■「第一次参加调查日军侵略海南岛活动/佐山和子」の原文は、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・相度)の追悼碑を建立する会『会報』47号・紀州鉱山の真実を明らかにする会『会報』2号(2007年11月9日発行)に掲載されたものです。その全文はつぎのとおりです。
この運動に初めて参加して
佐 山 和 子
1) 出会いは、ドキュメンタリー『日本が占領した海南島で、60年前は昨日のこと』
丁度1年前、2006年11月4日でした。
伊賀上野交流研修センタ-でこのドキュメンタり-映像に出会ったのは全くの偶然で、その前日11月3日の《三重9条の会》の総会で、人権団体アムネステイの猪島さんに勧められたためでした。
それまでの私は『海南島』の位置も、そこで日本軍が為した侵略犯罪の事実も、軍と手を携えて他民族を強制労働で使い捨て、多くの人を死に至らしめた悪徳企業の存在も全く知りませんでした。恥ずかしいことですが、三重県内に住居しながら、80年前『二人の朝鮮人労働者虐殺事件』を起こした【紀州鉱山】の経営者が、「テロシルト」の【石原産業】だったことも初めて知ったのでした。正に「知は力なり」です。この出会いが私を一歩前進させました。
この『海南島』の映像はショッキングでした。美しい自然、その中で素朴に生きる生存者が語る生々しい証言、その老いの身に今も残る痛ましい傷跡、曲がったままの不自由な脚で歩く老女、彼等の無念の表情と涙。「この事実はもっと多くの人に知られねばならない。
時は今、史実を歪曲し、南京大虐殺も性奴隷の存在も否定し、改憲の企てを進めつつある日本の現状の中で、この『海南島』での戦争犯罪を何としても多くの日本人に知らせねばならない」と思い、「名張の隣人にも是非観てもらいたい」と発言しました。それが〔名張市武道館〕での2007年2月25日の上映会の企画・実現につながったのでした。
名張での上映会のことは、前々回「会報」第45号で崔文子さんが報告された通りです。これに実行委員として参加した私は、「一人でも多くの人に観てほしい」と思いました。都合よく私は《なばり9条の会》の世話人の1人でもあり、会議でこの『海南島』の事実を紹介し、4百人余の《なばり9条の会》賛同者全員にチラシを配ってもらいました。更に、会場が「会議室から多目的ホ-ルに変更」になったのを好機と、再度世話人を訪ね、「関心のある方に一言お口添え下さるよう」お願いしました。
上映会当日は、10年前に名張市の住民運動でお世話になり、その学問的業績の幅広さに驚き尊敬している斉藤日出治先生にも駆けつけて頂き、ここでのうれしい再会が明日を予感させたのでした。
2)【海南島近現代史研究会】創立と、「この運動の二つの意義」
2007年8月5日の【海南島近現代史研究会】の創立集会に参加した私は、即日入会致しました。
これまで「木本事件」に端を発してアジアの人々の強制労働の真実を追い、『海南島』の事実調査を含む真実究明の活動を続けてきた《紀州鉱山の真実を明かにする会》は、その18年に及ぶ活動の実績を踏まえながら、今後は『海南島』での日本の戦争犯罪に焦点をあて、その調査・究明を目的とする本会の創立に至ったのでした。
ここで最新作のドキュメンタリ-映像によって紹介された【月塘村虐殺】は、海南島における日本軍の残虐行為の中でも「ベトナムのソンミ村の虐殺」に匹敵するような酷い虐殺事件であり、【月塘村】村民の「追悼碑建立計画」に私達も参加協力する必要性と意義があること、それ故本会でも『月塘村追悼碑建立基金』の募金をすること、がこの創立集会で諮られ、承認されました。
若者の右傾化を心配していた私にとって、もう一つのうれしいことは、ハイナンネットの若い学生が複数参加しており、その元気な発言に新しい可能性を感じたことでした。
全くの素人で、高齢の上に持病があり、遠い現地での調査活動のお手伝いなどとてもできない私に、さて何ができるかと考えあぐねていると、いくつかの顔が眼前をよぎりました。それは、名張の市民運動で出会った仲間であり、護憲・平和の活動等で手を携えたきた人々でした。
私にできることがあるとすれば、そうした心通い合う人達に、『海南島』で日本軍と癒着した悪徳企業が何をしたか。日本の過去の戦争の実像を知らせ、本研究会の活動の意義を伝え、この活動の理解者を増やすことでしょうか。
思うに、この会の活動にはかけがえのない二つの意義があり、その一つは、改憲の企みがある中で、「日本が先の戦争で何をしたか、戦争の真の姿を戦争を知らない若い世代に示すこと」であり、それは「この日本を再び戦争をする国にしない」ためです。
いま一つは、「既に高齢になっている日本の侵略戦争の犠牲者達が近隣のアジア諸国にまだ生きている今のうちに真実を掘り起すことで、世界史の欠落を埋めること。」今それをしておかなければ、真実は隠蔽されたまま永遠に埋もれてしまうからです。
この会の方々が、日本の侵略犯罪の実態究明をライフ・ワークとし、13回に及ぶ『海南島』での現地調査を私費で行い莫大な時間を投じてきたのは、その「世界史的意義」を思えばこそかと私は理解します。この大事な活動の邪魔にならないよう心掛けながら、私に少しだけお手伝いができればと思っております。
