政治を語る言葉は大抵、薄汚れているが、煌いているものも稀にある。6日付朝日新聞朝刊に中村文則が寄稿した総選挙を巡る論考は、この国の現状を鋭く抉っていた。<選挙はあなたに興味を持っている>から始まる結びの部分に説得力があった。
最も深く日本を洞察していると見做しているのは星野智幸だが、中村もその域に迫りつつある。二人の作家が追求するテーマは<共生と寛容>で、中村は同稿でも、とりわけネット空間で顕著な<社会のタコ壺化>を憂えていた。ドストエフスキーのテーマを21世紀の現在の日本に甦らせたと評される中村は近年、社会への問いかけを強めている。今回の論考については新作「R帝国」を紹介する際に併せて記したい。
1970年以降、PANTAは日本を冷徹に見据えてきた。奥泉光は「ビビビ・ビ・バップ」(今年9月21日の稿)で、60年代の狂熱の東京をヴァーチャルに再現していた。作中、花園神社で「銃をとれ!」を演奏していた頭脳警察こそ、パンクロックの先駆けである。PANTA&HAL時代の「マラッカ」と「1980X」はサウンド、コンセプト、予見性で世界最先端に位置していた。
PANTA&HALの3作目として準備を進められていたが頓挫し、個人名義で発表されたのが「クリスタルナハト(水晶の夜)」(87年)で、発売30周年記念ライブ(7日、Zher the ZOO Yoyogi)に足を運んだ。菊池琢己(ギター)、JIGEN(ベース)、小柳“CHERRY”昌法(ドラム)、今給黎博美(キーボード)のラインアップで、分厚くシャープなロックショーが展開する。ちなみに菊池はアルバム制作に関わっていた。
マレーネ・ディートリッヒの「リリー・マルレーン」でメンバーが現れ、「クリスタルナハト」を曲順通り演奏する。長めのMCで、各曲の作意、解題がPANTA自身によって示された。タイトルは1938年11月に起きた事件にちなんでいる。ナチスはドイツ全土でユダヤ人が経営する商店やシナゴークを襲撃した。900人以上が殺されたという。砕けたガラスの破片を水晶にたとえ、同夜は〝クリスタルナハト〟と呼ばれるようになった。
テーマは深くて重いが、予習としてアルバムを繰り返し聴いているうちに抱いた解放感はライブ後、さらに広がった。惨劇が起きた1938年、アルバムが完成した1987年、そして閉塞感に覆われた2017年……。「当時と状況は何も変わっていないのでは」というMCに、俺だけでなく集まった人々は共感していた。同作は今こそ聴かれるべき作品なのだ。
ソールドアウトの大盛況で、20~30代と思しき姿もあったが、客層の中心はやはり中高年層だった。第1部が1時間強、第2部が約50分、第3部(アンコール)が20分ほどで、開演前から3時間40分以上も立ちっ放し。還暦の俺より10歳は年上に見える方もいて、「倒れそうになったら知らせてください。酸素ボンベはあります」と呼び掛けるPANTA(67歳)も息を切らしていた。
知人の仲介で反原発集会に〝PANTA隊〟の一員として参加した際、当人と話す機会があった。一期一会と考え、不躾に質問する俺に自然体で答えてくれる。人格と知性に感嘆させられた。「代表作は何ですか」という問いの答えは「クリスタルナハト」だった。構想数年の同作に思いが込められているのだろう。制作中、スタジオに書物や資料が山積みされ、〝学習〟しながら録音したとMCで振り返っていた。
「メール・ド゙・グラス」の冒頭に、♪ヤバーナ(日本人)のニュースは聞いたかい シノワ(中国)で途絶えたままでいるが……という歌詞がある。水晶の夜の前年、南京大虐殺が始まった。PANTAは同曲を演奏する前後、「日本人が誰も歌っていない南京、重慶、関東大震災(における朝鮮人虐殺)について、いつか曲にしたい。発禁にならなければいいけど」と話していた。
「クリスタルナハト」の曲を他のライブで演奏する際、「私はイスラエル支持者ではない。パレスチナ弾圧は現代のジェノサイド」とMCしていた。重信房子詩に曲を乗せた「オリーブの樹の下」は大傑作で、パレスチナ解放のために闘った女性活動家に捧げた「ライラのバラード」も収録されている。
第2部以降、「赤軍兵士の歌」、「マーラーズ・パーラー」、「スカンジナビア」「アゲイン&アゲイン」、「フローライン」など俺にとってのレア曲が多く含まれており、PANTAワールドの間口の広さと奥行きを改めて感じさせられた。
上記の中村文則は短編集「A」(14年)で、日本軍による中国での虐殺、従軍慰安婦をテーマにした作品を書いている。「日本人が誰も歌っていない――」のPANTAのMCと重なった。PANTAの本名は中村治雄で、二人の中村に魅せられた1週間だった。
