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2008年2月、甲府市歴史公園に「太白桜」(タイハクさくら)が移植(※)されて以来 NPO法人甲府駅北口まちづくり委員会 が毎年開催してきた「太白桜祭り」、今年は7回目になりました。
「信玄公祭り」の一環として開催されます、詳しくは甲府駅北口まちづくり委員会のページをご覧ください。

第7回太白桜祭り

私の記事は 2016-04-11 太白桜@甲府市歴史公園と甲州夢小路
2011年に 太白桜チャリティ青空市場@甲府駅北口広場
2008年に 歴史公園の太白桜、近況

(※)太白桜の移植については 2008-02-18 [街づくり] 花見の準備が整った(元甲府市議会議員 野中一二さんのブログ)で書かれています。

「太白桜」名前の由来(野中さんのブログから引用)
 鷹司家26代 元侯爵 鷹司信輔(1890~1959、明治23年~昭和34年)が命名した。鷹司家は関白太政大臣などを務めた名門である。
 タイハクは日本で一度滅びた品種であったと言われている。
英国在住のサクラ愛好家イングラム氏が所有しており、シーボルトによって持ち出された。明治の初め氏の庭から5本の穂木がジャガイモにさされ、シベリア鉄道に乗って運ばれた。この穂木は京都の造園業佐野藤右衛門氏により接木されたと言われ現在に至っているのです。

移植の由来は甲府市のページから・・・
 明治後期、現在の大津町から中央市乙黒にかけての笛吹川の土手沿いに「太白(たいはく)」「駒繋(こまつなぎ)」などといわれる品種の桜が咲き誇っていました。その地名から「乙黒桜」と呼ばれ、花の咲くころになると、舞鶴城公園の花見客が移ってきたのかと思わせるほど、多くの人でにぎわったそうです。
 しかし、昭和初期、笛吹川の河川改修などにより伐採され、乙黒桜は姿を消してしまいました。その桜を復活させようと、中央市乙黒の田中松彦さんが孫木を接ぎ木するなどして、苗木を増やし守り育ててきました。平成20年2月、そのうち6本の桜を、田中さんからの寄付で、市歴史公園に移植しました。



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