三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

植民地朝鮮における歴史認識と分断国家朝鮮における社会変革

2020年02月13日 | 海南島近現代史研究会
 以下は、2020年2月8日に開催した海南島近現代史研究会第25回定例研究会(主題:歴史認識と社会変革)での金靜美の報告(植民地朝鮮における歴史認識と分断国家朝鮮における社会変革)の要旨です。
 次回の海南島近現代史研究会第14回総会・第26回定例研究会は、9月5日に開催します。

                     海南島近現代史研究会


■植民地朝鮮における歴史認識と分断国家朝鮮における社会変革■
                                    
(一)歴史認識について
 歴史とはなにか。
 ※民衆の生と死の集積
 歴史をどのように認識するのか。
   植民地朝鮮における歴史認識と分断国家朝鮮における歴史認識とは異なるのか。
   日本の他地域他国侵略・他地域他国植民地化を肯定する歴史観はどのように形成されるのか。

(二)植民地朝鮮における歴史認識
 ■大韓帝国は、なぜ大日本帝国の植民地になったのか
 1592年~1593年:壬辰倭乱。 1597年~1598年:丁酉倭乱。
 1811年~1812年5月:平安道農民戦争(洪景来の乱)。
    洪景来(1812年5月29日〈陰暦4月19日〉戦死)、禹君則、金士用、李禧著、金昌始などが
   中心。朝鮮西北地方の大商人、郷任層、武士、流浪農民などが連合。
 1862年(壬戌) 旧暦2月~旧暦11月:「壬戌民乱」(「晋州民乱)。
    農民を主体とする民衆闘争。樵軍(晋州民衆)、郷任の柳継春の指導下に白い頭巾をかぶり
   竹槍と棍棒で官衙を壊し農村の富民たちを襲撃した後に解散。
    慶尚道丹城→慶尚道晋州→慶尚道20の郡県・全羅道37の郡県、忠清道12の郡県→京畿道、咸
   鏡道・黄海道など。
 1875年9月20日~22日:日本小型砲艦「雲揚」、朝鮮の首都に近い江華島海域に侵入
    → 1876年2月26日:朝日修好条規(江華島条約。丙子修交条約)調印・発効。
 1882年:壬午軍乱。
 1894年2月15日:朝鮮全羅道古阜で甲午農民戦争(東学農民運動。東学農民革命)開始。
 1894年6月1日:甲午農民軍、全州占領。紀綱「済世安民 逐滅倭夷 尽滅権貴」。
 1894年6月2日:日本政府、清国の「朝鮮出兵」に「対抗」し、朝鮮への日本軍侵入を決定。
 1894年6月3日:朝鮮政府、甲午農民軍を「制圧」するために清国に援兵要請。
 1894年6月8日:清国軍1500人、牙山に上陸。
 1894年6月10日:全州和約(朝鮮政府と甲午農民軍の間の和約)。甲午農民軍、自主的に全州から撤退。
 1894年7月23日:朝日戦争(日本軍、朝鮮王宮占領)。
 1894年8月20日:「日韓暫定合同条款」調印。
    ※「此度日本政府ハ朝鮮國政府ニ於テ內政ヲ改革センコトヲ希望シ朝鮮政府モ亦タ其急務タルヲ
    知覺シ其勸吿ニ從ヒ勵行スヘキ各節ハ順序ヲ追テ施行スヘキコトヲ保証ス」、「本年七月二十三
    日王宮近傍ニ於テ起リタル兩國兵員偶爾衝突事件ハ彼此共ニ之ヲ追究セサル可シ」。
 1894年10月1日:甲午農民軍、再烽起。日本軍と交戦。
 1894年10月4日:日本軍、仁川上陸。10月23日:日本軍、鴨緑江を渡り清国に侵入。11月8日:日本連合
    艦隊、大連湾占領。11月19日:日本軍、旅順攻撃開始(11月21日、占領)。11月21日~25日:日
    本軍、旅順大虐殺。
 1894年12月7日:甲午農民軍、公州で大敗。12月28日:全琫準、淳昌で日本軍に逮捕されソウルに。
 1895年4月23日:全琫準ら処刑される。
    【画像1】大芚山878 m アム峰(甲午農民戦争最終激戦地)
          忠清南道論山市・錦山郡 、全羅北道完州郡
          (撮影:趙成鳳 진달래산천 산행主催)
    【画像2】大芚山にある甲午農民軍の碑
            「19世紀末、日帝の侵略と朝鮮の腐敗した官吏たちを
           追い出すために憤然と立ち上がった……東学農民義兵……」
          (2001年2月18日建立)(撮影:趙成鳳)
     ※申東曄(1930~1969年)
           진달래산천
           길가엔 진달래 몇 뿌리
           꽃 펴 있고,
           바위 모서리엔
           이름 모를 나비 하나
           머물고 있었어요.

