酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「コロナ新時代への提言2」~寝正月に学んだウイズコロナの指針

2021-01-04 21:08:15 | カルチャー
 明けましておめでとうございます。例年は従兄宅から母が暮らすケアハウスに通っていたが、施設がロックダウンで帰省はかなわず、年末年始は東京でゴロゴロ過ごした。

 寝正月の楽しみといえばスポーツだ。愛国心、愛校心とは無縁だが、郷土愛は人並だ。高校サッカーの京都橘は2回戦で敗れたが、ラグビーは京都成章がベスト4に進む。ここ数年、応援しているのは隣県の天理大ラグビー部だ。パワフルかつテンポの速いラグビーは健在で、大学選手権準決勝で明大を圧倒する。決勝も勝機は十分だ。

 録画しておいたドラマでは、「ノースライト」(全2回、横山秀夫原作)、「岸辺露伴は動かない」(全3回、ともにNHK)が秀逸だった。エンタメではないが、大晦日に再放送されたBSIスペシャル「コロナ新時代への提言2」に感銘を覚えた。

 福岡伸一(生物学者)、藤原辰史(歴史学者)、伊藤亜紗(美学者)がウイズコロナ時代の指針を提示するという内容で、福岡は<理想的に語られがちな「共生」は矛盾だらけ>、藤原は<「潔癖主義」は感染し、我々の行動を狭めていく>。伊藤は<一見いい行動は「利他的」ではない>とそれぞれ冒頭で問題提起する。
 
 進行役を兼ねていた福岡はピュシス(自然)とロゴス(言葉・論理)を対立概念に据え、漫画版「風の谷のナウシカ」(宮崎駿著)を取り上げる。映画はハッピーエンドだったが、原作はペシミスティックな文明論になっているという。福岡の論考は最後に紹介する。

 藤原は太平洋戦争とコロナ禍の日本を重ねていた。大本営は敗退を転進と置き換え国民に幻想を与えたが、安倍前首相は「コロナウイルスとの闘いにおける勝利の証しとして五輪を開催する」と宣言した。戦争とリンクしているのが排除の論理で、端的に表れたのがナチスドイツだ。その根底にあるのは潔癖主義と指摘する。

 〝自然との共生〟を謳ったナチスドイツだが、〝他民族との共生〟を志向しなかった。藤原は福岡とのリモート対談で、<人間は上水道と下水道の中間に存在する>と語り、福岡も行き過ぎた消毒文化に懸念を示していた。藤原は自粛警察にナチス時代に暗躍した民間監視人を想起した。「パンデミックを生きる指針」に記した方方の<一つの国が文明国家であるかどうかの基準はただ一つしかない。それは弱者に接する態度にある>を同番組でも紹介していた。

 吃音者の伊藤は、<言葉(ロゴス)を発しようとすると、体(ピシュス)が止める>と自らの経験を語っていた。日常的に障害者と接している伊藤は、「毎日がはとバスに乗っている気分」と語る全盲の知人の言葉にショックを受けたという。丁寧に保護、コントロールされていることに違和感を覚えているのだ。その点を踏まえ、伊藤は「利他とは待つこと、スペースをつくること」と考えている。

 差別されている者に自然体で触れ、吐血する兵士と唇を重ね毒を吸い出すナウシカに言及し、<排除なき共生>に利他性の本質を見いだした。〝これだけの労働をしたら、相応の成果が挙がる〟という<人間の画一化>に当てはまらない障害者は、自身の体が人間であり、自然でもあることを認識せざるを得ない。「身体の多様性を踏まえると、世界の別の顔が見えてくる」と伊藤は言葉を結んだ。

 福岡は<ウイルスは共生と利他性を体現している>と語る。生命体はDNAを垂直に伝えていくが、ウイルスはある種AからBに乗り移る時、Aの遺伝子の一部を水平に引き渡す。宿主の免疫システムを刺激し調整するウイルスは、人間にとって友達なのだ。これからも確実に新ウイルスが発生する以上、ウイルスを制圧するのは不可能だと福岡は言う。

 <パワーを求めないことが真のパワー>と福岡は締めた。効率化、生産性、アルゴリズムを追求し、ロゴスにコントロールされた世界がAIをツールに進行中だ。福岡は「風の谷のナウシカ」のラストのようにピシュスの逆襲の可能性を示唆していた。

 この番組を見て、自身の底の浅さに気付かされた。枯れることに加え、深めることを今年の目標にしたい。「風の谷のナウシカ」(全7巻)を読了し、当ブログで紹介出来ればいいのだが……。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« <鬱>、<弧>、<壊>、<... | トップ | 「死神の棋譜」~将棋への愛... »

コメントを投稿

カルチャー」カテゴリの最新記事