三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

紀州鉱山で亡くなられた朝鮮人の追悼碑建立にかんする要望書

2008年08月09日 | 紀州鉱山
     2008年6月20日に、在日本朝鮮人総聯合会三重県本部、
    在日本大韓民国民団三重県地方本部、紀州鉱山の真実を
    明らかにする会は、河上敢二熊野市長と杉浦道之熊野市
    教育長に、紀州鉱山で亡くなられた朝鮮人の追悼碑建立
    にかんする要望書をだしました。以下は、その全文です。
                    紀州鉱山の真実を明らかにする会


1、紀州鉱山で亡くなった朝鮮人の追悼碑を建立する用地の提供を求めます。

 熊野市紀和町には「史跡 外人墓地」があります。
 しかし、紀州鉱山で亡くなられた朝鮮人を追悼する碑はありません。
 2008年3月9日、熊野市紀和町板屋の旧紀州鉱山選鉱所前と紀和コミュニティセンターで、在日本朝鮮人総聯合会三重県本部、在日本大韓民国民団三重県地方本部、在日本大韓民国民団三重県地方本部伊賀支部・伊賀コリアン協議会・伊賀市外国人住民協議会申載三会長、三重県歴史教育者協議会の協力のもとに、紀州鉱山の真実を明らかにする会が主催する「紀州鉱山で亡くなられた朝鮮人を追悼する集会」が開催されました。
 この集会には、紀和町板屋をはじめとする紀伊半島南部の住民のほか、各地の人が参加しました。出席できなかった日帝強占下強制動員被害真相究明委員会の全基浩委員長からは追悼辞が寄せられました。
 この集会で、参加者の総意で、紀州鉱山で亡くなられた朝鮮人を追悼する碑を早急に建立することが決定されました。

 熊野市に、追悼碑を建立する用地として、熊野市紀和鉱山資料館の敷地内、旧紀州鉱山板屋選鉱所前、「史跡 外人墓地」付近のいずれかの土地の提供を求めます。

 補 追悼碑建立用地にかかわってつぎのことを明らかにしてください。
 1).熊野市のホームページに、1987年7月に、「外人墓地」を移設したと書かれています。「史跡 外人墓地」の土地提供者、現在の所有者、および管理者は誰ですか。
 2).紀和町鉱山資料館が熊野市紀和鉱山資料館と改名されていますが、「史跡 外人墓地」の文化財指定者も紀和町から熊野市に変更されたのですか。されたのならその年月日はいつですか。
 3).「史跡 外人墓地」には、十字架に向かって左側に、「史跡 外人墓地 紀和町指定文化財」という題の碑が建てられており、その碑文末部には、「元号」で、「1987年6月吉日 紀和町教育委員会」と書かれています。この碑は、紀和町教育委員会が建てたものと思われますが、その費用はいくらでしたか。
 4).国道311号線から「史跡 外人墓地」に入る角に、「町指定文化財 英国兵士墓地 LITTLE BRITAIN 紀南国際交流会」と書かれた看板が立っていますが、この看板の用地の提供者・所有者・管理者は誰ですか。

2.紀州鉱山で死亡した人たちの埋火葬許可書の開示など、紀州鉱山で亡くなられた朝鮮人にかんする事実を明らかにする史料の提供を求めます。

 日本が朝鮮を植民地としていた時代、とくに、1940年2月から1945年8月まで、朝鮮人は、創氏と改名を強いられ、日本人式の名を名乗らされていました。
 紀州鉱山で亡くなられた朝鮮人にかかわる事実を知るためには、どうしても、当時の埋火葬許可書を、わたしたちが精査しなければなりません。
 なぜならば、当時の埋火葬許可書の被葬者名が日本人式の名であっても、その被葬者が朝鮮人である場合があるからです。その判別は、本貫など朝鮮人の氏名にかんする十分な知識がなければできません。

   7月10日までに、回答してください。

                  在日本朝鮮人総聯合会三重県本部
                  在日本大韓民国民団三重県地方本部
                  紀州鉱山の真実を明らかにする会
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