【祭りのあと】

【祭りのあと】

難病にかかって、わが母と手紙で励まし合っていたいた 12 歳年下の従妹が母の死の翌々日、あとを追うように他界した。

そしてその夏、叔父の家の縁側で従妹が遺した中学生と小学生の姉弟がする花火を見た。人生で一番美しい花火だったような気がして、今年の夏も姉弟がおじいちゃんの家で過ごすなら、花火を買って持って行こうかな、と思ったりする。むかし大人たちが子どものする花火を遠くから楽しそうに見ていたけれど、そういう花火がいいと思える年齢になってきた。


DATA:RICOH Caplio GX

仕事帰り、東大正門前からバスに乗ったら駒込富士前バス停で子どもたちがおおぜい降りるので何だろうと思ったら、都立駒込病院脇を通って藪下通りへと続く古道沿いに夜店が建ち並んでいるのが見えた。駒込富士神社の夏祭りなのである。


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若い頃はいい大人のくせに楽しみの中心にいたい自分がいた。
 
友人たちと飲み会をし、神社に祭礼の夜店が出ていると酔った勢いで繰り出し、射的に夢中になってひとり一万円以上もつぎ込んで撃ちまくり、帰宅して撃ち落としたココアシガレットやフルヤキャラメルの箱を山積みにして大笑いしたこともある。そして花火をしようかといえば度を過ぎた大人買いをして騒いでいた。


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大人になってから、思い通りにならなかった少年少女時代の怨念の憂さを晴らしがしたい時期があるのだろう。そして子ども時代の夢がお金でたやすく買えてしまう、つまらない大人になったことを自覚し、子ども時代の夢がお金でたやすく買えないからこそもっと得難いものだったことを思い知る。そしていい大人になる。


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富士神社参道を歩き、夜店を眺めていら、友人の子どもでもいいから、子連れで歩いたら楽しいだろうなと思う。そして祭りの空間で夢中になっている子どもたちを眺めていると、花火に興じる子どもたちを見守るのが楽しいように、ひとつ外側の世界に身を退いて若い命の輝きを眺めることこそが楽しく感じられるようになっている自分に再び出会うのだ。

( 2009 年 3 月に閉鎖した電脳六義園通信所 2003 年 6 月 30 日、19 年前の日記に加筆のうえ再掲載。)

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