■フィルム番号1217「旧海軍軍人履歴原表」7
フィルム番号1217の「旧海軍軍人履歴原表」に掲載されている海南島に向けて送りだされた朝鮮人青年は、ほとんどが「鎮海海兵団」に入団した「海軍特別志願兵」の第1期生ですが、2人だけ、第2期生(あるいは第3期生)だった人がいます。
2人は、1944年8月1日に「鎮海海兵団」に入り「海軍2等水兵」となり、10月20日に日本千葉県にあった館山砲術学校に入って「特第12期普通科砲術練習生(陸上対空機銃)」となり、1945年2月5日に舞鶴鎮守府第1特別陸戦隊に「配属」されていました。
2人の個人記録紙には、1945年4月30日の箇所に「美保丸に便乗赴任の途中黄海方面で乗船遭難。戦死認定。攻撃により沈没。海軍上等水兵ヲ命ズ(特進)。遺留品なし」と書かれており、1959年7月31日付けの「靖国神社 合祀手続済」という丸印が押されています。
佐藤正人
フィルム番号1217の「旧海軍軍人履歴原表」に掲載されている海南島に向けて送りだされた朝鮮人青年は、ほとんどが「鎮海海兵団」に入団した「海軍特別志願兵」の第1期生ですが、2人だけ、第2期生(あるいは第3期生)だった人がいます。
2人は、1944年8月1日に「鎮海海兵団」に入り「海軍2等水兵」となり、10月20日に日本千葉県にあった館山砲術学校に入って「特第12期普通科砲術練習生(陸上対空機銃)」となり、1945年2月5日に舞鶴鎮守府第1特別陸戦隊に「配属」されていました。
2人の個人記録紙には、1945年4月30日の箇所に「美保丸に便乗赴任の途中黄海方面で乗船遭難。戦死認定。攻撃により沈没。海軍上等水兵ヲ命ズ(特進)。遺留品なし」と書かれており、1959年7月31日付けの「靖国神社 合祀手続済」という丸印が押されています。
佐藤正人