この運動に初めて参加して
佐 山 和 子
1) 出会いは、ドキュメンタリー『日本が占領した海南島で、60年前は昨日のこと』
丁度1年前、2006年11月4日でした。
伊賀上野交流研修センタ-でこのドキュメンタり-映像に出会ったのは全くの偶然で、その前日11月3日の《三重9条の会》の総会で、人権団体アムネステイの猪島さんに勧められたためでした。
それまでの私は『海南島』の位置も、そこで日本軍が為した侵略犯罪の事実も、軍と手を携えて他民族を強制労働で使い捨て、多くの人を死に至らしめた悪徳企業の存在も全く知りませんでした。恥ずかしいことですが、三重県内に住居しながら、80年前『二人の朝鮮人労働者虐殺事件』を起こした【紀州鉱山】の経営者が、「テロシルト」の【石原産業】だったことも初めて知ったのでした。正に「知は力なり」です。この出会いが私を一歩前進させました。
この『海南島』の映像はショッキングでした。美しい自然、その中で素朴に生きる生存者が語る生々しい証言、その老いの身に今も残る痛ましい傷跡、曲がったままの不自由な脚で歩く老女、彼等の無念の表情と涙。「この事実はもっと多くの人に知られねばならない。
時は今、史実を歪曲し、南京大虐殺も性奴隷の存在も否定し、改憲の企てを進めつつある日本の現状の中で、この『海南島』での戦争犯罪を何としても多くの日本人に知らせねばならない」と思い、「名張の隣人にも是非観てもらいたい」と発言しました。それが〔名張市武道館〕での2007年2月25日の上映会の企画・実現につながったのでした。
名張での上映会のことは、前々回「会報」第45号で崔文子さんが報告された通りです。これに実行委員として参加した私は、「一人でも多くの人に観てほしい」と思いました。都合よく私は《なばり9条の会》の世話人の1人でもあり、会議でこの『海南島』の事実を紹介し、4百人余の《なばり9条の会》賛同者全員にチラシを配ってもらいました。更に、会場が「会議室から多目的ホ-ルに変更」になったのを好機と、再度世話人を訪ね、「関心のある方に一言お口添え下さるよう」お願いしました。
上映会当日は、10年前に名張市の住民運動でお世話になり、その学問的業績の幅広さに驚き尊敬している斉藤日出治先生にも駆けつけて頂き、ここでのうれしい再会が明日を予感させたのでした。
2)【海南島近現代史研究会】創立と、「この運動の二つの意義」
2007年8月5日の【海南島近現代史研究会】の創立集会に参加した私は、即日入会致しました。
これまで「木本事件」に端を発してアジアの人々の強制労働の真実を追い、『海南島』の事実調査を含む真実究明の活動を続けてきた《紀州鉱山の真実を明かにする会》は、その18年に及ぶ活動の実績を踏まえながら、今後は『海南島』での日本の戦争犯罪に焦点をあて、その調査・究明を目的とする本会の創立に至ったのでした。
ここで最新作のドキュメンタリ-映像によって紹介された【月塘村虐殺】は、海南島における日本軍の残虐行為の中でも「ベトナムのソンミ村の虐殺」に匹敵するような酷い虐殺事件であり、【月塘村】村民の「追悼碑建立計画」に私達も参加協力する必要性と意義があること、それ故本会でも『月塘村追悼碑建立基金』の募金をすること、がこの創立集会で諮られ、承認されました。
若者の右傾化を心配していた私にとって、もう一つのうれしいことは、ハイナンネットの若い学生が複数参加しており、その元気な発言に新しい可能性を感じたことでした。
全くの素人で、高齢の上に持病があり、遠い現地での調査活動のお手伝いなどとてもできない私に、さて何ができるかと考えあぐねていると、いくつかの顔が眼前をよぎりました。それは、名張の市民運動で出会った仲間であり、護憲・平和の活動等で手を携えたきた人々でした。
私にできることがあるとすれば、そうした心通い合う人達に、『海南島』で日本軍と癒着した悪徳企業が何をしたか。日本の過去の戦争の実像を知らせ、本研究会の活動の意義を伝え、この活動の理解者を増やすことでしょうか。
思うに、この会の活動にはかけがえのない二つの意義があり、その一つは、改憲の企みがある中で、「日本が先の戦争で何をしたか、戦争の真の姿を戦争を知らない若い世代に示すこと」であり、それは「この日本を再び戦争をする国にしない」ためです。
いま一つは、「既に高齢になっている日本の侵略戦争の犠牲者達が近隣のアジア諸国にまだ生きている今のうちに真実を掘り起すことで、世界史の欠落を埋めること。」今それをしておかなければ、真実は隠蔽されたまま永遠に埋もれてしまうからです。
この会の方々が、日本の侵略犯罪の実態究明をライフ・ワークとし、13回に及ぶ『海南島』での現地調査を私費で行い莫大な時間を投じてきたのは、その「世界史的意義」を思えばこそかと私は理解します。この大事な活動の邪魔にならないよう心掛けながら、私に少しだけお手伝いができればと思っております。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます