」をはじめ、在阪の女性団体と一緒に話し合いを持った。あまりに誠意のない態度だったので、92年2月8日に糾弾集会を開催した。その後、満足できるものではないが、反省と商品の回収を行い、「突撃一番」の商標は廃止するという回答を得た。抗議活動を通じて、在阪の日本人女性たちのグループとの深い連帯活動が実現した。

■―93年10月27日~11月13日ノリペ・ハントウレ「声なき挽歌」上演会を開催。 
 「慰安婦」問題を劇にしたという韓国の新聞記事を見て、日本での上演会をしようということになった。この頃、元「慰安婦」の女性たちの生活は不安定で、92年10月に仏教人権委員会が中心になって、「ナヌメチップ(わかちあいの家)」(元「慰安婦」の女性たちが、集まって生活する家)が開院された。しかし、「ナヌチップ」も移転を余儀なくされ、先行きが不安だと聞いていた。劇団と話し合って、日本公演での収益金を「ナヌメチップ」建設基金にすることにした。亡くなられた、姜徳景さん、金順徳さん、朴頭理さんたちがいらっしゃった「ナヌメチップ」を訪問し、日本公演の報告をすると、とても熱い期待を寄せて下さった。
 公演は熊本、福岡、広島、松山、香川、今治、神戸、大阪、京都、名古屋、横浜、東京の13地域で15回公演が行われ、のべ5千人が観劇した。上演会を通じて知り合った、市民団体や同胞の人たちとはその後もずっと協力関係を持ち、活動を続けることができた。96年12月には、京畿道にある現在の「ナヌメチップ」にハルモニたちは居を構えられた。私たちの活動が新しい家の建設に少しでも、役立てたことが何よりうれしいことだった。

■―朝鮮人従軍慰安婦問題 資料集 三巻の発行。
 91年5月28日、ソウルで挺身隊問題対策協議会主催による「挺身隊問題に関する講演会と詩画展が開催され、韓国ではじめての講演会として注目を集めた。その時に発行された「挺身隊問題 資料集Ⅰ」の尹貞玉さんの「挺身隊、何が問題か」という講演録の翻訳と国内外の新聞記事をまとめたのが、資料集Ⅰである。(91年発行)
 資料集Ⅱでは91年8月24日の「朝鮮人従軍慰安婦問題を考える集い」でのユン貞玉さんの講演録、12月14日、奈良での金学順さんの証言録と金慧媛さんの講演録、奈良柳本慰安所調査記、10月14日(死亡推定日)に亡くなったぺ・ポンギさんの追悼式(12月6日)が那覇市内で行われ、金伊佐子が参加した報告、韓国と日本の新聞記事などを収録した。(91年1月31日発行)
 資料集Ⅲでは「補償を求める裁判闘争支援のために」ということで、92年3月29日、アムネスティ野路菊が神戸で開催した、ユン貞玉さんの講演録「朝鮮人従軍慰安婦~証言から明かにされた実態~」、91年12月8日、在日韓国青年連合主催集会、故・金敬得弁護士の講演録「補償問題とは」と韓国、日本の新聞記事などを収録した。(92年6月1日発行)
 92年8月11日・12日、ソウルで開催された「挺身隊問題アジア連帯会議」には韓国・在日・フィリピン・タイ・台湾・香港・日本の6カ国の女性たちが集まった。その報告集を同年、10月28日に「従軍慰安婦問題行動ネットワーク」として発刊した。

■―95年4月、ドキュメンタリービデオ「それでも生きた・クレドサラワッチ」制作。
 9人のメンバーが講演や演劇上演で、「慰安婦」問題を広範囲に知らせるには限界があると考え、中学生が理解できる教材ビデオを制作することにした。内容は第一部「歴史編」と第二部「現代編」の二本立て、全体で45分の長さの中に在日問題や女性問題も入れ込んだ。1994年1月からスタートしたビデオ制作は、シナリオづくり、編集と地味な作業が続いたが、8月には関釜フェリーで釜山に、鉄道でソウルに上がり撮影を行った。恵化洞のナヌメチップで行った、ハルモニたちのインタビューで胸がいっぱいになり、「水曜デモ」では胸が熱くなった。
 「水曜デモ」で映画「ナヌムの家」のピョン・ヨンヂュ監督と撮影がかち合い、お互いにエールを送り会った。彼女とはその後97年制作の「ナヌムの家Ⅱ」の日本での記者会見、98年のナヌムの家「日本軍従軍慰安婦記念館」の開館式、2000年の「全州映画祭」、同年11月には大阪女子大学で行われた講演会で、一緒になった。拙い韓国語で話してみると、最初の出会いから全てを記憶していて、驚いた。挨拶を交わしただけのことまで覚えていて、なんて人間観察の鋭い人かと感心させられた。
 ビデオは英語版もつくり、95年8月末から開催された「北京世界女性会議」でビデオの一部を上映し、宣伝活動を行った。その場で購入する人もいて、励まされた。中学校や高校、大学、小さな集まりから大きな集会まで、いろいろな所でビデオ上映が実現し、講演に呼ばれる私たちも大忙しだった。97年に出版された「中学生マジに近現代史」(ふきのとう書房)の著者で、当時、都立中学校教諭の増田都子さんから、ビデオを観た中学生たちの感想文が届いた。
 また、96年にはドキュメンタリービデオ、「イヂェプト 今から~世代を継いで生きる在日朝鮮人女性たち」40分を制作した。この時から「ミリネ」(朝鮮語で銀河)という新しいグループ名も使いはじめた。ビデオ「イヂェプト 今から」も女性センターや人権センター、夜間中学など日本各地で上映された。2000年には韓国全州映画祭に出品され、数年前には韓国の市民団体による在外同胞映画祭でも上映された。

■―その他の活動
 93年4月には「在日」の元「慰安婦」宋神道さんが日本政府へ提訴し、「在日の慰安婦裁判を支える会」が結成された。私たちも裁判支援のため、東京に行ったり、大阪に宋神道さんを招いたりした。94年3月に東京で開催された「女性の人権アジア法廷」に参加し、95年、日本政府による「女性のためのアジア平和国民基金」への反対運動と北京世界女性会議での発表を行った。96年3月には13団体、16個人の参加・賛同を得て「『国民基金』撤回を求める関西・女のネットワーク」発足集会を行った。98年にVAWW‐NETジャパン(戦争と女性への暴力日本ネットワーク、代表・松井やより)が結成され、2000年、12月には「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」が東京で開廷された。

■2013年6月8日「橋下市長の『慰安婦』・性暴力発言を許さず辞任を求める集会共催

■2016年6月「家族写真をめぐる私たちの歴史」刊行・ 2019年3月韓国でも翻訳版出版

■<現在とこれからの活動について>
 「考える会」の活動は、「『国民基金』撤回を求める関西・女のネットワーク」の中でその後も抗議集会や証言会、講演会と活動を続けてきた。しかし、「慰安婦」問題解決のための直接的な活動も限界になってきた。92年1月から99年10月の間で29号を発刊した朝鮮人従軍慰安婦問題を考えるニュース」を発展させ、2000年からは「在日」女性の視点を発信する「ミリネ通信」と名前を変え、「考えるニュース」から数え2019年11月まで97号を発行している。「ミリネ」とは朝鮮語で「銀河」という固有語である。点在する「在日」女性たちが元気に輝けるように、という思いでつけた。
 刷新した通信は「慰安婦」問題だけでなく、「女性・人権・教育・労働」と「在日」女性たちが直面する問題を取り上げている。また「韓国女性だより」として、韓国の新聞を翻訳し、その時々の情報を提供している。記事の内容は、ミリネ「考える会」が主催した講演会や学習会の報告をはじめ、「多文化共生教育や国際交流の取り組み」「民族教育」「康由美弁護士入居差別裁判」「アイヌ・被差別部落・沖縄の女性たちや、ネパール・インドのダリットの女性たちとの活動交流」(04年10月、報告集「マイノリティ女性のエンパワメント」を発刊)「グアテマラ先住民族女性たちの活動現場を訪ねた訪問記」「ハワイの『写真花嫁』となった韓国人女性」「性暴力事件」、私たちが企画した「『在日』の家族写真展」「映画案内と図書案内」等々、多岐に渡っている。ありがたいことに「考える会」結成当時からずっと購読してくれている会員をはじめ、現在も100人以上の人に通信を届けている。毎年、必ず購読料を振り込んでくれる人、出会った時に手渡してくれる人、新規購読者になってくれる人、そんな人たちの存在を感じるたびに、これからも主張のある面白い記事を発信していきたいと思う。

■「慰安婦」問題、教科書記述
 戦後補償・「慰安婦」問題の教科書記述は1995年使用の高校教科書に、1997年使用の中学校の全教科書に記述された。しかし、2001年、「慰安婦」問題を取り上げた教科書を「自虐史観」であると批判した、新しい歴史教科書を「作る会」の教科書が中学校教科書の検定に合格した。2002年には「慰安婦」問題を記述した教科書は3つ、2005年には2つ、2013年には全て消えている。
 再犯防止として、歴史教育の中でこの事実を語り続けることが困難になっている現状は2013年の「戦時下であれば、『慰安婦制度』が必要だった」橋本暴言、2015年12月の「日韓合意」、言論弾圧を繰り返す安倍政権と繋がっている。歪んだ「歴史認識」がどんどん、流布される状況下、女性をはじめ、外国人に対する排除と差別を助長する雰囲気が強くなっている。再度、良識ある日本人たちと共に、「歴史事実を認めない」「排除や差別を助長させる」ことで、得をするのは誰なのか、しっかりと考え、行動していきたい。

■実教出版の現代社会の教科書に「慰安婦問題」の記述が。
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