ICT工夫
全ての自由を奪えても、自由を求める自由だけは奪えない
  だからネットの使い方も 工夫 したい こうふ のブログ




この記事タイトルは甲府市議 野中一二さんの最新記事-甲府駅北口まちづくりの変遷の第一章から戴きました。4月28日のホームページ-街づくりレポートで新着記事があるのを知り拝読したのです。
ちょうど前日の「北口の工事は大丈夫!?」という記事でペデストリアンデッキや藤村記念館の移築工事、NHKや合同庁舎の今後の予定なども整理された形で分かったところでした。情報距離が近い方からのネット発信は私のような異邦人にはとても助かります。

もともと国民体育大会にはまるで関心がなかったので「かいじ国体」があったことは曖昧な記憶、リンク先の記事を読んでみて大変参考になりました。「歴史に翻弄された・・・」というのはこの記事では現代史の最近20年ほどを指しているようですが、私は武田信玄以来の500年の歴史に翻弄された甲府というイメージを持っています。武田-豊臣-徳川-明治政府の流れの中で政治には翻弄されながらもしぶとく自らの文化を育ててきた街ということも感じているのです。
有名な幕絵もそうですし、他都市に先駆けた遊亀動物園とか取り壊される睦沢学校の校舎を甲府市藤村記念館として移築した大事業などにもみえるような高い文化レベルでしょう。ただネット時代に入ってその文化を適確に広く発信できていないような気がすることに私は若干の苛立ちを感じている・・・(それはまた別な話)

第一章は、『「甲府駅北口には何も無い」という多くの県民の意識を変え、甲府駅北口は文化・芸術の発信基地であるという強い理念を持ち、「自らのまちは自らで作り上げる」と言う当初よりの理想の姿を描きながら邁進するものと期待しています。』と締めくくられています。甲府駅北口地区は歴史文化学術都市甲府の起点になるべきだと思っている私はうなずきながら読みました。「期待しています」などと言わずに、「私もやるから期待してください」 と能動態で締めていただきたいところです(^o^)

Kofuchu_01 以前、武田二十四将屋敷跡を探訪して山本勘助屋敷跡に至る時に、古府中町の1号公園にある区画整理完成記念碑を知りました。
「甲府市寿町、宝二丁目、丸の内三丁目及び相生一丁目の各一部」による「甲府都市計画事業寿宝地区土地区画整理事業」も昭和59年12月(1984年)頃から続いた事業のようです。甲府市例規集に載っているので驚きました。私が甲府に来た最初の頃、自転車で県立美術館に行こうとして工事中の広い道にびっくりしたことを思い出します。サイトが再構築されてイベント情報も見やすくなった山梨県立県民文化ホールはこの地区の先行投資だったのでしょう。「寿宝区画整理事業 甲府市」の検索で出てきた「宮島雅展甲府市長の施政履歴」に「寿宝地区(平成15年度内完了)」と書かれていました。このGoogle検索で既に野中さんの記事が例規集に続いて二番目にヒットしたことには驚きます。
街づくりに伴う区画整理事業については、昭和町の大型ショッピングセンター事例でも気が付きましたが、私には縁が無い世界だったので、これに関する知識は皆無です。でも検索すると情報が得られるネットICT時代のありがたさを改めて感じます。

それはともかく、「なぜ今北口なのか」 と題された第二章から、ひとつの大事業が収束に至り北口事業推進に注力できるようになったということは理解できました。『県の甲府駅北口に対する方向ははじめて決定し、甲府駅北口は山梨県の文化芸術の発信基地となると言う大きな目標が掲げられたのでした。』と、この章も締めくくられています。
以前にも書いた甲府北口駅前県立図書館問題についてはここで改めて書く必要もないと思います。政治・行政の歴史に翻弄されない図書館になることを祈るのみです。

夜になって第三章、第四章が出ていましたが、まだ続きがあるようですから、拝読して改めて書きたいと思います。



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