酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「野生の棕櫚」~フォークナーの最後の実験?

2024-02-02 22:34:57 | 読書
 あした(3日)は節分で、スーパーやコンビニの棚には数種類の恵方巻きが並ぶ。一般に認知される1960年代半ばから、母は恵方巻きを作っていた。具材は細長い肉のポールソーセージ、卵焼き、キュウリに定まり、遠足のお弁当などの定番になる。母の体力がなくなり、引き継いだが妹も召されて10年以上経つ。俺がソウルフードを食べる日は来るだろうか。

 ウィリアム・フォークナー著「野生の棕櫚」(1939年、加島祥造訳/中公文庫)を読了した。別稿で紹介した「PERFECT DAYS」(2023年、ヴィム・ヴェンダース監督)で平山が寝る前に読んでいたうちの一冊だったことで興味を持った。20~30代、代表作「響きと怒り」、「サンクチュアリ」、「八月の光」、「アブサロム、アブサロム」に悪戦苦闘した記憶がある。フォークナーは俺にはハードルが高い作家で、〝読み終えた〟という達成感を得ることが目標だったのだろう。

 濃密なアメリカ南部の空気感が漂う「野生の棕櫚」は<二重小説>の構成を取っている。奇数(1、3、5、7、9)の章が「野生の棕櫚」、偶数(2、4、6、8、10)の章が「オールド・マン」で、別々の物語が進行する。「野生の棕櫚」はハリー(ヘンリー・ウィルボーン)とシャーロット・リトンメイヤーの恋が描かれ、「オールド・マン」ではミシシッピ川の洪水被災地救援のため刑務所から派遣されたのっぽの囚人(白人)が妊婦を救う。

 背景である1930年代のアメリカは、大恐慌を克服するためフランクリン・ルーズベルト大統領が打ち出したニューディール政策によって価値観が大きく変わる。限りない自由を求めた人々は破綻し、失業したホワイトカラーはニューディールによる救済策に頼ることになる。研修医だったハリーもまたその一人だったが、30年代は女性の意識が変わった時期でもあった。職だけでなく自信も失った男たちと比べ、女たちが相対的に強くなる。シャーロットも自分の思いに忠実であろうとする女性で、2児の母でありながらハリーとの逃避行を選ぶ。

 愛と自由を追求するシャーロットに感化され、ハリーは自身のブルジョワ的価値観を捨て、〝形のない〟ものを手に入れようとする。縛られることを忌避した2人は都市を離れて生活するが、絶対的な〝形〟が障害物として現れた。シャーロットの妊娠である。子供は自由への桎梏であり、同時に社会復帰のきっかけでもあった。シャーロットに求められて堕胎手術をしたハリーだが、失敗に終わる。

 フォークナー自身、<「野生の棕櫚」は恋のためにすべてを振り捨て、しかもそれを失うシャーロットとウィルボーンの物語。でも、作曲でいえば対位法のように、これを高めるものが必要だと感じて「オールド・マン」を書いていくと再び「野生の棕櫚」が浮かんだ>と<二重小説>の構成を解題している。作品中ではのっぽの囚人の妊婦への感情は記されていなかったが、<愛を手に入れたのに逃げ出そうとする囚人>と作者は綴っていた。<愛と誕生>を巡るコントラストが両作を紡いでいた。

 ヴァージニア・ウルフとともに<モダニズム文学>のツインピークスと位置付けられるフォークナーは、南米文学に絶大な影響を与えた。だが、「野生の棕櫚」を書き終えたフォークナーは1939年以降、<モダニズム文学>以前に回帰したと評されている。傑作を世に問い続けたフォークナーだが、フランスで認められただけで国内では無名で、ハリウッドでシナリオを書いていた時期もある。選集発刊で一躍注目を集め、1949年にノーベル賞を受賞した。〝20世紀最高の作家〟が埋もれていた可能性があったことに驚くしかない。
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