酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

世界を穿つ辺見庸~「1★9★3★7」完全版刊行記念講演会に参加して

2017-02-05 22:55:42 | カルチャー
 棋王戦第1戦で挑戦者の千田翔太六段(22歳)が渡辺棋王を下した。控室の棋士たちを驚かせる手を何度か指したという。棋界で最もAIに精通している千田は故村山聖の弟弟子で、将来の名人候補である。山崎隆之、糸谷哲郎両八段ら個性派を次々に輩出する森信雄一門には驚くしかない。

 <「1★9★3★7」完全版(角川文庫、増補120枚)刊行記念&城山三郎賞受賞記念>と銘打たれた辺見庸講演会(1月30日、紀伊國屋ホール)に足を運んだ。「いまなにがおきているのか? 1★9★3★7と現在~そして近未来のイメージ~」と題された講演では、トランプ大統領就任が明らかにした世界の貌を抉っていた。開演前はクラシック(主にバッハ)がお約束だが、今回は趣を変え、モダンジャズが会場に流れていた。

 コンピューターに則り、<二進法的思考>が幅を利かせているが、辺見は<十進法>で語る。五臓六腑に染み渡った思念を、逆流させて嘔吐するのだ。前日の昼飯さえ思い出せないぐらいボケているから、6日経って忘れた点もある。それでも咀嚼、反芻して記したい。

 南京大虐殺から80年、ロシア革命から100年。辺見は2017年と1937年に近似性を覚え、ロシア革命が提示した<団結と抵抗>、更に溯ってフランス革命が世界に定着させた<平等と自由>も消えつつあること憂えている。「1★9★3★7」の作意を以下のように明かしていた。

 皇軍は中国で<円>を作り、その内側で兵士(普通の人々)が殺戮、強姦、人体実験を行った。真実に即した堀田善衛、武田泰淳の小説を紹介しながら、辺見は自分に問い掛ける。もし自分が<円の内側>にいたら、何を成したのかと……。「自分も蛮行に加わっただろう」という答えが出発点だ。

 文庫版の表紙になった山下清の貼り絵「観兵式」(1937年)に、もう一つの作意が込められている。関東大震災で被災した山下は、知覚障害の後遺症で排除される側だった。その山下が観兵式会場にいるはずはなく、ニュース映像を再現したのではないかと辺見は想像している。〝役に立たないと打ち棄てられた側〟に立つことが、おぞましい世界を照射する手段だと語っていた。

 <嘘と本当(真実)は、どのくらいの割合で世の中にあるのかわからなくなる。大勢が本当だと言えば、嘘が本当になるかもしれない(略)>……。山下の至言は、偶然にも講演のテーマと重なっている。

 辺見は冒頭、俺も衝撃を受けたデストピア「白の闇」(1995年、ジョゼ・サラマーゴ)に言及する。人々が次々に視力を失っていくが、互いをかばい合う理性の欠片もなく、世界は獣性剥き出しの戦場に化す。リアルなパンデミックは、トランプ大統領を生んだ<価値の崩壊>を予言していた。

 オックスフォード大出版局が〝2016年の言葉〟として<ポストトゥルース>を選んだことを受け、<リアルタイムに自己と現実を客観化するのは至難の業になった>と辺見は語る。2017年、<脱真実あるいは真実後>の時代が始まった。トランプ就任式後、「最も多くの人々が集まった」と胸を張った補佐官だが、事実無根を指摘されるや事もなげに「そういう見方もある」とはぐらかした。

 日本でとりわけ顕著だが、物事の本質を探り、真実を追求しようとする者を嘲笑う風潮がある。理念が空洞化するばかりか根絶されようとしているのだ。フェイクニュースはたちまち広がり、NYタイムズなど既成メディアの影響力は夥しく低下した。普遍的な価値に取って代わったのは、ファシズムと全体主義が進行した80年前と同様、感情である。

 トランプ大統領は「7カ国国民の入国禁止」に署名したが、中東の混乱を招き、多くの難民が発生した最大の原因は。アメリカによるイラン侵攻だ。さらに、9・11の実行犯と目される人たちの多くはサウジアラビアのパスポートで入国している。自国の過ちを顧みないどころか、自身の事業に関連している国はリストから外されているという指摘もある。

 ノーマ・チョムスキーら哲学者、文化人の分析を俎上に載せていたが、とりわけ時間を割いたのは「1984年」(ジョージ・オーウェル)だ。独裁国家オセアニアでは、<戦争は平和である>、<自由は屈従である>、<無知は力である>といったスローガンがたなびき、人々を洗脳している。

 支配するビッグブラザーの意図は<不自由と不平等を恒久化すること>。そのためには、中間層と下層階級が手を携えて権力に刃向かう剥く事態(=革命)を避ける必要がある。スターリンを模したポスターには、「ビッグブラザー・イズ・ウオッチング・ユー」と書かれていた。双方向テレビジョンが追っているのは、目に見える言動だけではなく、人々の不可視の内面なのだ。

 歴史修正主義という改竄が横行し、80年代には読売新聞もその存在を認めていた従軍慰安婦、そして南京大虐殺が、日本史から抹消されようとしている。軌を一にするように、秘密保護法が成立し、人々の内面を裁く共謀罪が国会に提案される。辺見は現在の世界と日本を、1937年と対照することで読み解いていた。

 辺見の講演会は12月上旬にソールドアウトというプラチナペーパーだったが、同じく紀伊國屋ホールで開催される第11回「白鳥 三三 両極端の会」も十数分で完売という人気だった。3月末が待ち遠しい。
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