三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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国民国家日本の侵略犯罪 民衆虐殺 8

2013年12月05日 | 個人史・地域史・世界史
■海南島で 5 波鰲・上嶺園・上辺嶺の犠牲者 
 1941年5月13日に、日本海軍海南警備府佐世保鎮守府第8特別陸戦隊の日本兵が、瓊海市(旧、楽会県)九曲江郷北方の波鰲村、上嶺園村を、5月19日に上辺嶺村を襲って、住民129人を殺害した(王先柏・梁必強・蔡哲「楽会県波鰲、上嶺園、上辺嶺三村惨案」、瓊海市政協文史資料研究委員会編『瓊海文史第6輯 日軍暴行録専輯』1995年9月、参照)。
 その1か月前、1941年4月12日から14日までの間に、同じ佐世保第8特別陸戦隊に所属する部隊が、排田村、白石嶺村、昌文村、賜第村の4村を襲撃し、おおくの村人を殺戮していた。
 波鰲村の入り口に、波鰲・上嶺園・上辺嶺三村の犠牲者の墓がある。その墓碑には、犠牲者すべての名が刻まれている。
 2002年10月にわたしたちは、波鰲村で、生き残った王京海さんと林克連さんから話しを聞かせてもらった。ふたりは、“日本兵は、軍刀などで村人を殺したあと、遺体とともに家を燃やした。まだ生きている人も焼き殺された”と話した。
                                         佐藤正人
 




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