三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

「南米の170の土着言語が消滅危機、文化も消滅」

2019年08月11日 | 個人史・地域史・世界史
http://www.donga.com/jp/List/article/all/20190730/1803838/1/南米の%EF%BC%91%EF%BC%97%EF%BC%90の土着言語が消滅危機、文化も消滅
「東亞日報」 July. 30, 2019 10:05
■南米の170の土着言語が消滅危機、文化も消滅
 中南米地域の土着言語の多くが消える危機に瀕していると、28日(現地時間)ロイター通信などが報じた。
 ロイターによると、現在600以上の中南米土着言語のうち170余りの土着言語が消える危機に瀕していることが分かった。中南米で最も多様な土着言語が使われているブラジルでは、2030年までに180以上の土着言語のうち、3分の1以上が消える見通しだ。同期間メキシコでは68土着言語のうち3分の2以上が消えるという分析が出た。このような状況はアルゼンチン、ボリビア、コロンビア、エクアドルなどでも同じだ。
 この地域の多く土着言語は、該当言語のユーザーの減少とグローバル化によって危機に瀕しているという分析が出ている。また土着言語のユーザーに対する社会的差別も、減少に影響を及ぼした。一部の土着言語は、技術進化にふさわしい言葉を発達させず、危機に見舞われることもある。ブラジルで200人余りの人口が使う土着言語トゥピモンデはインターネット、電話、コンピュータなどを指す言葉がなく、自然にユーザーから遠ざかるようになった。
 土着言語を守るための努力も続いている。BBC放送によると、ペルー北部地域の裁判所は最近、インカ帝国の言語であり、土着言語であるケチュア語で判決文を出して話題を集めた。グラナドス・クエレロ治安判事は、「原告と被告共にケチュア語を使う人であることを考慮して、法律サービスのアクセス権を高め、より多くの国民を受け入れるためのものだ」と伝えた。
 ユネスコは、今年を「国際土着言語の年」と定め、土着言語保護に乗り出した。フレデリック・バーチャロン・ユネスコ・メキシコ支部関係者は、「言語が消えたことで、彼らの視野、豊かな文化や習慣、世界観も一緒に消える」と、その背景を説明した。
       キム・イェユン記者 yeah@donga.com


http://www.asahi.com/shimbun/nie/kiji/kiji/20090302.html
『朝日新聞』 2009年2月20日夕刊
■八丈語? 世界2500言語、消滅危機 日本は8語対象、方言も独立言語 ユネスコ
【パリ=国末憲人】世界で約2500の言語が消滅の危機にさらされているとの調査結果を、国連教育科学文化機関(ユネスコ、本部パリ)が19日発表した。日本では、アイヌ語が最も危険な状態にある言語と分類されたほか、八丈島や南西諸島の各方言も独立の言語と見なされ、計8言語がリストに加えられた。
 調査は、全世界で6千前後あるといわれる言語を調査。538言語が最も危険な「極めて深刻」に分類され、このうち199語は話し手が10人以下だった。続いて「重大な危険」が502語、「危険」が632語、「脆弱(ぜいじゃく)」が607語だった。サハラ以南のアフリカ、南米、メラネシアで目立っていた。
 また、1950年以降消滅した言語が219語にのぼった。最近では08年、米アラスカ州でイヤック語が、最後の話者の死亡で途絶えた。
 日本では、アイヌ語について話し手が15人とされ、「極めて深刻」と評価された。財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構(札幌市)は「アイヌ語を日常的に使う人はほとんどいない」としている。アイヌ語はロシアのサハリンや千島列島でも話されていたが、いずれもすでに消滅していた。
 このほか沖縄県の八重山語、与那国語が「重大な危険」に、沖縄語、国頭(くにがみ)語、宮古語、鹿児島県・奄美諸島の奄美語、東京都・八丈島などの八丈語が「危険」と分類された。ユネスコの担当者は「これらの言語が日本で方言として扱われているのは認識しているが、国際的な基準だと独立の言語と扱うのが妥当と考えた」と話した。
 ユネスコは96年と01年にも危機にさらされている言語調査を実施。今回は30人以上の言語学者を動員して全世界を包括的にカバーする例のない規模の調査となった。目的について、ユネスコは「言語は常に変化する。その変化の実態を知るため」と説明。今後継続的に調査を続けるという。
 ユネスコのフランソワーズ・リビエール事務局長補は「言語消滅の原因には、次世代に伝える意思を失うという心理的要素が大きい。自信を持って少数言語を話せるよう条件づくりに努めたい」と話している。

※「復活難しいが記録残したい」 八丈町教委
 ユネスコの調査結果について、八丈町教育委員会教育課の菊池良治さん(38)は「『島言葉』は高齢化で話す人も減り、消えつつあるので、どうにかしたいと思ってました。いい契機になります」と評価した。数十年前に録音された島言葉の音声データを町のホームページにアップすることも検討中だという菊池さんは「復活させるのはもう難しいでしょうが、愛着ある言葉なので記録として残したい」と言っている。
 ◇固有の文化あれば
 <崎山理・国立民族学博物館名誉教授(言語学)の話> 方言と言語の区別は明確ではなく、政治的に決まってくる部分もある。私は話し手が固有の文化を持っていれば、独立した言語とするべきだと思う。琉球諸島では、かつてはそれぞれの島の言葉は大きく異なっていたが、交通が盛んになるにつれて元の形が失われている。単一民族神話も手伝って、日本で話されている言語は一つだけと思われがちだが、実は多様性があることを知ってほしい。

◆八丈島の言葉
 でえーじけ
 美しい
 しゃしゃい
 熱い
 みく
 歩く・行く
 わいきゅる
 しかる、おこる
 ねっこけ
 小さい
 (八丈町発行の「八丈島誌」から)

◆南西諸島のことばの違い
 ありがとう
 いらっしゃいませ
 奄美名瀬
 アリガテサマリャオタ
 イモリィ
 沖縄那覇
 ニフェーデービル
 メンソーレー
 宮古平良
 タンディガータンディ
 ンミャーチ
 八重 山石垣
 フコーラサーン
 オーリトーリ
 (琉球大学付属図書館「琉球語音声データベース」の「琉球語概説」から)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「「イラン出身の難民」キム・ミンヒョク君の父、難民地位認められず…「異議申立てを」」

2019年08月11日 | 韓国で
https://blog.goo.ne.jp/admin/newentry/
「The Hankyoreh」 登録:2019-08-09 09:38 修正:2019-08-09 11:10
■「イラン出身の難民」キム・ミンヒョク君の父、難民地位認められず…「異議申立てを」
 ソウル出入国・外国人庁「A氏は迫害を受けるような十分な根拠がなく難民と認められない」。 
 弁護人側「受け入れられない…異議申立てと行政訴訟など続けていく」。

【写真】キム・ミンヒョクくんが今月8日午後、ソウル陽川区のソウル出入国外国人庁別館で父親の難民地位不認定通知書を手に持って見せている=パク・ジョンシク記者//ハンギョレ新聞社
 イラン出身の難民キム・ミンヒョク君(16)の父親のA氏が、再審査の末、ついに難民の地位を認められなかった。
 A氏の法定代理人であるイ・タクコン弁護士(財団法人ドンチョン)は8日、ソウル陽川区(ヤンチョング)の出入国・外国人庁の別館前で、ソウル出入国・外国人庁長名義の難民不認定通知書を公開し、「A氏が難民認定を受けられなかった。ただ、未成年の子どもを養育している点などを考慮し、人道的滞在が決定された」と明らかにした。通知書には「A氏の主張は難民条約第1条及び難民議定書第1条で規定した『迫害を受けうるという十分に根拠のある恐怖』に該当しない」と書かれている。

【写真】難民の地位を認められたイラン国籍のキム・ミンヒョク君(16・右)と父親が今月8日午後、ソウル陽川区のソウル出入国外国人庁別館で難民再審査を終えて出てきている。この日難民再審査でミンヒョク君の父親は難民地位を認められなかった=パク・ジョンシク記者//ハンギョレ新聞社

 人道的滞在の地位とは、出身国で深刻な人権侵害をされる危機に置かれた人に国家が提供する保護措置だ。これによってA氏は韓国に滞在できるが、1年単位で「その他(G-1)ビザ」を延長しなければならない。イ弁護士は「人道的滞在者は就業の許可内容において難民認定者より制約が多い」とし、「これからどんな仕事をするのかは話し合ってみなければならない」と話した。
 息子のキム君とA氏、弁護人などは出入国庁の決定を受け入れられないという立場だ。A氏は「聖堂で洗礼を受けて勉強し、それに合う教理を受けたが、それを認めてもらえず、未成年者の子どもがいるというだけで人道的滞在を下したのは理に合わないと思う」とし、「異議申請をし、今後訴訟も続けていく」と話した。キム君は「最後に残った私の家族の父が、難民認定はならなかったが滞在はできることまだよかった」としながらも、「私は3年後には成人になるが、そうなると父と一緒にいられなくなる。父が必ず難民認定を受けて、そばにいてほしい」と話した。キム君が卒業した亜州中学校の教師のオ・ヒョンロク氏は「キム君とお父さんの難民申請事由は同じだ」とし、「同じイラン人で同じ宗教なのに理解できない」と話した。昨年、キム君といっしょに亜洲中に通い、難民認定運動をしたキム・ジユさん(17)は「ミンヒョクが一緒に暮らす家族はお父さんだけなので、一緒に難民認定の地位を受けなければお父さんも韓国で仕事や医療サービスを受けて暮らせるのに、認められなくて残念に思う」とし、「ミンヒョクの難民認定を支えたように、ミンヒョクのお父さんの認定も支持するよう努力する」と話した。

【写真】イラン国籍のキム・ミンヒョク君が8日午後、ソウル陽川区のソウル出入国外国人庁別館で父親とともに取材陣の質問を受けている=パク・ジョンシク記者//ハンギョレ新聞社

 イラン人のAさんは2010年当時、7歳だった息子のキム君と一緒に韓国にきた後、カトリックに改宗した。その後、宗教的難民として申請したが、2016年に難民不認定処分を受け、続く1・2審訴訟でも敗訴した。その後2月19日に難民地位再申請をした。これに先立ち、キム君は昨年、亜洲中の友人らのサポートによって再審査を通じて難民の地位を認められた。
 A氏は難民法第21条1項によって、通知を受けた日から30日以内に法務部に異議を申し立てることができる。90日以内に行政訴訟も申し立てることができる。A氏とA氏の弁護人側は、異議申立てと行政訴訟を全て進める予定だ。オさんは「面接調査の過程での映像などを出入国庁に要請し、これから生徒たちと一緒に法的訴訟とともに難民たちの不当な状況について糾弾する声を上げていく」と話した。

クォン・ジダム記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/905011.html
韓国語原文入力:2019-08-08 14:35修正:2019-08-08 20:24


http://japan.hani.co.kr/arti/politics/32838.html
「The Hankyoreh」 2019-02-20 12:17
■カトリックに改宗したイラン難民少年「父も一緒に暮らせるようにしてください」
 昨年10月、難民地位認定されたキム・ミンヒョク君の父親、 
 19日に難民地位再申請

【写真】今月19日午前、キム・ミンヒョク君がソウル市陽川区のソウル出入国外国人庁を訪れ、父親の難民地位を認めてほしいという再審査申請を準備し、記者会見を開いている//ハンギョレ新聞社

