酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

追悼柳家小三治~名人との10年の思い出

2021-10-24 21:45:55 | カルチャー
 前稿で記したように、京都で65歳を迎えた。あと何年生きられるかわからないが、年金生活をいかに過ごすか、即ち終活が今の最大のテーマだ。わずかでも収入を得たいが、簡単な話ではない。緊縮財政は覚悟しているが、楽しみがなければ空しい老後になる。読書、映画観賞以外の軸候補は落語あたりか。寄席やホールに足を運ぶとなると、東京以外では厳しいかもしれない。

 一昨日、鈴本演芸場で10月下席夜の部を楽しんだ。トリは春風亭一之輔で演目は「味噌蔵」と前もって決まっていた。噺家だけでなく、次々に舞台に上がる漫才、紙切り、音曲、太神楽の芸に魅せられた。落語に親しむようになったのは10年前、柳家小三治が出演する寄席に連れていかれたのがきっかけだった。

 先日、NHKで再放送された小三治追悼番組「日本の話芸」を見た。収録は10年前(2011年)で演目は「ちはやふる」である。東日本大震災と原発事故で暗くなった同年に射した唯一の灯として、なでしこジャパンの健闘を枕で語っていた。もちろん小三治独特のユーモアはふんだんにちりばめられていた。

 百人一首に夢中になっている娘に「ちはやふる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」(在原業平)の歌の意味を聞かれた長屋の住人が、博識の隠居の元を訪ねてくる。隠居も知らないが、即興の解説でケムに巻く。一之輔版はシュールさ、ドラスチックさが増していたのを思い出す。噺家の個性が際立つのが落語の面白さである。

 「ちはやふる」で笑いの種になるのは隠居の知ったかぶりだが、俺にも痛く響いてくる。ブログであれこれ記しているが、大抵は半可通の戯言なのだ。小三治の高座に触れたのは十数回。放映分を合わせてもせいぜい50回ほどだから、俺は明らかに〝小三治初級者〟だ。以下は適当に流していただきたい。

 小三治初体験は人情噺「甲府い」で、見事なサゲがあった。当時72歳だった小三治の飄々とした佇まいに感銘を覚えた。その後も独演会で「二人旅」、「茶の湯」を聴いた。「二人旅」では道に迷った二人の旅人と老婆の会話の小さなズレが、繕いようのない綻びに至り、ナンセンスでアナーキーなムードを醸し出す。「茶の湯」は虚栄を嗤う噺で、「裸の王様」の童話に通じるブラックユーモアに溢れていた。独特の間、声色と表情で多くの人物を演じ分ける小三治の真骨頂である。 

 落語には粗忽者、嘘つき、煩悩の塊、うっかり者、欲張り、間抜け、見栄っ張り、怠け者、野次馬が登場する。欠点だらけの人間が生かされている姿に、自分を重ねて親近感を抱いてしまう。小三治の枕には、弟子や親しい落語家も登場する。亡くなった弟子の喜多八に「おまえは暗い」と説教したが、小三治自身、6代目三遊亭円生に同じことを言われたことがあるという。

 小三治が枕で円生の人となりを紹介して笑いを取っていたことを思い出す。厳格な円生は落語協会会長時代(7年間)、真打ち昇進を認めたのは3人だけだが、そのうちのひとりが小三治だった。一方で小三治は会長時代、多くの若手を抜擢した。愛弟子の柳家三三だけでなく、上記の一之輔、古今亭文菊も〝○人抜きで真打ち昇進〟で世間を騒がせた。落語界の未来を見据えていたからだろう。

 12年12月の総選挙後、小三治は独演会で政治への憤懣を隠さなかった。膨大な費用を使った選挙、ハンディを抱える人への配慮がない選管、増税、第二自民に堕した民主党を俎上に載せていた。原発再稼働と輸出について、「私は原爆発電所と考えている」と異議を唱えた。別の会でも老人医療の負担アップ、政治に翻弄されても声を上げない風潮を憂えていた。

 自身が酒に強くないとを明かした上で演じた「禁酒番屋」など思い出は尽きないが、最も印象的だったのは小三治を最後に見た独演会だった。春日八郎、三橋美智也、西田佐知子の思い出を語り、得意の喉を披露して袖に消えたが、仲入り後、1時間超の「死神」を披露する。ファン歴が長い知人は「出色の出来栄え」と絶賛していた。

 落語に加えて親しんでいる日本の伝統文化は将棋だ。想像を超える進化を見せる藤井聡太3冠は、竜王戦第2局で豊島将之竜王を圧倒し連勝した。将棋の内容は鋭いが、言動は日本人の美徳である謙遜を体現している。
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