三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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「旧海軍軍属身上調査表」・「旧海軍軍人履歴原表」 4

2012年01月06日 | 海南島史研究
■フィルム番号1217「旧海軍軍人履歴原表」 2
 わたしたちは、これまで、朝鮮南部の釜山に近い鎮海におかれていた日本海軍鎮海警備府に特別志願兵として入り、日本兵として海南島に行った朴泰愚さん、鄭明出さん、河相祚さん、申載燮さん、崔永洙さん、金永振さん、李西根さん、金相律さん、金成文さんから韓国で話を聞かせてもらってきました(金靜美・佐藤正人「海南島の朝鮮人兵士」〈『海南島近現代史研究』第2号・第3号、2001年2月〉をみてください)。
 そのうち、日本海軍鎮海警備府の第1期特別志願兵であった朴泰愚さん、鄭明出さん、崔永洙さん、金永振さん、李西根さん、金成文さんは、すべて、釜山から海南島に向かう途中、乗っていた船が、台湾とフィリピンの間のバシー海峡でアメリカ合州国軍の潜水艦の攻撃をうけて沈没し、おおくの人が死んだと話しました。
 フィルム番号1217のマイクロフィルムに個人記録が掲載されている死亡した299人の朝鮮人のうち、バシー海峡で死亡した人は、128人です。この128人の記録紙には、すべて、1959年7月31日付けの「靖国神社 合祀手続済」という丸印が押されています。
                                        佐藤正人

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