 16歳の息子は難民の地位を認められた。しかし、保護者である父親はすぐ韓国を離れなければならないかも知れない。息子は宗教的信念を認められたが、父親はそうではないからだ。父親とともにイランから韓国に渡り、昨年10月に難民の地位を認められたキム・ミンヒョク君の話だ。
 2003年、イランのテヘランで生まれたキム君は、2010年に事業家である父親について韓国に来た。小学校2年生の時の2011年から、友だちと一緒に教会に通い始めた。父親も2014年から教会に通った。英語の礼拝に参席し、教会に家族登録もした。キリスト教の洗礼を受けて改宗しようとしたが、年が幼いためできないと言われた。その後、一緒に暮らす友人たちと一緒に聖堂に通い、14歳の時の2017年に父親と一緒にカトリックの洗礼を受け公式に改宗した。
 しかし、教会に通っていた時、イランに住む伯母に改宗の事実を話してから問題になった。ムスリムである伯母が怒って連絡を絶ったのだ。ムスリム律法「シャリーア」が厳格なイランでは、生まれた時からキリスト教やカトリック教徒の場合は異教徒にすぎず、命に危険はないが、改宗は背教者とされ、死刑に処せられる重罪だ。伯母がイラン安全部に告発するかを恐れたキム君は、父親とともに2016年に韓国政府に難民申請をした。しかしその年、法務部はこれを受け入れず、キム君父子は行政訴訟を起こした。キム君は1審で難民の地位を認められたが、2審と最高裁(大法院)は難民の地位を認めなかった。
 2016年6月、ソウル出入国外国人庁はキム君に、満13歳と幼いためまだ宗教的価値観が明確に定立されたとは考えにくく、帰国時に直ちに逮捕され宗教的被害を受ける可能性は低いと見なした。しかし、キム君は再審査を請求し、約2年後の昨年10月、ついに難民認定を受けた。学校の友人が一肌脱いで取り組み、友好的な世論が起こったからだ。
 しかし、キム君の父親が受けた難民不認定処分は変わらなかった。ソウル出入国外国人庁では、キム君の父親が改宗するしかなかった宗教的動機や信念をはっきり示すことができず、改宗宗教に対する基礎的理解と常識が足りず、真正性が疑われると述べた。キム君の父親は、ソウル出入国外国人庁の難民不認定審査結果に対し訴訟を起こしたが、昨年1月の1審と同じ年の12月、2審でいずれも敗訴した。これに対しキム君の父親は最高裁控訴の代わりに、難民地位再申請の方向に転換した。
 19日午前、キム君はソウル陽川区(ヤンチョング)のソウル出入国外国人庁前で記者会見を開き、「父と僕は難民申請事由が同じなので、僕も認められたので父も認められるのではないかと思った」と言い、「何とか認めてもらい、父と一緒に暮らしたい。そうでなければ僕は韓国に一人残される。父以外には頼れる人がいない」と語った。キム君は続いて「出入国外国人庁は韓国語がうまくできない父に、祈祷文を暗唱し賛美歌も歌ってみろと言った。父は日常言語も(韓国語が)充分でない」とし、「しかし、父は教理の勉強するなど、1年以上かかる難しく大変な課程を経て洗礼を受けた」と説明した。
 これに先立ち、ソウル出入国外国人庁は、キム君にも難民の地位認定審査の際、イエスの弟子12人の名前を言え、イエスを裏切った弟子は誰か、覚えている聖書の句節は何章何節か、さらに覚えている聖書の句節はないかなど、宗教的信念よりは宗教関連の知識を主に尋ねた。記者会見に同行した亜州中学校のオ・ヒョンロク教諭は「キム君の話が多数のアラブ圏メディアやAFP通信などを通じて紹介され、キム君の父に対する迫害の危険性が高まった。だから難民として認められるべきだ」と述べた。
 難民法第37条1項には、「法務部長官は難民認定者の配偶者または未成年者の子女が入国を申請する場合、出入国管理法第11条に該当する場合でなければ、入国を許可しなければならない」と定めている。出入国管理法第11条には、感染病患者、麻薬中毒者、銃砲や刀剣を違法に所持し入国しようとする者、経済秩序または社会秩序を害する恐れがあると相当部分認めるだけの相当な理由がある外国人の入国を禁止すると書かれている。
 キム君は「大きくなってハン・ヒョンミンさんのようなモデルになりたい。そのためには軍隊に行って国の力になりたい」と話した。キム君の父親はこの日午後1時、難民地位認定の再申請書を提出した。キム君の父親のビザが満了する日は今月27日だ。

文・写真 イ・ジョンギュ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/882727.html
韓国語原文入力:2019-02-19 21:42


http://japan.hani.co.kr/arti/politics/31902.html
「The Hankyoreh」 登録:2018-10-19 22:18 修正:2018-10-20 06:02
■「イランの友だち」を抱擁した15歳の友情…「難民認定おめでとう!」
 「カトリック教改宗」で宗教的迫害を懸念 
 イラン出身の中学生、難民再審査認定 
 国民請願などで助けた学校の友人たちの歓呼 
 「一緒に学校に通えることになって幸せ」