最も深く日本を洞察していると見做しているのは星野智幸だが、中村もその域に迫りつつある。二人の作家が追求するテーマは<共生と寛容>で、中村は同稿でも、とりわけネット空間で顕著な<社会のタコ壺化>を憂えていた。ドストエフスキーのテーマを21世紀の現在の日本に甦らせたと評される中村は近年、社会への問いかけを強めている。今回の論考については新作「R帝国」を紹介する際に併せて記したい。
1970年以降、PANTAは日本を冷徹に見据えてきた。奥泉光は「ビビビ・ビ・バップ」(今年9月21日の稿)で、60年代の狂熱の東京をヴァーチャルに再現していた。作中、花園神社で「銃をとれ!」を演奏していた頭脳警察こそ、パンクロックの先駆けである。PANTA&HAL時代の「マラッカ」と「1980X」はサウンド、コンセプト、予見性で世界最先端に位置していた。
PANTA&HALの3作目として準備を進められていたが頓挫し、個人名義で発表されたのが「クリスタルナハト(水晶の夜)」(87年)で、発売30周年記念ライブ(7日、Zher the ZOO Yoyogi)に足を運んだ。菊池琢己(ギター)、JIGEN(ベース)、小柳“CHERRY”昌法(ドラム)、今給黎博美(キーボード)のラインアップで、分厚くシャープなロックショーが展開する。ちなみに菊池はアルバム制作に関わっていた。
マレーネ・ディートリッヒの「リリー・マルレーン」でメンバーが現れ、「クリスタルナハト」を曲順通り演奏する。長めのMCで、各曲の作意、解題がPANTA自身によって示された。タイトルは1938年11月に起きた事件にちなんでいる。ナチスはドイツ全土でユダヤ人が経営する商店やシナゴークを襲撃した。900人以上が殺されたという。砕けたガラスの破片を水晶にたとえ、同夜は〝クリスタルナハト〟と呼ばれるようになった。
テーマは深くて重いが、予習としてアルバムを繰り返し聴いているうちに抱いた解放感はライブ後、さらに広がった。惨劇が起きた1938年、アルバムが完成した1987年、そして閉塞感に覆われた2017年……。「当時と状況は何も変わっていないのでは」というMCに、俺だけでなく集まった人々は共感していた。同作は今こそ聴かれるべき作品なのだ。
ソールドアウトの大盛況で、20~30代と思しき姿もあったが、客層の中心はやはり中高年層だった。第1部が1時間強、第2部が約50分、第3部(アンコール)が20分ほどで、開演前から3時間40分以上も立ちっ放し。還暦の俺より10歳は年上に見える方もいて、「倒れそうになったら知らせてください。酸素ボンベはあります」と呼び掛けるPANTA(67歳)も息を切らしていた。
知人の仲介で反原発集会に〝PANTA隊〟の一員として参加した際、当人と話す機会があった。一期一会と考え、不躾に質問する俺に自然体で答えてくれる。人格と知性に感嘆させられた。「代表作は何ですか」という問いの答えは「クリスタルナハト」だった。構想数年の同作に思いが込められているのだろう。制作中、スタジオに書物や資料が山積みされ、〝学習〟しながら録音したとMCで振り返っていた。
「メール・ド゙・グラス」の冒頭に、♪ヤバーナ(日本人)のニュースは聞いたかい シノワ(中国)で途絶えたままでいるが……という歌詞がある。水晶の夜の前年、南京大虐殺が始まった。PANTAは同曲を演奏する前後、「日本人が誰も歌っていない南京、重慶、関東大震災(における朝鮮人虐殺)について、いつか曲にしたい。発禁にならなければいいけど」と話していた。
「クリスタルナハト」の曲を他のライブで演奏する際、「私はイスラエル支持者ではない。パレスチナ弾圧は現代のジェノサイド」とMCしていた。重信房子詩に曲を乗せた「オリーブの樹の下」は大傑作で、パレスチナ解放のために闘った女性活動家に捧げた「ライラのバラード」も収録されている。
第2部以降、「赤軍兵士の歌」、「マーラーズ・パーラー」、「スカンジナビア」「アゲイン&アゲイン」、「フローライン」など俺にとってのレア曲が多く含まれており、PANTAワールドの間口の広さと奥行きを改めて感じさせられた。
上記の中村文則は短編集「A」(14年)で、日本軍による中国での虐殺、従軍慰安婦をテーマにした作品を書いている。「日本人が誰も歌っていない――」のPANTAのMCと重なった。PANTAの本名は中村治雄で、二人の中村に魅せられた1週間だった。
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