電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
【花が降る午後】
【花が降る午後】
「星が降る夜」などというロマンチックな言葉がある。
満天の星空など人生で数度しか見たことがないけれど、言葉を失うくらいに綺麗だとは思っても、星が降るようだ、なという形容がピッタリと感じたことはないし、流星雨の夜に星が流れるのも見たけれど、それもまた星が降るようには見えなかった。
春が来て、雨期が来て、木々が葉を広げ、日ざしが木漏れ日として地上に射し込むような季節になった。
Data:MINOLTA DiMAGE 7
立ち止まって頭上をぼんやり見上げていると、細かいゴミくずのようなものが地上に向かって間断なくはらはらと舞い落ちているのが見える。地面に顔を近づけたり、手のひらで受け止めたりしてみると、それは遙か上空の梢で、木々が開花した花を降らせているのだ。
蒸し暑い6月になると、六義園の散歩は、日向より鬱蒼たる雑木林の小径を歩くほうが気持ち良い。
地面一杯に極小の花が散り敷いている場所があり、立ち止まっていると、あっという間に髪の毛の上にも肩先にも、小さな白い屑が降り積もる。
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トウダイグサ科アカメガシワ属の『アカメガシワ』は雌雄異株の樹木であり、六義園のこの場所では雄花がはらはらと花を散らせているのである。
非常に著しい成長を示す木で、あっという間に大きくなるかわりに寿命が短いそうで、そのせいもあって、こんなに激しく生殖活動をしているのかもしれない。
生殖活動で放出される物質を全身で浴びるなどという行為は、少なくとも同性ではぞっとしないことなのだけれど、植物が放出する香気に触れたり、生気を感じたりすることには、ちょっと恍惚とするような快感があって不思議だ。木々の合間を漂うねばねばとした空気感に包まれて微睡(まどろ)みたくなることもあるけれど、それは太古の昔に森で暮らした祖先の記憶が残っているからかもしれない。
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( 2009 年 3 月に閉鎖した電脳六義園通信所 2004 年 6 月 24 日、18 年前の日記に加筆のうえ再掲載。)
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