ICT工夫
全ての自由を奪えても、自由を求める自由だけは奪えない
  だからネットの使い方も 工夫 したい こうふ のブログ




宮崎学さんのサイトで、「憲法のメルトダウン―進行する排除社会・消えゆく法の下の平等―」終了しました。(2012-04-01) これは2012年3月31日に九州小倉で開催されたパネルディスカッションの記録動画です。開催告知ページからパネリストが分かります。
「共生」だの「共存」だの、言葉を飾り立てて語る人々が実は人間の本質的なものを本当に考えているのか、という大きな問題を暴力団排除思想は示しているのではないか。今、排除されるべきは「原子力ムラ」の住人であり、あるいは自分達もいずれ排除されてしまうことにはならないかと、何故考えようとしないのか・・・という問題として私は捉えています。【2012-04-04】


リンク集に入れてある 宮崎学さん のサイトから、『暴力団排除条例』の廃止を求め、暴対法の改悪に反対する表現者の会 と2012年1月24日に出された 「暴力団排除条例」の廃止を求め、「暴対法改定」に反対する表現者の共同声明 を知りましたのでリンクしておきます。

私がこのブログで暴力団関連の記事を書くと、コメントやトラックバックが増えるので書かずにいたのですが、今回の情報は記録しておきます。この問題のカテゴリーは「ニュース」ではなく「政治・社会」 だというのが私の認識です。

私が組織犯罪対策や暴力団関係の法令に関心を持っているのは昨日今日のことではありません。インターネット(情報の送受信)に関連するテーマだと考えればいつも注意しています。
宮崎学さんに関連しては、2010.04.06 「ヤクザ雑誌」規制? 福岡県暴力団排除条例 を書いています。
山梨県でも条例が制定されたことも確認しています。
山梨県暴力団排除条例(平成22年10月15日 山梨県条例第35号)
山梨県暴力団排除条例施行規則(平成23年2月3日 山梨県公安委員会規則第2号)

昨年来、山梨県内ネット記事からはお祭りの露天商出店規制についても読んではいますがブログには書きませんでした。今ひとつ私には未だ分からないことがあります。
私の考え方は今でも 「ヤクザ雑誌」規制記事に書いたことに同じです。最大最強の暴力組織とは法令を笠に着て人間を差別できる組織の事です。逆に言えば真のアウトローとは自分自身の存在のみを基盤に全ての人と等しく付合える人じゃないかと思っています。

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」
暴力団排除条例が士農工商の下に新たな最下層を造ってしまったのかどうか、今次大戦を生き延びて成人した子供たちが判断してくれるでしょう。
いや、萎縮した社会に育った子供たちがそういう判断力すらも持てなくすることに暴力組織の真の狙いがあるのかも知れません。ですから自由な精神をもった自立した人間として育って欲しい子供たちの為にこそ、暴力団排除という思想の根源を確認しておく必要があると私は思っています。


2012年1月30日のゲンダイネット記事、あえて言う!暴排条例の廃止はおかしい に気が付きましたのでリンクしておきます。『暴力団を違法化できるなら、暴排条例などハナから必要がなくなる。』 との結論ですが、存在を否定する規制ほど怖いものは無い、その行為についてのみ社会が認めるかどうかの問題ではないか、というのが私の考え方です。社会が変れば行為の容認についての判断基準も変りますが、存在を否定されたら人は生きることすらできない。一人殺せば犯罪だが百人殺せば英雄になるのが戦争です。



コメント ( 0 ) | Trackback ( )