酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

イエローモンキーの悲劇

2004-12-09 08:06:14 | 音楽

 CDショップに立ち寄ると、イエロ-モンキーのベスト盤が並んでいた。そうか、解散したんだっけ。カラオケのレパートリーには何曲か入っているが、さほどの感慨はなく、手に取って、すぐ棚に戻した。

 彼らをこの目で見たのは一度だけ、暴風雨の下で決行された第1回フジロックである。ハイロウズの甲本を見た外国人連中が「イギー・ジャップ」と大はしゃぎし、フーファイターズはニルヴァーナの幻影を吹っ切る気合を見せた。レイジ・アゲンスト・ザ・マシーンがステージに立つや興奮はピークに達し、モッシュする観衆から蒸気が立ち昇って煙っていた。ロック史に輝く奇跡である。その直後に登場するなんて、イエモンならずとも極めて厳しい状況だった。

 ロックファンは狭量だ。フジやサマソニに集う者は、「パンクか」「パンクの流れを継いでいるか」というリトマス紙でバンドを量っている。グラムロックやツェッペリンにルーツを持つイエモンは、第1回フジロックのザラザラした面子の中で、明らかに異質だった。

 すべて解散したことになるが、ブランキー・ジェット・シティー、ミッシェル・ガン・エレファント、イエモンが90年代日本の3大バンドだった。売り上げや知名度では他を凌駕したイエモンだが、「ロック村」住民からは「あちら側」と見做されるに至った。「こちら側」と認知され、フジロックでトリを務めたブランキーやミッシェルとは対照的である。

 詩人としての才能で、ブランキーの浅井、ミッシェルのチバ、イエモンの吉井は拮抗している。浅井は卓越したデザイナーとして日本語をちりばめ、チバは日本語を破壊して再構築した。

 吉井は日本語の囚われ人といえようか。儚さ、無常、死生観といった日本的美意識を織り込んだ「SICKS」は傑作アルバムだ。吉井には沢田研二のナルシスティックなきらびやかさ、加藤和彦が築き上げた退嬰的ロマンに通じる部分がある。閉じられた「ロック」より、開かれた「歌」を追求していたのではなかろうか。だからこそ俺みたいな音痴中年でも、イエモンを歌うことができるのだ。

 浅井はJUDE、チバはROSSOと、ともに今も自然体でフル回転している。吉井にも早く自分の世界を確立してほしい。必ずしもロックである必要はないのだから。
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