酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「コロナ新時代への提言3」~価値観を変えるヒントを得た

2021-08-16 22:46:49 | カルチャー
 ミューズ「シミュレーション・セオリー・フィルム」(WOWOW)を見た。8thアルバムのコンセプトを軸に制作された映像、ロンドンでのライブ、数十人によるステージ上のパフォーマンスの秀逸なコラボである。ネット上と病原菌の感染が交錯し、ロックダウンにも言及されていた。2019年秋のライブだから、コロナ禍を予見したような内容といえる。AIによる情報操作、フェイクニュースに警鐘を鳴らして抵抗を呼び掛けるなど、ミューズのラディカルな思想性を反映していた。

 コロナ禍と毎年繰り返す大雨による被害に、終末の予感がよぎってしまう。生物多様性の回復と自然との共生を目指すためには、グローバリズムからの脱却が喫緊の課題だ。人類の、いや自分の来し方を振り返り、価値観転換へのヒントを与えてくれる番組を見た。「コロナ新時代への提言3~それでも、生きてゆける社会へ」(NHK・BS1)である。

 山口周(独立研究者)、斎藤幸平(経済思想家)、磯野真穂(医療人類学者)の3人がそれぞれの観点からコロナ新時代を語る。共通のテキストになったのはミヒャエル・エンデ著「モモ」だ。斎藤については繰り返し言及してきたが、山口と磯野を知ったのは当番組が初めてだった。

 斎藤は冒頭、<コロナも気候変動も、ともに真犯人は資本主義>と断定し、行き過ぎた新自由主義を俎上に載せる。コロナ禍において、先進国では<命か、経済か>の選択が突き付けられた。医療関連の費用削減日本に限ったことではない。コロナ禍が医療崩壊をもたらしたのは必然の結果だった。自助が強調され、公助と共助が軽んじられ、コロナ禍によって格差は決定的になる。

 「モモ」は30年以上前に読んだが、凡庸な俺はインパクトを感じなかった。当番組に関わるのは第2部「灰色の男たち」だ。灰色の男たちは時間泥棒で、<時間を節約すれば生活は豊かになり、君たちは幸せになれる>と宣言し、人々から時間を奪っていく。

 磯野は現在と対比して「モモ」を語る。出会いでしか生まれない時間を生きるモモに会うために人々は集まってくる。だが、時間泥棒に支配された人々は次第にモモから遠ざかっていく。コロナ禍において、人々は他者と触れ合う時間を奪われ、拡散した<不要不急>に人々が賛同したことに、磯野は恐怖を覚えると同時に、命が数値化されることに違和感を覚えた。

 磯野に重なるのはシリーズ初回に登場した國分功一郎(哲学者)だ。國分は「生存以外のいかなる価値も認めない社会とは何なのか。疫学的に人口を捉え、人間を一つの駒として捉える見方に違和感を覚える」と語っていた。お盆の時季に墓参り出来ず、死者に向き合えない社会が恒常化することは、いずれ<生の意味>も変えてしまい、時間は空虚になるだろう。

 斎藤はマルクスの「資本論」に則り、時間泥棒とは人間が生み出した資本だと説く。資本主義は人々を搾取し、消費を礼賛する。モモは人々が仕事に関心をなくし、画一化、効率化されていることに気付いていた。山口は「モモ」を読んで<退屈>という問題に行き当たったという。マリー・アントワネットの「退屈するのが怖い」という呟きが近代の始まりと捉え、コロナ禍がピリオドを打ったと語っていた。退屈から逃れるため、人々は消費と生産を繰り返す。一方でモモは、独りで星空を眺めていても退屈さを感じない。静寂を満喫出来るのだ。

 斎藤は晩年のマルクスが到達した自然との共生にインスパイアされて<脱成長コミュニズム>を提唱する。人類の共有財産である<コモン>をシェアしていくことで、〝資本主義以外に道はない〟という刷り込みから自由になる道が開けるのだ。山口もまた、格差が拡大し二極化が進行する資本主義を克服する道を提示する。具体的には富裕層への増税とベーシックインカムを挙げ、<金持ちが金持ちでいられない世の中>を掲げている。

 日本は登山の時代を終え、成長の必要がない<高原社会>に到達したと山口は説く。斎藤の<脱成長コミュニズム>と通底する部分もある。磯野が紹介した<ゴンドラ猫の実験>も示唆に富む内容だった。ここで俺の貧弱な脳がショートした。次稿の枕で「モモ」のラストについて記したい。
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