【記念メダル】

【記念メダル】

高さ 147 m、地下 3 階地上 36 階、日本初の超高層建築「霞が関ビル」が竣工したのは 1968(昭和 43 )年 4 月 12 日。今では当たり前になったセルフクライミング方式タワークレーンもこの時導入された新工法であり、施工は鹿島建設だった。

高校時代、完成して間もない霞が関ビル最上階の展望台に行って来たと記念のメダルを見せびらかす友人がいた。ずいぶん幼い高校生だなと今では思うけれど、地震国日本では不可能とされていた初めての高層ビル建設を柔構造理論を用いて成し遂げたわけで、まさに戦後日本経済復興の象徴であり、日本の技術力の高さが、当時の高校生にとっても誇らしかったのかもしれない。


Data:MINOLTA DiMAGE F100

大学を卒業した翌年、霞が関ビルに隣接したビルから雑誌デザインのアルバイトをいただき、それ以来、毎日のように霞が関通いをした時代があった。霞が関ビル最上階には展望台があり、レストランも併設されていて、何度か食事をしたり酒を飲んだこともあった。

久し振りに霞が関まで打ち合わせに出掛けたので、36 階展望フロアにでも行ってみようかと直通エレベーターに乗ったら、通常の企業が入居しており、展望台は消滅していた。考えてみれば、霞が関ビルより高いビルも今ではいくらでもあるし、直通の高速エレベーターが使える 36 階は好条件の賃貸物件になるわけで、1989 ~ 94 年にかけて行われたリニューアル工事の際に展望台はその役目を終えたのかもしれない。


Data:MINOLTA DiMAGE F100

霞が関ビル展望台にまだ記念メダル販売機が残っていたら買ってみようか、などと考えていたのだけれど、何とものんきな考えで恥ずかしい。それにも懲りず、東京タワーの記念メダルは今でも買えるかもしれないから今度行ってみようかな、などと考え始めている幼稚さは更に恥ずかしい。

けれど、やっぱり誰でも人生を振り返ってメダルが欲しいのだ。それというのも、あの時代の日本の若々しさと活力が、自分の失われた青春と妙に同期しているように思えてならないからだ。

( 2009 年 3 月に閉鎖した電脳六義園通信所 2003 年 6 月 29 日、19 年前の日記に加筆のうえ再掲載。)

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