酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「書記バートルビー/漂流船」~時代を先取りするメルヴィルの巨視

2024-08-01 23:14:17 | 読書
 炎暑の日々が続いている。気候危機に関心のある知人は<今年は序の口で来年以降、確実に悪化する>と話していた。先進国に暮らす俺は〝無為〟のツケを払っているというべきで、部屋で干からびている。何となくパリ五輪を眺めているが、柔道における誤審が問題になっていた。買収疑惑まで囁かれているが、糸を引いているのは欧米で巨額の金を動かすスポーツ賭博業界かもしれない。

 映画の中で現れる小説が気になることがある。「オットーという男」で亡き妻と出会うきっかけになった「巨匠とマルガリータ」については別稿(昨年5月)に記したが、「ありふれた教室」のHPで、チャタク監督がインスパイアされた小説「バートルビー」が紹介されていた。残念ながら、同作が映画といかにリンクしているのかはよくわからなかった。

 俺が購入したのはハーマン・メルヴィル著「書記バートルビー/漂流船」(牧野有通訳、光文社文庫)である。メルヴィルといえば「白鯨」で知られるが読んでいない。メルヴィルの略歴をチェックする限り不遇の作家という印象は拭えず、船上生活が長かったことは、「漂流船」にも反映されている。「書記バートルビー」は1853年に発表され、サブタイトルは〝ウォール街の物語〟だ。

 舞台はニューヨークのウォール街にある法律事務所。語り手は経営者である年配の弁護士で、金持ちの証書を扱い、ゆったり作業することを好んでいる。ところが不動産関連の業務が舞い込み、雇い入れられたのが青年バートルビーだった。事務所には2人の使用人がいた。高齢のターキーは昼を過ぎるや突然、精彩を欠き、仕事が捗らなくなる。一方のニッパーズは25歳の青年で午前中は感情を爆発させることがある。

 不条理な職場と驚いていたが、バートルビーは熱心かつ有能でテキパキさばいていた。語り手は満足していたが、時間が経つと手に負えなくなる。仕事を頼んでも「わたくしはしない方がいいと思います」と断られることが続くのだ。職場でお菓子を口にしているが、他に何か食べている様子はなく、職場に住み着いている。相談に乗ろうとしてやんわり拒否された語り手は事務所そのものを移転する。

 バートルビーは旧ビルに居座り、墓場と呼ばれる刑務所に収容された。面会に訪れた語り手は、中庭で餓死しているバートルビーを発見した。ラストは語り手による「ああ、バートルビー! 人間の生よ!」の独白だ。難解な不条理劇は、多くの思想家に様々な角度から分析される。意外だったのは<西欧文明が掲げる残酷な合理性と見せかけのモラリティーを容赦なく批判した>ことがノーベル賞受賞理由とされた「マイケル・K」(6月30日の稿)と併置する論考を見かけたことだ。絶対的な自由に繋がる徹底的な拒絶が共通している。

 1853年のニューヨーク、メルヴィルは資本主義の浸透を背景に本作を書いたことは間違いない。<神>から<金>へと重心が移りゆくことが行間にも表れている。バートルビーは配達不能郵便物局という部署で働いていた。配達出来ず、差出人に戻すことも出来ない郵便物を、燃やすために仕分けするという絶望的な仕事を担当していたバートルビーの心の中で、ニヒリスティックな思いが蓄積されていたのだろうか。

 「漂流船」(1855年)は現在のミステリー小説にも通じる海洋小説だった。1800年前後、サンタマリア島周辺で交易船のデラーノ船長は奴隷船らしき漂流船を発見し、ボートで乗船する。自身は平凡と自称するデラーノが語り手になって漂流船の様子を観察するのだが、極めて普通に見えながら怪しく思えることも多々ある。安堵と不安が交錯し、漂流船のベニート船長による「宣誓供述書」、ラストの客観的描写と読み継ぐことによって、真実が浮き彫りになる。

 漂流船では黒人たちの叛乱が起きており、<黒人の知能は白人には全く及ばない>とのデラーノの慨嘆とは裏腹に、デラーノでさえ身の危険に晒されていたのだ。3人の叛乱の首謀者は優れた頭脳で、事態を進めていた。視点を変えれば、「漂流船」は常識的な偏見や差別意識を覆す画期的な作品とも見做すことが出来る。埋もれていた巨匠の作品に触れることが出来て幸いだった。

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