酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

将棋、落語、斎藤幸平、そしてマルクス・ガブリエル~カルチャーに親しむ週末

2020-12-16 22:42:03 | カルチャー
 先週末はカルチャーに親しんだ。食べ過ぎで消化不良になったので、更新が1日遅れてしまう。まずは将棋から。

 12日夜、銀河戦決勝で妖しい手を連発して局面転換を試みた糸谷哲郎八段を押し切り、藤井聡太2冠が自身4度目となる一般棋戦優勝を果たした。翌13日、NHK杯トーナメントで杉本昌隆八段が豊島将之竜王を破る。豊島に6連敗中の愛弟子に攻略法を教えたといえるだろう。AIに比肩する鋭さを絶賛される藤井だが、豊島戦では師匠が示した〝軟投〟が必要か。

 鈴本演芸場昼席に足を運んだ。声色と所作の使い分けで「棒鱈」を演じ切った古今亭文菊を堪能したが、ソーシャルディスタンスが徹底された客席で年を召した噺家たちの熟練芸に聞き惚れた。漫才、マジック、紙切り、曲芸と色物も充実したラインアップで、寄席の魅力を再発見する。まったりした気分で帰宅し、第2期オンライン連続セミナー(グリーンズジャパン主催)に参加した。

 講師は斎藤幸平大阪市大准教授で、テーマは「脱成長経済と社会的連帯で気候危機に立ち向かう」である。新著「人新生の『資本論』」(集英社新書)では晩年のマルクスが到達した環境への視点やコモンに言及していたが、論理は控えめに軟らかい切り口で進めていた。

 斎藤は国連が提唱するSDGs(持続可能な開発目標)を否定する。欧米では環境対策を経済発展、雇用創出の機会と捉える動きも広がっているが、利潤と効率を志向する資本主義と環境保護の両立は不可能だ。端的な例として斎藤は帝国的生活様式(先進国)とグローバルサウス(途上国)を対比する。

 電気自動車は先進国の二酸化炭素排出量を低減すると喧伝されているが、電池の材料になるリチウムを採掘するため、途上国は夥しい環境破壊に晒される。収奪と簒奪で世界を貪り尽くす資本主義を否定しない限り環境破壊は止まらない。斎藤はGDPに縛られない<脱成長コミュニズム>を提唱する。

 ソ連や中国はマルクス主義を体現した……。こう誤解している世代は社会主義やコミュニズムに忌避感を抱いているが、世界の動向は異なる。斎藤は英米におけるバーニー・サンダース、ジェレミー・コービンの10~30代への浸透をデータで示し、20年後の変化に期待を寄せる。キーワードは<コモン>だ。
 
 <コモン>とは生産や労働の現場で社会的共通富を市民がコントロールするという意味で、晩年のマルクスは<コモン≒コミュニズム>と捉えていた。脱成長、ローカリゼーション、持続可能性、多様性に直結するバルセロナでの実践を紹介し、変化の胎動を力説していた。

斎藤は理論と社会運動を不可分と考えている。「人新生の『資本論』」のあとがきで、<SNS時代、3・5%の人々が本気で立ち上がると社会は大きく変わる>という政治学者の言葉を紹介し、ウォール街占拠やグレタ・トゥーンベリなどの実例を挙げた。結晶軸が見えない日本だが、斎藤は希望を捨てていない。

 「マルクス・ガブリエル NY思索ドキュメント」(NHK・BS1)の取材に通訳を兼ねて同行するなど、斎藤とガブリエルの交遊は深い。セミナーと併せて録画しておいた「コロナ時代のワクチン」(同)を見た。斎藤は資本主義からの脱却を説いていたが、ガブリエルはコロナ禍を新自由主義終焉の好機と見做している。両者に共通するのは<自然破壊と気候危機が続く以上、コロナに代わる新たなウイルスが発生する>と考えている点だ。

 <自由とは好きなように思い通り行動することではない。誰かに命令されることなく、自らの意志で自らを律すること>……。番組冒頭、ガブリエルはカントを紹介する。「新実在論」や哲学に関する言及については、門外漢ゆえ割愛することにする。

 ユーモアに溢れたガブリエルの刺激的な示唆に引き込まれていく。ガブリエルは自由、正義、倫理、道徳を重視し、善と悪を峻別するが、二元論に陥ることはない。多面的、複層的に考察するのが合理性で、理性とは〝十進法〟の上に成立するのだ。

 ガブリエルは現在をフランス革命に比すべき革命期と考えている。色を持たず目に見えないウイルスが、人間の行動と危機を可視化し、目に見える価値を問う……。このパラドックスが世界を動かしているのだ。ワクチン開発には科学だけでなく、分配などを巡って正義や倫理も関わってくる。ガブリエルは分断という毒に対抗する〝精神のワクチン〟が求められていると説く。
 
 新自由主義、グローバリズムがまき散らした最大の過ちは、思考より物資を上位に置く唯物主義で、SNSをツールに消費資本主義として蔓延した。上記したカントの言葉に含まれる〝自らの意志〟は、消費資本主義の下でコントロールされている。ガブリエルは実生活においてSNSの活用を最小限にとどめているという。

 ラストで引用される哲学者ガタマーの<相手が正しい可能性はある>に感銘を覚えた。ガブリエルは〝シンプルな倫理の表現〟と語る。分断の呪縛から解き放つためのヒントで、感情を含めて相手の視点を取り入れることが分断の時代に求められている。

 メルケル首相は感染拡大が止まらない状況に、<祖父母との最後のクリスマスにしないで>と国民に訴えた。移動の制限に否定的なガブリエルだが、東独出身で自由の価値を誰よりも知り尽くしているメルケルの言葉に何を思うだろうか。
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