◉シムズ先生の日記

2019年5月18日(土)
◉シムズ先生の日記

亡き親の住まい片付けが進み、同じマンションの中で、片付けながら親の住まいに自分たちの住まいを統合し、そのついでに自己幻想、対幻想から疎外された社会的な身の置き場すなわち共同幻想との接点である仕事場も片付けている…とか、難しい本が出てきて拾い読みしているとそう思う。そうせざるを得ないように人間はできているということが、働きながら読むとわかる気がする。
 
 
1 Nikor 1:3.8-5.6 f=35-110 mm
 
ローラ・インガルス・ワイルダー(Laura Ingalls Wilder 1867 - 1957)が書き残した自伝は『大草原の小さな家』としてテレビシリーズ化され、NHK 総合テレビで楽しみに見ていた。子どもの頃、妻が読んでいたその原作本もまた捨てられない大切な本になっている。
 
『大草原の小さな家』で名前はたしかシムズ先生だったと思うけれど、やさしい女性教師が出てきていつも日記を書いていた。彼女の日記は必ず「日記さん」という呼びかけで始まる。欧米人は「dear diary(日記さん)」と日記に語りかける。「日記はひとりごとだ。誰かに読んでもらいたくて書いてるんじゃない、自分のために書いてるんだ」と言ってみても、言葉は常に自分と一対一で向き合う者を生み出してしまう。「わたし」はそもそも「わたしの話を聞いてくれるあなた」という一対一の基本構造「吾(あ)」でできている。ひとりの人間はそもそも 2 in 1なのだ。ゆえに「あ」から始まる言葉は「わたし」の生みの親である。親は大切にしなくてはいけない。
 
 
書いた文字が割り当てられたページにぴったり収まらないと気持ちが悪いので、雑誌に載る原稿は文字数を指定し行数表示を見ながら縦書き表示できるエディタで書いている。あらかじめ割り振られた文字数を無視しただらしない友人某の原稿を見ているうちに自分の姿勢が改まった。持つべきものは反面教師の友である。
 
このところ macOS 用 日本語テキストエディタ「mi(エムアイ)」を愛用している。Windows ならこういう無料ソフトウェアは山ほどあるだろうし、友人お気に入りの Microsoft Ward ならもともとそういう機能を備えている。有料の Ward ユーザーほどズボラが多いのが面白い。
 
最近の大手印刷会社にはプリンティング・ディレクターという役職名の人がいて、製版および印刷の技術的な打ち合わせ、イコールご予算の駆け引きをする。絵本出版の世界はたいへんだ。そのうちイメージ戦争の果てに、「ゼネラル・エグゼクティブ・プレミアム・マーベラス・ プリンティング・ディレクターです」などと肩書きを名乗り出すかもしれない。今日はその PD がやってきての打ち合わせがあるそうで、妻は午後から外出した。外向きになるとロボット歩きがぴたっと治るのも不思議といえば不思議である。
 
ネット申し込みをして 6 点搬出した粗大ゴミ電気製品のうち 2 点が誰かに持ち去られたが、今朝になってそのうちのひとつが元の場所に戻されていた。義父母が大事に使っていたので新品同様だけれど、持ち帰ってみたら希望にそぐわなかった、もしくは「そんなもの拾ってくるな!」と家族に叱られたのかもしれない。ありそうな話で、粗大ゴミもきっとちいさな物語を道連れに旅立っていく。
 
 
1 Nikor 1:3.8-5.6 f=35-110 mm
 
長年日記を書いていると「今年は例年にくらべてとくに…」などという感じかたがあまり当てにならないことがわかってくる。なるべくそう言わないようにしているけれど、それでも言いたくなるのが人の習性らしい。言うまいと思えど、今年は例年にくらべてとくにバラの花のつきかたが良いように思う朝の散歩である。
 
(2019/05/18 記)
 
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