酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

何処へ行くのか大江慎也~ロック少年の終わりなき旅

2007-07-26 05:09:36 | 音楽
 <88年はBOØWYが解散した年ではなく、ルースターズが消えた日>……。ウィキペディアの「ルースターズ」の項にはこう記されている。

 ルースターズのオリジナルメンバーは04年、フジロックのメーンステージに立った。大江慎也はこの「解散ライブ」で、10年ぶりに公式の場に姿を現す。復帰後の大江に密着したドキュメンタリー「何処へ行こうか」がフジ721で放映された。

 花田裕之、池畑潤二、井上富雄がバンド結成から大江脱退への経緯を語る。80年代前半、ルースターズは「インセイン」~「イン・ニュルンベルグ」(12㌅シングル)でビートを極め、ファンや評論家を瞠目させる。驚異の飛躍を実現させた大江の心身は、「イカルスの翼」のように傷ついていた。

 大江自身は入退院を繰り返した頃を、「ただぼんやり、時が過ぎるのを待っていた」と回想している。大江の停滞期、新加入の下山淳が煌く才能で新風を吹き込んでいく。「ルースターズはリーダー不在のバンドになった」と、池畑と井上が相次いで脱退した。板挟みになった花田が苦悩の日々を過ごしたことは想像に難くない。

 <花田―下山>ラインで制作された「φ」は、大江の心的風景に沿うように絶望と孤独に彩られており、ルー・リードの「ベルリン」に匹敵する美しいアルバムだ。メンバーが病室の大江を担ぎ出し、スタジオに向かったという逸話も残されている。「φ」発表後の85年、大江はルースターズを脱退し、バンドも3年後、活動に終止符を打った。

 大江の代表曲は「CMC」(83年)だ。「世界最終戦争」をイメージしたかのような歌詞は、モリッシーの「エブリデイ・イズ・ライク・サンデー」(90年)と共通している。UKのカリスマにコンセプトで7年も先んじたという事実が、ルースターズの革新性を示している。

 昨年8月6日に開催された「ブラックリスト」で、大江は「CMC」をリストから外した。<ロックンロールとは人間の喜びと悲しみから生まれた音楽だ。原爆が投下された日、戦争を連想させる曲を演奏する気にはなれない>……。大江の良識は、久間前防衛相と対極に位置している。

 浅井健一(元ブランキー・ジェット・シティ)、Birthdayのチバユウスケ(元ミッシェルガン・エレファント)、冷牟田竜之(東京スカパラダイスオーケストラ)が、大江こそ自らの原点と番組内で繰り返し語っていた。彼らだけではなく、ブルーハーツら邦楽ロックを隆盛に導いた多くのアーティストが、大江に限りないリスペクトを抱いている。ひっそり消えた不遇のバンドは世紀を超え、ロック界最高のレジェンドになる。ルースターズが証明したのは、<ある時代の前衛は次の世代のポップミュージックになる>というロック史の公式だった。

 母校(東筑高)訪問編も楽しめた。同期生らしい女性音楽教師は、大江が「偉く」なったことを全く知らなかった。東筑は高倉健や故仰木彬氏を輩出するなど質実剛健で鳴る名門校だが、大江は女装姿でアルバムに収まっていた。

 「孤高のカリスマ」大江は、傲岸とは無縁で、自らの「値打ち」に無頓着だ。初心でぎこちない少年のまま、これから「何処」に向かうのだろう。極北を目指し、ひとりワイルドサイドを歩もうとも、大江は決して孤独ではない。出会いから30年、花田と池畑は友としてミュージシャンとして、今も大江を支え続けているからだ。「何処へ行こうか」は褪せることのない友情、壊れることのない絆が存在することをも教えてくれた。

 さて、フジロック。仕事を終えた後、深夜バスで当地に向かう。極度の不眠症で疲労も蓄積している。ミューズ⇒キュアーを楽しむ前に力尽き、救護テント行きも十分ありうる話だ。今(5時過ぎ)から少し寝ようかな……。

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