           잔디밭엔 장총(長銃)을 버려 던진 채
           당신은
           잠이 들었죠.
           
           つつじの山河
           野辺には つつじが いくつか
           花を咲かせている
           岩はだでは
           名前を知らない ちょうが一羽
           羽を休めていた

           くさむらでは 長銃をなげすてたまま
           あなたは
           眠りに落ちていた
 1895年~1896年:義兵戦争。
 1897年10月:朝鮮の国名が大韓帝国となる。
 1899年~1904年:活貧党(朝鮮中南部の武装集団)の闘い。
     ※大韓四民論説十三条目:農民や商人の待遇改善、防穀令実施、外国人への利権供与
     反対・外国人に奪われた利益の奪還(鉱山開発権・鉄道敷設権など)、土地再分配要
     求。監獄を襲撃し獄中者を解放し武器を奪取。
     ※反日武装烽起:日本との通商禁止要求、日本人排斥、日本人商店・日本などの外国
     資本が作った鉄道などを破壊。日本軍によって、ほとんどが処刑された。
 1904年8月:第一次韓日協約(韓日外国人顧問傭聘に関する協定書)。
 1905年1月:日本政府、独島を「隠岐島司ノ所管」し「竹島」と命名する閣議決定(2月、島根
    県知事、「竹島」が隠岐島司の所管となったと告示)。

 ■植民地朝鮮(日帝強占期朝鮮)における朝鮮民衆の抗日反日闘争・日本の国家犯罪
 1905年~1914年:反日義兵が中心になって独立戦争(抗日義兵戦争)。日本軍、朝鮮各地で虐殺。
    ※大量の武器と弾薬をもって襲撃してくる日本の軍警に、日本側文書によっても1万7千人
    を越す朝鮮民衆が殺害された(朝鮮駐箚軍司令部『朝鮮暴徒討伐誌』1913年)。
    ※「韓国暴徒を輸入せんとす 統監府の追放する暴徒を片ッ端から日本に運ぶ計画」(『大
    阪毎日新聞』1908年5月3日)。
    ※「一時猩獗ヲ極メシ全羅南道ノ暴徒ハ大討伐ノ結果逮捕及自首千三百名ニ達シタリ……強
    制労働ヲ施セハ遷善ノ見込アルヲ以テ此五百名ニ対シテハ起訴猶予処分ニ付シ此起訴猶予者
    ヲシテ……道内海南河東間三十五里ノ道路開鑿ヲ計畫シ将ニ実行ニ着手セリ」(「全羅南道
    暴徒帰順者授業ノ為道路開鑿工事起工状況」(『韓国警察最近事務概要』1910年前半?)。
 1905年:第二次韓日協約(乙巳保護条約)。
 1906年:日本政府、韓国統監府設置。
 1907年7月:第三次韓日協約。
 1909年10月26日:安重根のハルビン駅での闘い(1910年3月26日、処刑)。
 1910年8月:大日本帝国、大韓帝国を日本領土とする(韓国併合ニ関スル条約)。
    9月:日本政府、朝鮮総督府設置。
 1919年:3・1独立運動。
 1919年4月11日~1948年 :大韓民国臨時政府。
    上海→杭州→南京→長沙→広州→綦江→重慶
 1919年9月2日:姜宇奎の南大門駅での闘い(1920年11月29日、処刑)。
 1920年6月:鳳梧洞戦闘。
 1920年10月:青山里戦闘。
 1924年1月4日:義烈団員金址變の二重橋での闘い(1928年2月、獄死)。
 1926年6月10日:6・10運動。
 1929年1月~4月:元山ゼネスト。
 1929年11月:光州学生運動。
 1930年5月30日:間島5・30烽起。 8月1日:8・1吉敦闘争。
 1932年1月8日:李奉昌の桜田門外での闘い(10月10日、処刑)。
 1932年4月29日:尹奉吉の上海虹口公園での闘い(12月19日、処刑)。
 1943年3月 日本政府、「朝鮮総督府受刑者海南島出役に伴う監督職員等増員に関する件」閣議決定。
 1945年夏 「朝鮮村虐殺」(日本海軍海南警備府第16警備隊の兵士ら、「朝鮮報国隊」の朝鮮人を虐殺)。

(三)分断国家朝鮮における社会変革
 1945年8月20日ころ:アメリカ合州国とソ連が38線の南北に朝鮮を分断。
 1945年9月6日:朝鮮人民共和國、建国。10月10日、解体。
 1945年9月8日~1948年8月15日:南部朝鮮で、在朝鮮アメリカ合州国陸軍司令部軍政庁(USAMGIK)
    が占領行政。
 1945年10月3日~1946年2月8日:北部朝鮮で、ソ連民政庁が占領行政。
 1946年5月~1949年3月:朝鮮人23人・台湾人21人、「戦犯裁判」で処刑。
 1946年11月3日:戦犯を日本国および日本国民統合の象徴とする「日本国憲法」公布(1947年5月3日施行)。
 1948年2月:朝鮮人民軍、創立。
 1948年3月4日~:済州島四・三(在朝鮮アメリカ合州国陸軍司令部軍政庁支配下の済州島で)。
    【画像3】済州地域行方不明犠牲者 慰霊碑(「4.3平和公園」)(2017年5月28日撮影
    ※ドキュメンタリー『レッドハント』趙成鳳監督
 1948年8月15日:大韓民国、成立。9月9日:朝鮮民主主義人民共和国成立。9月:韓国軍創立。
 1948年10月19日~:韓国で麗水反乱。
 1948年~:韓国で、智異山パルチザン。
    【画像4】빨치산대원움막(智異山中にあるパルチザンの住居址)
          (2016年7月1日撮影)
    ※金永昇さん(1935年8月7日、全羅南道霊光郡で生まれる)のドキュメンタリー撮影に同行。
     金永昇「わたしはわたしである わたしはなぜ、パルチザンになったか」
        (2016年12月21日、22日、23日三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・
       裵相度)の追悼碑を建立する会・紀州鉱山の真実を明らかにする会のブログに連載)
     1950年9月28日:山に入り下山せず、パルチザンに。
     1954年2月20日:智異山南方の白雲山で4発の銃弾を受けて捕まる。
     1989年9月5日:清州保安監護所から非転向出獄。保護観察対象者、指定。逮捕されてから35年7か月後。
1949年6月5日:韓国政府、「国民保導連盟」設立。
1950年6月25日:朝鮮人民軍、38度線を越えて軍事行動開始。
    【画像5】朝鮮戦争時、韓国軍に虐殺された民間人の遺骨
         慶尚北道慶山市のコバルト鉱山跡から発掘された遺骨
          (2014年2月25日撮影)
    【画像6】コバルト鉱山の遺骨について説明をする張明守さん(1957年生)
         (2014年2月25日撮影)
     ※張明守さん
         「小さいとき、ここに入ってはいけないと言われていた。恐ろしいとこ
        ろだ、危険だと。坑道は20キロ~25キロ。コバルト鉱山は、日本人が来て、
        1942年から採掘された。
         ここは대원골といわれている。怨(원)が大きいところという意味だ。山の
        名前は、현성산。
         垂直坑に投げ込まれている。長い年月のあいだに土で埋まってしまった。
        3年前、発掘しようとしたとき、土で埋まって垂直坑の上からは掘り出せず、
        横から掘り進んで行って、出せる遺骨だけ出した。300余遺体。
         証言では、大邱刑務所から受刑者が大型車で連れてこられたという」。

