【小鳥を食べる】

【小鳥を食べる】

ちょっと前まで、街を歩くと大衆酒場の店頭で、羽をむしって丸のままのスズメを串に刺しタレをつけて焼いている光景を目にし、当たり前のことのようにスズメ焼きが飲んべえのつまみにあった気がするのだけれど、気がつくとすっかり見かけなくなっていた。

日本中でそうなのかしらとインターネット検索してみると、昔のように当たり前にではないけれど各地に食べられる店があるらしいし、個人的にスズメ食を楽しんでいる方もいるらしい。

若者がスズメ焼きを注文したら、食べにくいし食べるところが少なくて美味しいものではない……と書いていたりして微笑ましい。歯が丈夫だった頃の母や、その親と兄弟姉妹が聞いたら大笑いしたと思う。祖父や叔父が狩りをする人だったのでスズメはしばしば食卓に上り、子どもだったのでやはり「(食べにくいし食べるところが少なくて美味しいもんじゃないなぁ)」と思った。だが大人たちは丸ごと骨までバリバリと食べるのであり、「頭をガリッと囓ったときに柔らかいものがクチュッと出るのがたまらなく美味しい」などと言っていた。日本全国の大衆酒場でスズメ焼きを嬉しそうに食べていた人たちも同じように思ったのだろう。

先日、清水でヒヨドリの丸焼きをごちそうになった。有害鳥獣駆除の許可が出たので捕獲したそうで、ザルを地面に斜めに伏せて置き、その下に餌をまき、縁側に座って待っていてヒヨドリがザルの下で餌を食べ始めたら紐を引っ張ると、ザルを斜めにするためにあてがったつっかえ棒がはずれて、ヒヨドリがザルの中に閉じこめられるのだという。

そういえば和歌山で狩りをしていた友人が、ヒヨドリを撃つとその場で羽をむしり、砂肝を取り出して生で食べると最高に美味いと言っていたのを思い出した。

 あるとき大勢の会食で、血だらけの豚の頭がでたが、さすがにフォークをすすめかねて、私はいった。
「どうもこういうものは残酷だなあ――」
 一人のお嬢さんが答えた。
「あら、だって、牛や豚は人間に食べられるために神様がつくってくださったのだわ」
 幾人かの御婦人たちがその豚の頭をナイフで切りフォークでつついていた。彼女たちはこういう点での心的抑制はまったくもっていず、私が手もとを躊躇するのをきゃっきゃっと笑っていた。
「日本人はむかしから生物を憐れみました。小鳥くらいなら、頭からかじることはあるけれども」
 こういうと、今度は一せいに怖れといかりの叫びがあがった。
「まあ、小鳥を!あんなにやさしい可愛らしいものを食べるなんて、なんという残酷な国民でしょう!」
 私は弁解の言葉に窮した。(竹山道雄『ヨーロッパの旅』新潮文庫より)

最近の若者を中心に考えた日本の食文化は、竹山道雄(『ビルマの竪琴』を書いた人)が唖然とした西欧人の肉食の思想にどんどん近づいており、「まあ、小鳥を!あんなにやさしい可愛らしいものを食べるなんて、なんという残酷なオヤジでしょう!」と思うようになっているのかもしれない。

( 2009 年 3 月に閉鎖した電脳六義園通信所 2004 年 6 月 26 日、18 年前の日記に加筆のうえ再掲載。)

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