読売新聞山梨版で~発展支えた「大事業」 あす中央道全線開通30年~という2012年11月9日記事を読み1982年11月10日に全線開通だったことを知りました。
◆ブドウ農家 移転を説得、◆3キロ直線事故に注意、との二つの項目で当時の様子が紹介されていて、とても参考になる記事でした。
私は全線開通以前に大月~河口湖線が開通していた当時に、このルートをしばしば利用していました。都内から富士市、富士宮市方面に仕事で出かけることが多く、行きは環八から東名で富士IC、戻りは139号線を利用する方法を使っていました。大月から中央道に乗るか、そのまま20号線で戻ることが多かったです。時には逆に中央道経由で出かける場合もありました。それで本栖湖、精進湖、鳴沢、勝山、富士吉田、都留などは山梨県の地域、風景として記憶に刻まれたものです。
途中のどこでだったか覚えていないのですが、お店にあれば「月の雫」か「信玄餅」を買い求めるのも習慣で、それは山梨土産の定番という認識でした。
時間に制約が無い場合は一般道を走る方が好きなので、甲府に来てからは勝沼IC~相模湖・八王子間のみ利用することが多いです。東京、神奈川から戻るときは20号線とも思いますが、夜間は特に走りにくく危険が多いのでリスクを避けて中央道に入っています。カーブで中央線を踏んでくる対向車や車間を詰めてくる後続車が多いからなのですが、そんなマイカードライバーが多いのも自己中世相ゆえかもしれません。
私が甲府南ICから西で中央道を利用した事は未だ無いのです。松本・長野・富山・新潟方面に行きたいと思っているので、その時に使うことになるかもしれません。
発展支えた「大事業」 という読売新聞の見出しが意味するところを私は未だ十分には理解できていません。調べかけて中断しているのですが、山梨県内の産業立地・企業誘致に関する経緯を知りません。工業団地が多数ある事は知っていますが、それらの具体的な状況を整理する予定は中断しています。これも3.11が原因だと自分の不甲斐なさを言い訳しています。
道路、鉄道などの交通インフラと地域の発展の関係については、きちんと勉強せねばいけないと自戒しています。私はリニア中央新幹線プロジェクトを批判的に見ていますが、「シロウトが何を言うか」と自分自身でも思っています。