【写真】改宗による迫害の可能性を憂慮し難民申請をしたイラン出身の生徒(帽子をかぶった人)が19日午後、法務部から難民の地位を認められ、ソウル市松坡区の自分の通う学校で友人らと会い「難民認証書」を見て喜んでいる=カン・チャングァン記者//ハンギョレ新聞社

 「わあ、おめでとう!」「本当にすごいよ、がんばったね!」
 19日午後2時ごろ、ソウル松波区(ソンパグ)のある中学校の運動場で「イランの友だち」のA君(15)の難民地位審査結果を祈る気持ちで待っていた15、6人の友人が歓声を上げた。たったいま法務部から送られてきた“できたての”難民認定書類を持っているA君に向かって、友人らが歓声を上げて集まった。彼らは難民認定書類の中のA君の写真をしげしげと眺め、「でも鼻の穴が大きすぎじゃないか」と言ってひとしきり笑った。
 この日午前、学校の体育大会を終えて帰宅した友人らは、難民認定のニュースに慌てて学校に駆けつけた。「前に難民の地位が認められなかったときは、紙1枚が送られてきたんです。でも今回は書類の綴りを出したので『ああ、認められたんだ』と思いました」。A君が笑いながら言った。ただ、A君のお父さんの難民申請はまだ審査が進行中だ。
 2003年にイランのテヘランで生まれたA君は、2010年に事業家の父親について韓国に来た。韓国で小学校に通い、2年生の時にカトリック教に改宗したが、イランに住む伯母に何気なくこの話をしたところイランに帰ることが難しくなった。敬虔なムスリムの伯母が激しく怒り、連絡を絶ったのだ。ムスリム律法の「シャリア」が厳格なイランで、改宗は死刑まで処しうる重罪だ。伯母がイラン安全部に告発したのではないかと心配したA君は、2016年に韓国政府に難民申請をした。しかし同年、法務部はこれを受け入れず、A君父子は行政訴訟を起こした。1審では難民の地位を認められたが、2審と最高裁では難民の地位を認めなかった。A君が約2年後に難民認定を受けられることになったのは、再審査を請求した時、積極的に取り組んでくれた学校の友人たちの助けが大きかった。友人たちは7月、大統領府の国民請願掲示板に「友だちが公正な難民審査を受けられるようにしてほしい」という請願書を上げた。7月19日、ソウル出入国外国人庁に難民地位認定再申請書を提出する現場でも、友人たちは「偏見に隠された真実を見てほしい」と書かれたプラカードを掲げた。5日には大統領府の噴水前でリレー1人デモを行った。
 A君と小学1年生のときから“親友”だったというパク・チミン君(15)は「難民認定の知らせを聞いて『がんばったね』という意味を込めて抱きしめた」と言い、「これまで一緒に闘ったのは全然つらくはなかったし、ただ感激するばかり」だと言ってにっこり笑った。キム・ジユさん(15)も「記事のコメントで『先生が生徒を扇動している』という言葉を聞いて悔しかったが、良い結果が出てうれしい」と話した。
 A君の難民地位認定を求めたソウル市のチョ・ヒヨン教育監は立場文を発表し、「大人でも実践しづらい人類愛を行動で示した生徒たちがありがたく誇らしい」とし、「外国人学生が社会の構成員として堂々と立てるよう体系的な支援システムをつくる」と明らかにした。
 「難民認定を受けて涙を2粒くらいこぼした」というA君は、「以前はビザ問題で高校に行けなかったが、これからは友だちと一緒に学校に通えることになってうれしい」と語った。「モデル教室に通いながら、これまでファッションショーを3、4回やったんです。これから200回、300回と重ねてやりたい」。A君は明るく笑った。