 1953年7月27日:国連軍と中朝連合軍、休戦協定(朝鮮における軍事休戦に関する一方国際
   連合軍司令部総司令官と他方朝鮮人民軍最高司令官および中国人民志願軍司令員との間
   の協定)。
 1956年~:朝鮮民主主義人民共和国で、千里馬運動。
 1960年4月:韓国で、四月革命。3月15日:馬山義挙。
 1980年5月:韓国で、光州民衆抗爭(5.18民主化運動)。
 1987年6月10日~10月29日:韓国で、6月民主抗争。 5月27日:民主憲法争取国民運動本部
   結成。 10月29日:大統領直接選挙制。
 1996年~2000年ころ:朝鮮民主主義人民共和国で、「深化組事件」
 2016年11月~2017年5月:韓国で、朴槿恵退陣非常国民行動

さいごに
1、各地に埋められている日本の侵略による被害者の遺骨
■進まぬ強制徴用被害者の遺骨返還  背を向ける日本と消極的な韓国
 韓国行政安全部によると、日本で発掘後に保管されている朝鮮半島出身の徴用・徴兵犠牲者の遺骨は2770柱に上る。寺や納骨堂など日本全域の約340カ所に散在する。
(「聯合ニュース」 2018/06/01 11:58)
■沖縄戦没者の遺骨返還へDNA鑑定を 韓国の遺族が日本政府に要請
 【東京聯合ニュース】日本による植民地時代だった戦時中に動員され、沖縄で死亡した朝鮮半島出身者の遺骨を遺族のもとに返すためのDNA鑑定を積極的に実施するよう、韓国の遺族が日本政府に要請した。
(「聯合ニュース」 2020.01.21 15:53)
■「韓日市民団体、日本政府に沖縄死亡の韓国人遺骨の焼却中止を要求」
 日本政府は硫黄島の戦死者が2万1900人であると把握しており、この中で韓半島(朝鮮半島)出身は今まで確認された人だけで170人に達すると伝えられた。
 両国の市民団体は遺骨を遺族に返還するように発掘された遺骨を現地で焼却することを中止してほしいと求めた。また、太平洋タラワ、硫黄島など遺骨の発掘に関連した細部事項を公式に知らせ、遺族を相手にしたDNA型鑑定比較・対照作業を拡大してほしいと付け加えた。
(「中央日報日本語版」 2020.01.22 11:52)

2、海南島「朝鮮村」の遺骨
    【画像7】2015年11月21日の「朝鮮村」で
         ガラスの展示ケース内の遺骨がない

3、紀州鉱山で亡くなった朝鮮人の遺骨
    【画像8】本龍寺本堂に残されていた朝鮮人の遺骨
         (1997年11月16日、撮影)
    ※本龍寺の兼任住職をしている宗応寺(新宮)の住職との電話で(2019年11月16日)
         「本龍寺の朝鮮人の遺骨は、いまはない、宗務庁の人権擁護推進本部
        から来て持って行った、いまどこにあるかわからない、人権擁護推進本
        部から本龍寺に感謝状が届き、いま額に入れて本堂にかけてある」
    ※曹洞宗人権擁護推進本部の工藤氏との電話で(2019年11月25日)
        「 (無縁塚から遺骨を持ちだしたのは事実か、とまず確認し、その経緯を
       尋ねると)答えられない。
         (遺骨は現在どこに置かれているのか聞くと}答えられない。
       (あなたの人権擁護推進本部での役職は何か)答えられない。本部員です。
          いま日韓関係が????なので、返還できないで、そのまま置いてある」。
コメント   この記事についてブログを書く
« 皇甫康子「「慰安婦」問題を... | トップ | 「「ハルメの蝶が飛ぶから…」... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

海南島近現代史研究会」カテゴリの最新記事