酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「100分deパンデミック論」~生き方を変えるためのテキスト

2022-01-27 22:17:40 | カルチャー
 中3日が基本のブログ更新だが、今回は+2日と時間を要してしまった。昨年8月に脳梗塞で入院した俺は、イエローカード1枚持ちの状況。次は〝レッド=日常生活から退場〟と医者に警告されているし、〝もしや〟と勘繰られた方もいるかもしれない。

 実際は王将戦第2局、ドラマチックな試合が相次いだNFLディヴィジョナルプレーオフに気を取られ、ブログに手が回らなかった。テーマとして準備していた新春スペシャル「100分deパンデミック論」(1月3日、NHKBSプレミアム)の内容があまりに濃く、消化不良に陥っていたこともある。

 <パンデミック>をキーワードに名著を持ち寄った4人が、他の出演者の推薦本も熟読して集う。斎藤幸平(経済思想家)は「パンデミック」(スラヴォイ・ジジェク著)、小川公代(文学・医学史研究者)は「ダロウェイ夫人」(ヴァージニア・ウルフ著)、栗原康(アナキズム研究者)は「大杉栄評論集」、高橋源一郎(小説家)は「白の闇」(ジョゼ・サラマーゴ著)をピックアップしていた。

 伊集院光、安部みちこアナはレギュラー番組同様、的を射たコメントでスムーズな進行に寄与していた。加えてスペシャルでは〝陰の司会〟こと高橋の年の功が、和気藹々とした空気が醸し出す。感想を語り合ううち、4作がシンクロしていった。高橋は<著者はみんなアウトサイダーで、普通の人が見えないものをキャッチしていた>とまとめていた。斎藤と栗原は俺が注目している思想家で、小川と高橋が選んだ2作はブログで紹介している。至高の書評番組に、陶然とした気分を味わっていた。

 斎藤は「欲望の資本主義 新春スペシャル」でトーマス・セドラチェクと対談した。チェコ生まれで東欧革命を経験したセドラチェクは斎藤の<脱成長コミュニズム>に懐疑的だったが、コロナ禍を機に「パンデミック」を著したジジェクは斎藤と同じく、社会主義、マルクス主義に可能性を見いだしている。

 ジジェクはエッセンシャルワーカーへの感傷的なキャンペーンを否定し、新自由主義の下、さらに広がる格差を突き付ける。まさしく斎藤の、そして栗原のツボだが、小川と高橋も同じ立ち位置で世界を眺めていた。<グローバリズムの下、貧困のパンデミックを攻撃せずして、ウイルスのパンデミックを終息できるはずがない>というジジェクの結論は4人の共通認識でもあった。

 ラカンに沿う形でジジェクが提示した夢の分析が、番組全体で繰り返し言及された。かなり難解なので〝正しく〟整理する自信はない。現在のパンデミックに敷衍するなら、<私たちはコロナ、自然破壊、格差と貧困といった現実から目を背けさせられている>……。父親が見た悪夢は、現実逃避したことへのトラウマのメタファーで、ビフォアコロナに戻るなんて不可能なのだ。

 意識の流れの提唱者とされるフォークナーがデビューする1年前(1925年)に発表されたのがウルフの「ダロウェイ夫人」だ。死の匂いが濃密な本作について小川が提示した事実に、他の3人は衝撃を受けていた。ウルフ、そして作者の反映であるクラリッサ・ダロウェイはスペイン風邪に罹患していた。クラリッサの死への予感、教会の鐘の音と墓地の描写が頻繁に織り込まれていた。「ダロウェイ夫人」は〝パンデミック小説〟の魁といえる。

 ウルフは26年に発表したエッセーで<直立人と横臥者>の構図を示す。斎藤は<直立人=男・支配層、横臥者=女性・弱者>と読み解き、高橋は横臥者を死の床に伏した正岡子規に重ねる。栗原は同時代人の大杉栄のトンボに纏わる逸話を紹介し、「大杉栄評論集」へと論を進めた……。さあといきたいところだが、俺は今、栗原の「サボる哲学」を読んでいる。次々稿で番組の内容と併せて紹介することにする。

 最後は「白の闇」だ。このデストピアの存在を知ったのは5年前の辺見庸の講演会だった。物語の発端は雑踏で、男が運転中に突然失明する。眼科医の医者、患者たちが連鎖的に白の闇に襲われ、人々が次々に視力を失っていく。失明者を隔離した精神病院は強制収容所の如くで、瞬く間にキャパを超え、混乱は世界の縮図として描かれる。互いをかばい合う理性の欠片もなく、獣性剥き出しの戦場に化す。

 「ペスト」では病と闘う人たちが英雄的に描かれるが、「白の闇」で描かれたのは<強制収容はパンデミックの本質と同じ>ということ。「白の闇」の帯には辺見の「私たちはすでに、心の視力を失っている」が記されていたが、語り部で唯一目が見える医師の妻の言葉<目が見えない方がどれほどいいだろう>が深く世界を抉っている。上記した夢と重なる部分もあった。

 カタストロフィー的な状況に至った時、力を発揮するのは女であり、エッセンシャルワーカー的な心身の動きだった。直立人的な横暴さを剥き出しにした男たちは情けないほど無力だった。新たなウイルスにも襲われるだろうし、気候変動もとどまりそうにない。永遠に続くパンデミックに向き合うためのヒントを与えてくれた100分だった。
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1 コメント

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Unknown (すみれ)
2022-01-30 02:11:32
この特番、全てが飲み込めた訳ではないのですが、ぼくも昨年から読み始めた斉藤幸平と一昨年から読み始めた栗原康の発言に興味を持っておりました。
栗原康氏か関わった映画で「菊とギロチン」を愛好しておりますし、栗原康氏のほぼ全ての著書は読みました。斉藤幸平氏の「人新世の資本論」には本当に衝撃をうけました。
特に新書のベストセラーと言われている「人新世の資本論」が実は50万部に及ばないこと。一瞬だけみた正月番組で「SDGsなラーメン屋」を探すというフィリップがめくられたとたん芸人サンたちが一斉に「意識高いー」を喚いていたことに断裂を感じました。

じつのところみんな身に染みてない問題なのね。だ誰かがなんとかしてくれる問題でしかないんだー、と。

70億に膨れ上がった人類がバリバリにベンチに入っているもんだなのに。
それこそ「世界が燃えているってわからないの?」ゆうやつです。

でも市場経済の暴走や換金作物に縛り付けられたプランテーションのひとびと、毎年かわる流行のために安い服を生産させられているひとたちの流れに僕個人が何ができるのか?

ひどく面倒な世界とちっさい自分、なによりもこの段列にどうしていいのかわからない2022年初頭、なのでした。
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