電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
【意味ありげ】
【意味ありげ】
世界は意味ありげなもので満ちあふれている。
人が構えて意図的に物を見るとき、網膜上に切り取られて映し出される映像の切り取られ方こそ「意味ありげ」なのだけれど、それに加えてショーウィンドウのガラスなどが間にあると更なる反映で「意味ありげ」が重なり、重ね合わされた「意味ありげ」が重層された合成映像はさらに「意味ありげ」を増していく。
Data:SONY Cyber-shot W1
繁華街を歩くと目の端に次々に「意味ありげ」があらわれては消えていく。こういう重層した「意味ありげ」が連続する世界に身を浸して「意味ありげ」な思索に耽るのが好きだと、都会に酔ううちに中毒になる。都会は人を「意味ありげ」なものに溺れさせる装置であり、「意味ありげ」を過剰な快感と感じるのは一種の病気だろう。
ただ単に「意味ありげ」なものからむりやり意味を読みとろうとするのは疲れる。「意味ありげ」はただひたすらに「意味ありげ」だからこそ楽しいし、これは大いなるメッセージである!などという冗談も許されるのである。
「意味ありげ」に名前と注釈と価格をつけて羞恥心を取り除いたものが、「作品」と呼ばれるものの実体である。実は「意味ありげ」な「作品」の原点は誰にでもある視覚による原始的創造行為なのであり、すべての人の網膜上で常に上映中なのである。
Data:SONY Cyber-shot W1
「意味ありげ」は都合良く綺麗なので、こうして「意味ありげ」を見て、「意味ありげ」な写真を撮り、「意味ありげ」な日記に「意味ありげ」な事を書くのも、重層する「意味ありげ」な世界の隘路にはまって重層化に荷担しているのであって、それはきっと病気なのでほどほどにしようと思う。
写真は『東京国立近代美術館フィルムセンター』界隈にて。
( 2009 年 3 月に閉鎖した電脳六義園通信所 2004 年 6 月 22 日、18 年前の日記に加筆のうえ再掲載。)
◉
« 【蘇生と起床】 | 【1968年のビ... » |
コメント |
コメントはありません。 |
コメントを投稿する |
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません |