三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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「旧海軍軍属身上調査表」・「旧海軍軍人履歴原表」 9

2012年01月11日 | 海南島史研究
■フィルム番号1217「旧海軍軍人履歴原表」7
 フィルム番号1217の「旧海軍軍人履歴原表」に掲載されている海南島に向けて送りだされた朝鮮人青年は、ほとんどが「鎮海海兵団」に入団した「海軍特別志願兵」の第1期生ですが、2人だけ、第2期生(あるいは第3期生)だった人がいます。
 2人は、1944年8月1日に「鎮海海兵団」に入り「海軍2等水兵」となり、10月20日に日本千葉県にあった館山砲術学校に入って「特第12期普通科砲術練習生(陸上対空機銃)」となり、1945年2月5日に舞鶴鎮守府第1特別陸戦隊に「配属」されていました。
 2人の個人記録紙には、1945年4月30日の箇所に「美保丸に便乗赴任の途中黄海方面で乗船遭難。戦死認定。攻撃により沈没。海軍上等水兵ヲ命ズ(特進)。遺留品なし」と書かれており、1959年7月31日付けの「靖国神社 合祀手続済」という丸印が押されています。
                                          佐藤正人
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