シン・ミンジョン、ファン・チュンファ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/866606.html
韓国語原文入力:2018-10-1921:45


http://japan.hani.co.kr/arti/politics/31768.html
「The Hankyoreh」 2018-10-04 10:20
■「私の友達はイランに帰ったら命の危険にさらされます」中学生らが1人デモ
 イラン人の友達の難民地位認定のため 
 中学生らがリレー1人デモ 
 「帰れば迫害の可能性高い 
 友達とずっと一緒に勉強したい」

【写真】今月3日午前、ソウル鍾路区大統領府噴水前である中学校の生徒らが難民申請をした友達のために記者会見を行っている。彼らは7月11日、大統領府に国民請願を行った。イラン人の友達は出国日を約10日後に控えた10月5日、審査を受けることになった=ペク・ソア記者//ハンギョレ新聞社

 「私たちは、遠くて大きな山を登る家族を見送る気持ちで、この場に立っています。友達が必ずこのデモを審査場で思い浮かべ、堂々と審査を受けて帰ってくることを願っています」
 開天節の3日午前、ソウル鍾路区孝子洞(ヒョジャドン)大統領府噴水広場に、中学生16人が集まった。5日に難民審査を受けることになった「イラン人の友達」A君(15)の難民認定を求める1人デモを交互に行うためだ。A君と共にソウル松坡区(ソンパグ)のある中学校に通っている彼らは「友達と一緒に勉強したいです」、「偏見に隠された真実を見てください」と書かれたプラカードを持って叫んだ。「イランに帰ったら、友達の命が危険にさらされます。恥ずかしくない決定で、アジアで最初に難民法を制定した国家というわが国の誇らしい歴史を守ってください」
 A君は事業を営む父親と共に、7歳の時に韓国に入国し、9年間韓国に滞在しているカトリック信者だ。小学校2年生の時、カトリックに改宗したが、イランに住む叔母にうっかりこの話をしたのが不安の種となった。敬虔なイスラム教徒である叔母が「それでも人と言えるか」と言い連絡を絶ったからだ。A君は大統領府に送った手紙で、「私と父親は叔母が私たちをイランの国家安全部に告発したかもしれないと恐れている」とし、2016年に韓国政府に難民地位を申請するようになった背景を明らかにした。イスラム律法の「シャリーア」の適用を受けているイランで、改宗は反逆罪に当たる。

【写真】今月3日午前、ソウル鍾路区大統領府噴水前である中学校の生徒らが難民申請をした友人のために1人デモを行っている=ペク・ソア記者//ハンギョレ新聞社

 しかし、出入国管理事務所当時、A君親子の難民地位を認めなかった。「(A君が)若く(当時14歳)、キリスト教徒として宗教的アイデンティティを持っていると見るのが難しいだけではなく、キリスト教に改宗したとはいえ、イラン当局に注目されるような活動をしていないため、迫害の可能性が低い」という理由からだった。A君親子はこれに対し行政訴訟を起こし、1審で難民の地位を認められたが、2審と最高裁判所はこれを覆した。A君は手紙で「難民審査のための面接で(審査官が)キリスト教の教理について聞かなかった」とし、「難民申請自体が(イランでは)注目されるようなことであり、迫害の可能性は残っている」と訴えた。
 A君が通う中学校の友達も乗り出した。A君の友達らは3日、大統領府の噴水台で、大統領府宛の声明書とA君の手紙を朗読した後、10分ずつ交互に1デモを行った。彼らは今年7月、大統領府の国民請願掲示板に「私たちの友達が公正な審査を受けて難民として認められるようにしてほしい」という書き込みを掲載し、出入国外国人庁前に集まってA君の難民地位の認定を求める集会を開いた。
 A君と小学校1年生の時からの親友というパク・ジミン君(15)はこの日「休日だけれど友達の命がかかっていることだから参加した。友達が本国に帰ったら命が危ないという点を審査官に必ず分かってもらいたい」と話した。A君と同じクラスの友達のイ・ジョンギュ君(15)も「本音をあまりさらけ出さない性格だが、たまに学校帰りに『(本国に帰るのが)怖い』という話をする時がある」とし、「本当に命が危険にさらされるかもしれない。友達の話がマスコミに多く報道され、必ず難民の地位を認めてもらいたい」と語った。もしA君が難民の地位を認められない場合は、16日に本国に帰らなければならない。
 A君の事情を知ったソウル市のチョ・ヒヨン教育監は同日、「A君はこの2年間、マスコミに多く報道されたため、難民申請が認められず強制出国することになれば非常に深刻な命の危険が懸念される」とし、「このような状況を考慮し、公正な審査が行われることを願っている」というメッセージを送った。ヨム・スジョン枢機卿も「A君はカトリック信仰に対するアイデンティティが明らかであるため、本国に帰れば迫害の可能性が非常に高い」として、A君の難民認定を求めるメッセージを中学生らに送った。

