三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

「朝鮮村」・月塘村・長仙聯村・沙土・旦場村……

2015年08月22日 | 海南島近現代史研究会
海南島近現代史研究会 第9回総会・第16回定例研究会 2015年8月23日
主題:17年間の海南島「現地調査」で明らかになったこと
主題報告 「朝鮮村」・月塘村・長仙聯村・沙土・旦場村……
                                 佐藤正人

■1998年~2015年。
 出会いと再会……と別れ。
 証言・現場。
 歴史認識(歴史的事実を知ること、探求すること)と記録。

■1869年~2015年。日本の近現代史は、他地域他国侵略の歴史。
 1592年~1593年 壬辰倭乱、1597年~1598年、丁酉倭乱。
 1609年 薩摩軍、琉球国に侵入→幕府、琉球国を薩摩藩の「所管」とする。
 1840年~1842年 アヘン戦争。
 1869年9月 日本政府(維新政府)、アイヌモシリを日本領土とし「北海道」と名づける。
 1872年10月 日本政府、「琉球藩」設置(琉球国王を琉球藩王・華族に。「第1次琉球処分」)。
 1876年2月27日 日本政府、江華府で朝鮮政府に不平等条約(「朝日修好条規」)を調印させた。
 1879年 琉球国を日本領土とし「琉球藩」を「沖縄県」と名づける(「第2次琉球処分」)。
     ……………………
 1939年2月10日 日本陸海軍海南島に奇襲上陸。
     ……………………
 1999年8月25日 周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律、施行。
 2014年12月10日 特定秘密の保護に関する法律、施行。

■「朝鮮村」・月塘村・長仙聯村・沙土・旦場村……。
 1939年11月4日(農歴9月23日):旦場村虐殺(犠牲者90人余)。
       2015年3月29日、「旦場抗日偶難同胞紀念碑」除幕。
 1941年4月12日(農暦3月16日)~4月14日:重興郷(排田村、白石嶺村、昌文村、賜第村)虐殺。3日間に、日本軍は村人241人を殺した。
 1946年、昌文村の墓碑建立(1998年4月19日、重建「惨遇日寇殺戮難胞之佳城」)。
 1957年5月20日、白石嶺村の墓碑建立。
 1963年農歴3月16日、排田村の墓碑「血海深仇永世不忘」建立。
 1941年5月13日・5月19日:九曲江郷(波鰲村、上嶺園村、上辺嶺村)で村民虐殺(犠牲者129人)。波鰲・上嶺園・上辺嶺惨案死難民衆公墓と墓碑建立。
 1941年6月24日(農暦5月30日)深夜から数日間:北岸郷(北岸村、大洋村)で住民虐殺。1948年夏、「五百人碑」建立。
 1941年6月28日(農歴6月4日):大溝村虐殺(犠牲者38人)。1989年10月18日、「大溝懐寃紀念碑」建立。
 1941年8月4日(農歴閏6月12日):沙土虐殺。2005年8月15日、橋頭鎮人民政府「史証碑」建立。
 1941年8月25日(農暦7月3日):黄竹鎮(大河村、后田村、牛耕坡村、周公村)で住民虐殺。1945年冬“黄竹四村公墓”と墓碑建立。
 1942年3月1日(農暦1月16日):石馬村虐殺。
 1942年10月31日(農暦9月22日):昌美村“九・二二惨案”(犠牲者50人余)。
 1943年4月10日(農歴3月6日):「鳌頭3・6血案」(犠牲者43人)。その後一か月間30人を殺害。
 1945年3月28日 沖縄渡嘉敷島で74 世帯 197 人が日本軍の命令で“強制集団死”。
 1945年4月2日 沖縄読谷村チビチリガマで83名が“強制集団死”。
 1945年4月12日(農暦3月1日):長仙聯村虐殺。
 1947年農歴3月1日「楽会県互助郷坡村長仙三古南橋雅昌佳文風嶺吉嶺官園等村抗戦死難民衆公墓」建立。
 1945年5月2日(農暦3月21日):月塘村虐殺(犠牲者190人)。2008年4月26日(農歴3月21日)「月塘三・廿一惨案紀念碑」建立。
 1945年3月26日~7月 ウルマネシア(沖縄、宮古・八重山)で住民12万人以上が死亡。
 1945年7 月30 日(農暦6月22日):秀田村虐殺(犠牲者140 人)。1998年12月10日「墓碑」建立。
 1945年夏:日本海軍第16警備隊の兵士ら、「朝鮮報国隊」の朝鮮人を虐殺。

■犠牲者、遺族一人ひとりの人生。証言を聞く者一人ひとりの人生。
 一人ひとりの個人の歴史は、地域の歴史であり、世界の歴史。
 世界史に個人史が内包されており、一人ひとりの日々の生活に、世界近現代史が内包されている。

■証言・映像・証拠文書。
 証言(ことば)を聞きとり文字で記録するとともに、映像で記録し、ことばと映像で史実を明らかに。

■これからのこと。
 さらなる証言の組織的な聞きとりと記録と伝達。
 石馬村・昌美村などでの追悼碑建立への協力。
 「鳌頭3・6血案」訴訟などの支援。
 新ドキュメンタリー・新写真集の共同制作。
     撮影し、選択し、編集していく作業は、映像によって歴史を叙述していく作業。
     2007年2月10日に発行した写真集『日本の海南島侵略と抗日反日闘争』は、約
    650枚の写真による日本の海南島侵略犯罪と抗日反日闘争の歴史(1998年6月~
    2007年1月。8年半の海南島での「現地調査」の報告)。

 『真相 海南島近現代史研究会17年(27次)調査足跡』(「紀念抗日戦争暨世界反法西斯戦争勝利70周年重点出版物」)の出版を契機として、新たな組織的作業を。

■海南島近現代史・アジア太平洋近現代史・世界近現代史。
 全世界的規模の反侵略民衆闘争の時代。
 なぜ、日本国民(「臣民」)は、他地域・他国侵略を悪だとする、あたりまえの倫理を社会的に確立できなかったのか。日本人の世界近現代史研究は、この問いに答えうるものでなければ、無意味。
 1939年2月に、日本政府・日本軍が海南島侵略を開始する以前に、日本国民のほとんどが、他地域・他国侵略に反対する思想・感性・倫理を喪失していた。
 諸地域・諸国家の近現代史は、世界近現代史に規定され、世界近現代史を規定してきた。
 歴史認識深化の過程は、絶えざる歴史意識変革の過程。
 侵略諸国家・諸民族の侵略の世界史は、被侵略諸国家・諸民族の抵抗の世界史。
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