シン・ミンジョン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/864247.html
韓国語原文入力:2018-10-03 19:55


http://japan.hani.co.kr/arti/politics/31158.html
「The Hankyoreh」2018-07-20 09:38
■出入国外国人庁に集まった中学生ら、「イラン人の友達を難民として認めてください」
 「偏見に隠された真実を見てください」 
 イラン人の親子、イスラム教からキリスト教に改宗 
 イランに帰国したら反逆罪で処罰される危機

【写真】宗教的理由で難民認定を申請したイラン国籍の中学生が、今月19日午後、ソウル陽川区のソウル出入国外国人庁別館に難民申請書を提出した後、自分を支援する学校の友達や保護者らにあいさつしている=パク・ジョンシク記者//ハンギョレ新聞社

 ソウル松坡区(ソンパグ)にある中学校の生徒約50人が19日昼、ソウル陽川区(ヤンチョング)にある出入国外国人庁の正門前に集まった。それぞれプラカードを持った生徒らが、照り付ける日差しの中、集まった理由は一つだ。難民の地位を得られなかった“イランから来た友達”A君(15)に声援を送るためだ。「偏見に隠された真実を見てください。偽りに隠された私たちの友達に関心を持ってください」。生徒らのプラカードにはこう書かれていた。
 イラン人のA君は2010年、事業を営む父親と共に韓国へ来た。当初、ムスリムだったA君親子は韓国に定着し、キリスト教に改宗した。A君は小学2年生の時、友だちの勧めで教会に通い始め、A君の父親も息子の勧めで2015年に改宗した。 イランではムスリムの律法「シャリーア」により、改宗が反逆罪とみなされる。
 2016年、A君親子は大韓民国政府に難民地位を申請した。当時出入国管理事務所はA君親子に難民の地位を認めなかった。14歳未満のA君の宗教的価値観がはっきりしておらず、韓国滞在中に教会に通ったことだけでは、帰国後直ちに宗教的迫害を受ける可能性が少ないという理由だった。その後の行政訴訟で、1審は彼らに難民の地位を認めたが、2審はこれを覆した。最高裁も2審同様の判断を下した。
 A君が難民の地位を認められなかった事実を聞いて、友達が立ち上がった。今月11日、大統領府の国民請願掲示板に「私の友達が公正な審査を受けて難民として認められるようにしてください」という書き込みが掲載された。A君の友達である女子生徒がクラスメートの意見をまとめて載せた文だった。彼らは請願文で「友達がそんなふうに(イランに)帰ってしまうと、大きな傷になるだろう」と訴えた。それを聞いたチョ・ヒヨン・ソウル市教育監が19日午前、A君の学校を訪れた。
 友達はA君を「朗らかな人」だと口をそろえた。小学校2年生の時から8年来の親友というH君(15)にとって、A君は「初めて声をかけてくれた友達」だった。H君は「なれない小学校に転校した時、私に初めて声をかけてくれました。運動もできるし、学級委員を二回も務めたほど、交友関係も良いです」と話した。彼の望みは素朴だった。「一緒にゲームとサッカーをしながら、安全に学校に通えたらと思います。それだけです」
 友達の歌と声援を受け、A君は出入国管理事務所に入り、難民地位を再申請書類を提出した。A君は「韓国に残ることができたら、モデルになりたいです。ロールモデルのハン・ヒョンミンさんと同じ舞台に立つ夢をかなえるため、一生懸命努力するつもりです」と話した。

イム・ジェウ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/854097.html
韓国語原文入力:2018-07-19 21:23
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする