湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

2/12(続)携帯バルーンという避難グッズ

2013-02-14 05:06:28 | 引きこもり
2013/02/12 (続)記
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私は以前、塾を経営していた。そのころ、体験カリキュラムのひとつに鍾乳洞の生態系調査への子どもの周辺参加を勧めていた。フィールドは福島県の田村郡と、岩手県岩泉町だった。周辺参加とは、テーラーの丁稚奉公の学びの調査から話題となった古典的な学びのあり方だった。そのとき、富士山の樹海の火山洞調査隊の方が教えてくれたことだが、青木樹海に迷ったとき、ヘリウム風船を目印にあげるのだという。なるほどと思ったのだが、これは津波被災に孤立したときや山の遭難時、救援を待つ時の目印に使えないかと思う。微弱波発信機やLEDとうまく組み合わせれば、災害グッズが開発できそうだ。

QRコード医療カードとともに、検討にはいっている。

夜間傾聴>ひとり

(校正1回目済み)

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2/12 黒田さんへの段取り連絡メールの返信が入りました

2013-02-13 06:25:57 | 引きこもり
2013/02/12 記
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黒田裕子さんのネットワーク事務局の**さんから、お叱りを含んだ返信メールをいただいた。当日の参加者と段取りの連絡を先月に送る予定をしていた。もともと黒田さんは、行政や看護師・看護学校等の大きな講演をする方だ。関係者の勉強会のような小規模の集いに関西から出席される方ではない。東日本大震災被災後2年にいたり、阪神淡路大震災の痛恨の被災者住宅仮設入居の孤独死1.000名のピークを迎えていくのが、この2年目からで、社会活動をしているものとして看過できない危機意識を書いたことによる例外的な講演受諾なのだということを再確認されていた。

誰が参加するのか、全く掴みきれない焦りがあったが、居直って言えば、はじめから参加者がわかっている会は、安定した組織の中の采配によるもので、研修のような、社会運動の時代状況に揺り動かされる性質のものとは違った集まりなのだと思う。

実は藤沢にボランティアナースの会本部(菅原代表)がある。その方たちではなく、関西から黒田さんにお願いしたのは、湘南のような準都市型災害は、東日本大震災の様相より、都市型災害の阪神淡路大震災からの教訓を得たかったからだ。

**さんには、なぜ10~20名のような会であるのかが信じられなかったようだ。しかしこれは、一般公募の会合ではなく、ケアの関係者に対するネットワーキングの機運を高める目的で行なわれるものだからだ。関係者は、自分の所属の公務として生活再建・保健医療活動を自己完結的に取り組み、他課の課の行動には関心が向かないのが常だから、なおさらに無理がかかっている。

しかし、災害弱者当事者の関係団体では、今後の支援活動の戦略的発想は、よほど関心が深い方しか持ち得ないだろう。しかし、車が浮き家が流される光景に背筋が凍り、不条理に怒りを覚えたものは少数派なのだろうか。安易に東北被災者支援を諦めたり、あとは行政と被災地長期滞在型ボランティアに任せて、次は防災だと切り捨てて、3.11以前からの「向こう三軒,両隣」の地域の絆と、迷える子羊の安全誘導の形の防災活動に逆戻りする発想はとても理解できないだろう。普段からの移動困難を知っているものだからこそ、そのときはそのときというような平常性バイアスが頭をもたげている。だからなおさらに、即答が得られないのだ。勿論、偏屈飛田が仕掛けているという反発も勿論ある。

この機会を利用してほしいと願う。**さんの扱ってきた看護師要請や、公共団体研修からすれば、なんという情けない動員なのだろうと思うだろう。しかし、この連続セミナーは、支援者の退潮の中に孤立する被災者が背後にいる自覚を持って、今、ケアの活動がひとまわり外側の関係者の協力の輪、ネットワーキングを張っていく課題が浮かび上がっていることを知っている。その意味において、喫緊の課題を取り上げていく。その価値を、感じ取ってほしいのだ。黒田さんの実体験に基く語りの情報を持ち帰ってもらいたい。岩波書店ではないがミレーの「種まく人」ではないが、その畑の中から、今後の医療・保健ケア活動の重要な活動が芽吹いてくれるのを待ちつつ、私は別に活動を作ることに着手していく。被災地と湘南をつなぐ、民泊活動と、地元でQRコード医療個人情報カード実現・連続セミナー継続活動を行う。

今日からまたダメ押し巡回活動を再開する。数名の参加者のところに黒田さんがあらわれるような地獄は味わいたくない。昔。2回の同様の地獄を見てきた。一度は政治的な立場の衝突の結果、双方が現れなかった結果だった。もうひとつは、同じ日・同じ時間に、別会場で別企画が行われた結果だった。命が縮んだ思いがして、講師に対し頭を剃った。もうひとつは、誰もいない会場で、流会のレポートを書き、申込者に郵送した。トラウマになっているのかもしれない。成功したときも含んで常に冷や汗をかいてきたが、事の重要性を理解してほしいのだ。流会は、黒田さんにも失礼千番なことだ。

(つづく)


夜間傾聴:なし


(校正1回目済み)

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2/11 被災地の仮設商店の苦境記事について 他

2013-02-12 05:14:51 | 引きこもり
2013/02/11 記
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2/11朝日新聞社会欄にふたつの災害復興支援と被災地医療の現状(投稿)の記事が載った。

ひとつは
●「仮設商店街、再建遠く-特需去り、『客は1日3人』」

という南三陸と名取・閖上地区、大船渡の商店街の苦戦状況のルポだった。生業が断たれて当たり前ではあるが、何につけても生業復興活動が大事という当事者の気持ちは農・漁業者とともに必死ではあるが、給与生活者や年金生活者や無職化した特に地元流出した若手家族たちもまた必死だったことを自営商店主たちは認識していなかった。常に営業活動は本来から社会的であり、剰余価値を生み出す販売活動をそれをもって覆い隠している矛盾が出てきたのだ。

商業は客との綱引きの上に成り立っている。客が復活しなければ営業活動もまた復活しない。衣食住が被災者に必要であることは当然だが、個人経営が被災地に再建するのは、行政や商業組合直営市場のような経営で被災者の生活環境を守り、長期戦で自らの店の再建の間合いを計る必要がある。

私の思いとしては、辛気臭くなるからと、家族を失い、食と財産を失った被災者、体調を崩した高齢者を前に気勢をあげたり元気づけをする活動が、災害弱者の現状を覆い尽くしてしまうことに、男性社会の宴会文化を重ねて顰蹙の思いを重ねていた。だからあまり共感できないのだが、東北の被災者がまだ被災の現実から立ち直れない状況を表すものとしてあることや、東北の被災者の「継続支援」から身を引いてしまった非被災地の支援者たちへの苛立ちを伴った無念がじわり、こみあげていた。

もうひとつは
●「被災地から 地域医療の疲弊あらわ」

という宮城・南三陸駐在 I氏(医師)の寄稿コラムだった。インフルエンザ患者のひきつけを診察したが、CT以外の機器がなく、結局は石巻赤十字病院に頼らざるを得ない状況や、志津川病院の入院施設に行ってもMRIすらないという寒々とした医療状況だった。福島はなおのことだろう。以前から過疎化・高齢化・無医化現象が人口流出で露わになっている現状は、ただ被災前の農林水産業や地元商業の単純復活だけでは、被災の爪痕は癒えないだろう。その土地である合理的根拠と見通しの立つ新規産業移植や、産業経営の構造転換を伴う脱皮を経ねば、地元の活気は戻ってこないだろう。それは5年・10年のスパンで進められるものであり、その間の地元に生活する方の命を支える医療がこの状態では、大手資本が大きな産業パッケージを持ち込んでくれるのを期待するという宝くじのような危うさを加速するような状況しか産まないだろう。

私は生活様式を含んで、東北被災地の高齢化社会のビジョンの不在を感じる。また生活弱者の生き延びる道を生活支援の連携活動の中にしっかり定位する必要を感じる。

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黒田裕子さんが19時のNHK総合のニュースに、孤立死の解説の形で取材を受けて放送されていた。驚いた。はっきりとした物言いをする方だ。何人が気づいてくれたかなと、数名の方にメールした。

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母が風邪薬のせいか、全く食欲がないと言い出した。小松菜と豚バラ肉を醤油味の鍋にするシンプルな「常夜鍋」を出して、小松菜の芯が煮えすぎていると拒否され、マスタードと白ワインでソースを作った「チキンソテー」を作った。酸味と刺激が食欲を誘うはずだった。やっとひときれチキンを食べたが、飯を食べない。冗談ではない「太るから」である。カロリー不足は明らかなのだが、この1年で数kg太ったという。胃を切除して15kg強体重を減らして、そこからの回復だから、太ったなどと言ってほしくない。おかげさまで手料理はいくつもできるようになったが、母は少量で高カロリーの食事でなくてはならないが、私は糖尿病だから、カロリー制限がある。残った食材を捨てるわけにいかず、私は量を減らして母が手を付けなかった料理をかじった。毎日のことであるが、疲れてきた。

明日、外食にしないかと持ちかけたが拒絶されがっくり。私は太鼓腹に2kg脂肪がついた。笑うに笑えない。

3月に遠野のボラセン閉鎖だという。誰かドライバーをしてくれないかなと、心当たりのふたりに電話。見事肘鉄をくらった。


夜間傾聴:なし

(校正1回目済み)


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2/10 教材屋季節労働開始/建築フォーラムに参加できなかったが(黒田講演の価値)

2013-02-12 03:10:08 | 引きこもり
2013/02/10 記
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これから季節労働が始まる。その前哨戦が始まった。受験教材屋なのだが、この歳になると、まわってくるものが決まってしまう。ボスが私より年下だから、やりにくい、その結果なのかもしれない。以前は発達障がい者を意識した問題を作る仕事もしてきたが、今は完全に受験指導用に戻っている。主に塾屋に卸されていく。キャッチアップ教材は不登校経験者のバイパスを意識して作っていたが、結局は講師との出会いに応じていかないと道が開かないという平凡な結論に至った。だから講師と学習者との対話に縁台将棋の応援団のように、講師の横につく形をとることにした。だから商売の棚には載らない。それで今は、完全に受験教材屋である。

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今日は防災の建築フォーラムがあった。しかし参加できなかった。黒田さんの連続フォーラムには、湘南の被災予想をしっかり掴んでおく必要がある。市の広報が3/10の避難訓練の想定に「元禄型地震」という今後30年の発生確率0%(地震調査研究推進本部)の想定をなぜ採用したのかを打診するチャンスだったのだが、残念ではある。大磯丘陵の向こう、活断層の神縄・国府津ー松田断層帯地震も併記されているが、南海トラフ地震との連動などをどう考えているかなど、論議の経過がよくわからなかった。想定によって被災の様相が変わってしまうからだ。

この間、主要な関係団体・行政課等を企画紹介で回って来たが、「行きます」と返事があった課は2つ。前回は3つだったが当日参加しなかったので、予断は許さない。

今回は「外出時被災」の話も含んで、平塚の盲学校・ろう学校にも打診した。これは精神・知的・発達・身体(呼吸機能・内部)妊婦・高齢者・外国人の方の身辺の安全確保と同時に、家族との再会保障をする必要があるいわゆる「都市型」災害の件を話して、教頭さん・副校長さんに地域論議の必要性を語った。ここでは通行人に対し、困難理解と混乱離脱の協力を求める活動の立ち上げが必要だ。

黒田さんの話は、避難所(特に福祉避難所)から仮設(みなし仮設を含む)の医療ケアの仕事と、支援者の連携の可能性、災害コミュニティから抜け落ちる周縁に位置し孤立する単身者・要援護者同士の家族をどう保護するかを語るために、そこからはテーマが外れている。

黒田さんにお願いしたテーマは、主に「東北被災者の継続支援」と「防災対策の構造的見通しの共有化(ケア関係者の自己パートのクロスオーバーの推進)」というあたりに、いわば情報貯蓄というか活性剤を提供することにとどまっている。

「外出時被災」という概念とその対策は、施設管理者に輪切りされてきた活動を通行人一般のように、つかみどころのない相手への啓蒙活動を加えていくという、縄張り内・分担責任全う論を超えたシームレスな場面対応を作ることだ。我田引水で言えば、ここでこそQRコード個人医療カードが生きてくる。

ここからは、今後の防災活動が直接生まれてくるが、黒田さんにお願いしたテーマは、災害発生を前提にした議論であって、直接そこから非被災地からの生活支援活動がうまれるというものではない。この連続セミナーが抱えるテーマが「東北の被災者の継続支援」と「防災対策の避難生活の保健医療サポート連携の活動化」というふたつに引き裂かれた内容であるが、被災地支援は長期滞在活動以外は終わりで、次は防災だというような別個の活動なのではなくて、被災地と連携した非被災地の活動を描く中に、防災を孕ませていくという連続したものだ。そこを貫いていくのが「災害時要援護者支援」「生活ケア支援」という視座だ。被災地に出かけられない者の思いを切り捨て、地域火災と風水害をモデルにした旧態防災活動の上に3.11の経験をアレンジする防災活動に収斂させてしまうような活動にしてしまうのは、おかしなことだ。(東北被災者の現状は何も変わっていない。)

私的民間交流推進と防災・訪問保健医療との接点を持つ社会活動の創出というようなことを具現化していく一歩を踏み出していきたい。ここでクローズアップされる高齢者と障がい者は、訪問介護(看護)事業所・特別支援校(旧養護学校)・行政に任せておけばいいというものではない。阪神淡路大震災が1000人という孤独死を生みだした轍を踏んではならない。すでに昨年末54人の孤独死(主に病死)が出ている現状で、看護師・保健師・PSW・CSWら専門職の訪問活動に任せるという状況ではない。

「坑道のカナリア」ではないが「孤独死」は、特別なひとの死なのではなくて、背後に連なる「氷山の一角」であることを自覚すべきだろう。この領域の絵(活動)を描く活動を考えていく。学生支援者を中心に、三重大の勝川氏が陸前高田市広田町の住民に提案したように、短期ホームステイと夜間論議を通じて擬似親戚のような関係を作り出して行ったり、長期休暇を利用して、湘南に招待したりする家族交流活動が、長丁場の生活再建活動のバックアップに、いわゆる「絆」を与えていくことになる。そういうラフ・スケッチをピントのあったものに磨き、地域に提案していく活動を立ち上げることが、「継続支援」や、「相互扶助的な」被災耐性を作っていく作業だろう。

黒田さんの著書は、実に具体的で勘所を得ている。この具体性、場面体験の吟味の果てに、東北被災者と在宅支援者の切り捨てを伴わない、被災復興・生活再建の連携活動が生まれる。

先を読み取り、ケアの心を伴う支援活動の立ち上げのヒントをつかむセミナーの役割は大きいと思う。なにゆえ、関係者向けの懇談講演会としたのは、災害対策支援活動の現状を意識している方だからこそ見える社会、俗に言う市民活動の提案を意識できるからなのだ。

参加者が増えて欲しい。行政・関連事業所・関連団体の有志がリアルに動き出してこそ、社会活動もまた育っていくのだ。

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12日、薬が切れたので慈恵医大眼科に行く。帰りに地元糖尿病内科の方も薬が必要。**子に会いたいが、今回は無理だ。行政まわりをし直したい。必ず価値が浮かび上がってくるはずなのだ。


夜間傾聴:ひとり


(校正1回目済み)

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2/9 墓地の移動という体験/被災から仮設生活までの生活・医療支援と黒田さん懇談講演

2013-02-10 05:58:50 | 引きこもり
2013/02/09 記
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全く素人、仏滅に墓石を移動していいのかよく分からず墓石を移した。墓地専属の坊さんに頼んで魂を移すとかなんとか…移動完了。業者がなんともいわないので、いいのかなと安直な話。こればかりは、友人に頼むわけにもいかず、新しくするより安いという話でまあ、まとめた。弟が家の方に夜、顔をだしたが、すぐに帰っていった。あまりしたくない体験だ。

午後、父の入所している老健を訪ねたが、まだ面会禁止が解除されていなかった。父が辺鄙なところに墓地を勝手に動かしたのだから、より交通の便が近いところに動かしたことは、あえて話す必要がないのかもしれないが、10年余、母が鬱屈した思いですごしてきたことだから、話さずとも父に会っておくのが、母にとってのけじめになる。それが門前払いとは。

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黒田さんの懇談講演会は、阪神淡路の震災後の都市型被災の実体験がかなり盛り込まれそうだ。3/10の津波対策避難訓練は元禄型関東地震と神縄・国府津-松田断層帯地震の連動地震発生が想定されている。(M8.3 震度6強)ここでは、被災発生から一次避難所までの安全避難体験が行われるが、黒田さんの話は、

1)救急専門職の災害発生>被災地到着>トリアージ>救急医療

という流れの概略。(一次・二次避難所の運営の、生命と健康を守る部門との関連も含む。)

ここからが主となるが…

2)避難所の健康管理と非常時治療・水とトイレ・保温確保。
3)医薬品調達と、要援護者の福祉避難所への移動指示。
4)医療支援の受け入れ体制の確保。

という急性期の避難所管理と現場支援者の効果的連携の話。

5)水・食料配分と健康管理。(風邪・伝染病対策等)
6)エコノミー症候群発生防止策・福祉避難所の運営
7)外出時被災者の家族捜索協力
8)遺体管理者との連携
9)健康指導

というような看護師・保健師・薬剤師やPT/OT/PSW等専門職活動への地元支援者の支援連携を浮かび上がらせること

つまり、避難したあとの救急対応を論じる部分。


10)被災者聞き取り・医療と保健からの生活再建支援。一時的集団生活の安定化。

11) 健康面からの救援物資の配分と要求。
12) 避難所巡回治療の支援と健康情報の取得と提供。
13) 専門職外部支援の効果的配分とローテーション管理。
14) 食事管理・入浴着替え管理(栄養士・保健師さんの主導)
15) PTSD対策等、精神衛生管理。(PSWさんたちの主導)
16) 行政連携

という安定化の時期のネットワーキング

17) 家族の今後の相談・カウンセリング
18) 通学保証・身寄り宅への避難(行政主導)

このあと、仮設住宅入居と訪問治療・通院保障・生活相談などが続くが、黒田さんの話は仮設生活運営まで。

つまり、被災後の生活再建と医療保健活動。その支援者への仕事切り分け、QRコード医療等生活個人情報カード導入等役割と仕事を明快にすること。逆に医療関係者の効果的活動の場をいかに地元受益者と支援者が確保するか、この辺の話題。

見通し(イメージ)を持って、災害に対処する議論の場として、準都市型の災害対策をとっていくこと。

ここからは余力になってしまうが、仮設生活から被災者住宅までの支援からこぼれ落ちる単身者等の援助活動(つまり現在の東日本大震災被災者への支援の一助)を語ってもらう。

ここを絞るのが第三回の社会福祉士さんたちの地域活動との連携へと話を引き継いでいく。

だから一般向けではなく、医療・保健関係者、行政・生活支援団体関係者の懇談にまかされる。人が集まってくれないと黒田さんが据え物になってしまう。

被災直後~仮設生活の生活(医療・保健)支援はまず関係者からなのだ。ここから一般向けの活動キャンペーン等を切り出していく。

●「東北発の震災論―周辺から広域システムを考える」山下祐介著

を購入。

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黒田さんにメールを出した。

動け、状況!


夜間傾聴:新人ひとり(今回限り)

(校正1回目済み)


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2/8 サザンポと寒川町社協を巡回、ばっさり/河北新報記事のお詫び

2013-02-09 05:20:16 | 引きこもり
2013/02/08 記
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茅ヶ崎駅南口のサザンポに行く。スタッフ5名のホテル並みの入店者への挨拶にたじろぐ。不思議なのだが、ここに来るといつも、伝わらなさを先に感じて、不思議な「小さな敗北感」を感じるのだ。今回それが何であるのかが、少しわかったような気がする。入った瞬間から、私は定形の受け入れのされ方をするからであり、そこからでは企画を持ち込もうとする私の目的との接点がないことがわかるからだ。私の持ち込んだ企画は、公的な関係が壊れた瞬間にニュートラルな隙間の中に、初めて相互関係の出発点を得るからだ。

残念なことに、スタッフの皆さんは、私の以前からの知人はひとりもいなかった。結局一から私の自己紹介や、企画概要紹介、依頼内容、先方の承諾確認…ここでやっと本題に入れるのだった。サザンポは障がい者が地域の社会参加をする場であり、カフェの形を採っても、カフェのお客さんということ以外に、障がい者の関連情報のノード(結節点)、つまり関連情報の集散する交差点の機能がある。ところがそこへの切り替えの契機が、知人との出会い、「やあ、こんにちは」から行われていた。その知人がいないと、切り替えのタイミングが、先方の戸惑いと決めつけの破壊の先に開けることになるからだ。

どうということはないのかもしれないが、話しかけた方に、前述の承諾確認まで話を進めるが、「ちょっとお待ちください、責任者と代わります」となるのが常道。ところが次の方で話が伝わるかと思うと、はじめの方の取次の誤った紹介の誤解が邪魔をしており、それをとりのぞいた時点で、また別の方へと取り次ぎされるという、うまくいって二段、最悪の時は「責任者がいないので、また来てください」という形で不成立に終わる。

これを陸前高田の社協でやられて参ったことを思い出した。明日担当者がくるので、明日にしてくださいとやられ、翌日私は現地にいないので伝言をお願いしたいと言ったが、経過をしらない局長に取り次がれ、継穂なく語る前に厄介払いされてしまったことを思い出した。敗北感を抱えて隣のレストランに行ったら、目的の方が食事をしていたという偶然に救われたのだったが、サザンポの場合も、この伝達拒否が悪気なしに起きる場だった。(市役所分庁舎の売店もまた同様に、伝達してくれないもどかしさがある。)

今回は、関係者の懇談型の講演会であること自身が、先方の常識を超えていた。つまり店にチラシを貼ればいいのか、増刷して来店者に配ればいいのか、または店のコーナーに置けばいいのかという有限の選択肢からはみ出したことのパニックだった。私の言う「関係者って、誰?」という疑問には先手を打って答えたが、そこに自主判断のプロセスが入っていると、即座に無理という結論が出てしまう。決して企画の内容に触れさせてくれないのだった。

困ったなと思いつつ、関係者とは「例えば、++をやってる**さん」とうっかり例を出したのがいけなかった。「**さんに渡せばいいのですね」に化けて、すっかり会話の扉が閉じてしまったのだった。ずっしりとした敗北感。…店を出た。

高砂コミュ二ティセンターはすぐそこだったが、ここはもっとすごいと分かっていたので、あきらめてしまった。ここは仕切り直しである。

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橋本からの帰り道、寒川の社協に寄った。ここに来たのは久しぶりだったが、ひとり知人が残っていた。話を聞いてくれ、内部で回覧しますと言ってくれた。関係しそうな利用者への紹介は、チラシを置くならいいが、選んで話すことは出来ないと断られた。だから、今日は網膜色素変性症の眼が見るゴミだらけの空を眺めて、ぶらぶらと帰宅するしかなかったのだった。

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帰宅したところに外出していた母から電話が入った。市役所から電話があったとのこと。何課だったかと問うが母は「市役所からだよ」を繰り返すだけ。親切に伝言したのに文句が多いと母は怒って電話を切った。やがて母が帰宅したが、私が夕食の食材を買ってきたというのに、駅弁を買ってきた。約束が違うというが、生ものは調理しなくてはならない。これは主婦の悩みだと思いつつ、結局駅弁と魚を両方とも平らげた。とても糖尿病患者の食事ではなかった。せめてと無添加コンソメで玉ねぎをまるまる煮て、スープを作った。無駄な抵抗かなと思いつつ。

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3月の予定の講演者の日程が依然決まらなかった。だめだった場合の次の講師を準備せざるを得なくなってきた。先方は茅ヶ崎でどのような参加者の活動があるかということが気になっているようだ。黒田さんの懇談講演会を踏まえる以外なかった。しかし日程は2/18。中旬を過ぎてしまう。山田町の##さんの打診をするか悩んでいる。一度お願いしたなら、3月の補完の必要がなくなっても、来年度の予定に組み入れることになるが、立場が重なっているので、他のことでとなると、被災遺体の管理に携わったきた方だから、そのへんの話題となると、かなり重い。行政関係者を含んで、会が成り立つか怪しくなる。

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昨日紹介した河北新報の記事、河北新報に名前とPWを登録しないと読めなかった。お詫びします。ただ登録が個人情報深く立ち入らない内容のことなので、読者登録をお勧めします。内容の代弁は著作権法に違反となりますので、反復しません。ごめんなさい。

その中でも

●「仮設暮らし一層厳しく 仙台の入居世帯、不安くっきり(1/21)」

という河北新報の記事は、仮設住宅に入居している方の生活実態にふれる内容なので、是非見ていただきたい。

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2/18の段取りを含んだメールを、覚悟して黒田さんのところに出すことにした。


夜間傾聴>ひとり(いじめ相談、しかしそこは職場。さて…)


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2/7 河北新報の記事から 他

2013-02-08 06:13:37 | 引きこもり
2013/02/07 記
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母の風邪がやっと山場を超えた。父の老健の方はノロウィルスの件は終息し、流感対策に移っているが、まだ面会ができない。受験生の方は、相模大野校の方は、マスク着用を条件に非受験生クラスのみ解除になった。

黒田さんへの参加予定者報告は、依然できない状態が続いている。困った。当日の出迎えと案内を少し早めにしておかないと、「わーく」編集部の若手2名は出てこないだろうから(だね?)、またしてもひとり何役もすることになる。

ペットレスキュー支援通信は18日以降まで、発行延期させてもらう。こちらは横浜で写真展をひらくことで、皆さん、頑張っているが、私には余力がない。

NHKで「津波そして桜」を放映した。3/10に上映会をするそうだが、12月にやり、このNHKで放送しているので、参加者が減らなければいいがと思う。ただ被災した人々の心がストレートに伝わってくる反面、では、今、何をしたらいいのだろうという問いが問題であるが、東日本大震災を忘れるなという啓蒙的なレベルで終わっていくのが虚しい。だからどうする?湘南で防災に活かす?東北の被災者にどう連携するの?この辺の具体案が全く答えられていない。

車を提供した若い相手から、車、1万5千km踏破したとか、田舎革命という元気のいい話が送られてくる。被災者の方々との連携を是非と思わざるを得ない。被災地に行けない者たちへの道筋を渡してほしいというのは、幻想だろうか。

河北新報の記事の中に、次のような記事があった。

●「仮設暮らし一層厳しく 仙台の入居世帯、不安くっきり(1/21)」
●「震災後、けいれん増加 気仙沼市立病院患者(1/29)」

患者数が少ないではないかという方は、見方を間違えている。ここに出てくる方は「坑道のカナリア」だといえばわかるだろうか。その背後に警告を読み取るべきなのだ。

また医師不足も出てきている。

●「被災の岩手県立3病院再建 地元住民対象に意見交換会(1/18)」
●「志津川病院再建計画 医師確保を登米と連携 宮城(1/11)」

読売新聞だが
●「鹿島労災14医師退職へ(2/6)」

福祉避難所の整備の話、これも情報の継続探索をしていく必要がある。

●「石巻市、福祉避難所を拡充 災害時対応6社福法人と協定(1/26)」

被災者が地元復帰する割合も、厳しいままだ。

●「石巻・雄勝の居住希望、震災前の4割 住民意向を市が調査(2/7)」

今日は自宅蟄居。教材屋の仕事をしていた。明日、また巡回を再開する。しかしまたしても連休が巡回を邪魔をする。当日、3月と来年度の予定を配布したいが、人と費用、相変わらず重くのしかかっている。最低3回、的を射た企画を準備したい。内容は、「災害弱者と連携した防災活動」「東北被災者の継続支援としての生活支援と民間交流」のふたつ。


夜間傾聴:なし

(校正1回目済み)

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2/6 寒川町関連行政巡回 他

2013-02-07 06:32:38 | 引きこもり
2013/02/06 記
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我が家は古い日本家屋なので、冬のすきま風をなかなか封じきれない。押入れの天井を周りこんで、ロウソクの炎は揺れるほどの寒風が忍び込んでくる。東日本大震災の教訓で、ブロアがついている石油ストーブ以外に、昔のスタンドアローン型の石油ストーブを使うようにしている。しかし、今日のように雪空のときや明け方は寒い。

JR相模原の塾の方の仕事を済ませ、帰りに寒川町役場に立ちよった。福祉課・高齢介護課・子育て支援課をまわる。茅ヶ崎より話を聞いてくれる感じなのは、ため息がでる。特に都市型災害には関心があるようだったが、寒川町は津波の河川遡上というより、震災被害と幹線道路の渋滞あたりが問題になって来ようが、救急医療の問題がありそうだ。湘南東部病院が満床のとき、救急病院は綾瀬・海老名に求めるのだろうか。

課内で回覧し、検討すると言ってくれた。(問題はその後の方なのだけれど。)これで湘南東部医療圏域は寒川町社協・町議会を除いて、行政関係はひととおり情報提供したことになる。

自立支援協等で話してくれると助かるのだが。

寒いので、図書館に逃げ込んだ。翔の会の**さんたちが、当事者さんを連れてきていて,丁度引き上げるところだった。私も長居はできないので、連続セミナーのことをCMしておいたのだが、あいにく行政のところで、チラシを撒ききっていたので、チラシを渡せなかったのが残念。

ここには、向精神薬を大量に飲んで自殺した++さんが、その前日真っ赤な口紅をつけて、私と散歩。休憩した席だった。景観寺からぶらぶらと歩いたが、夏日に喉が渇いて町役場前のコンビニの前で、冷たいお茶をのんで、図書館で休んだのだった。この赤い口紅が異変のサインだったことに気がつかなかった。

おいしそうにお茶を飲んでいた表情からは、想像がつかなかった。その日の夜、親御さんに口紅のことを話していた。翌朝、事態が一変した。

本当に、湘南・相模原・横浜にはイバラの咲くような場所が、あちこちにある。彼女が座っていたビデオ席に手をあわせ、日が落ちた道路沿いに、バス停に向かった。

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どうかしている。同じ時間に着く矢畑経由茅ヶ崎駅行に乗るつもりで、これではないとチェックしていた下河原経由にいつの間にか乗っていた。

ジャスコ前で降りて、サポセンでビッグイシューを配る。食材の買い物を済ませ、帰宅。炊飯釜の中は空っぽ。急いで米を炊き、食事を食べさせる。父が老健に入ってから、母は食事係を放棄した。何を考えていたのか、移転した墓地の資料が母の傍らにあった。

明日は黒田さんに、参加者の様子を書かねばならない。なんと書いていいか、全くわからない。市役所と保健所の巡回し直しをするが、育成会はいるだろうか。いつも時間帯がいけないようなのだが。(寒川町社協・市立病院・東部病院はこれからあたる。)

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読売新聞東京多摩版に

●「福島へ介護支援 参加を 府中の有志PR」

という記事が出た。もともとALSの方の支援団体だったようだが、この時期、新たに被災地に出向く医療支援活動があることが嬉しかった。市民グループ「福島応援 On Song」の活動である。18日には間に合いそうもないが、お邪魔してみようと思っている。

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

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2/5 携帯電話漬け&教材屋始動の一日/来年度の生活支援連続セミナー

2013-02-06 05:57:30 | 引きこもり
2013/02/05 記
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明日は雪だという。生徒たちへの受験応援メールを送っているが、明け方というのに、すぐに応答がある子が多いのに驚く。「馬鹿者、睡眠時間をとれ」と応答するが、大概の子は、受験勉強をしているわけではない。身体が夜型になっており、受験に合わせて朝型に切り替えることをしていない。大丈夫だという応答が返ってくる。自主的に行動する対象に受験勉強が入っていない。結局はボクシングのジャブの応酬で終わっていく。流感前科者は結局、このメールを分担させられる。教えたことがある子だけだから、数はそう多くない。専用携帯からだから、深い話をすることはしない。

受験問題集教材屋の仕事も始まっている。季節労働者なり。

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藤沢市に連続セミナーの範囲を湘南東部医療圏域と考えてと、藤沢市行政にも打診した。しかし本来の茅ヶ崎市が積極的にならなければ本末転倒なのだが、当日まで全く様子がわからないというのが常。あとは、地域共同作業所・地区社協をしらみつぶししていく以外ない。黒田さんには、どのような関係者が何人程度集まるのかをメールしなくてはならない。企画をたてるとき、この綱渡りにいつも晒される。カウントダウンが始まっている中で「雪」である。

間が悪いひとというのがいる。保健所の**さんもそのひとりだ。隣の課との話を終えて、**さんの課に移ろうと立ち上がった瞬間、椅子が**さんの課の課長にぶつかった。謝ったがくしゃみが出た。それを見ていた**さんがクスリと笑った。その後の彼との説明が暖簾に腕押し状態になった。明日辺り、保健所に行けば「雪」がキーになって、彼の説得は逆効果になるような気がしてならない。保健所再巡回は一日開けよう。寒川町にも巡回はするが、この間の悪さなどは、なんとも虚しい。

S君のパーソナル・サポートを追う。K2にはおそらく行っていないだろう。しかし、意思表明とサポートの関係を作りやすいところを考えると、選択肢は限られてしまう。ここから先は就労経験プロフィールがないと、道は更に細くなる。「世田谷すきっぷ」のような中間就労団体があればいいのだが、神奈川は個性が強い。

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大船渡の三陸町の民宿の親父さんと電話で話した。支援団体の様子だった。生活支援関係の活動の噂話は、以前は宿泊したひとの話などが出ていたが、今回は越喜来(おきらい)の話も昨年10月のものだった。保健衛生や医療の動きは、朴訥な親父さんからは質問してもわからないことだらけで、支援活動の厚みが無くなっている感じが伝わってきた。

3.11の前に訪問することは、絶望的になりつつある。来年度,病院と訪問医療関係・訪問介護関係の講師をひとり招待する。その前に3月の大関氏の招待を実現したいので、交通費ふたりで6~7万、謝金合わせたら10万円がいる。被災地訪問を合わせると17~8万円が消えていく。企画が整わねば助成金が得られない。助成金を得るには実績がいる。

連続セミナーの来年度は、災害弱者と防災・東北被災者継続支援のふたつの内容をたどりたい。

●外出時被災と社会活動>JR茅ヶ崎駅駅長さん
●東北被災者継続支援としての民間交流>広田町民泊
●被災障がい者作業所との連携模索(ネットワークから)
●福祉避難所運営と外周連携活動>被災経験をたどる

この4つを実現したい。年間25~28万円が必要。


★社会活動としてのQRコード利用医療・生活情報カードの実現>SFC
これは、小さな通信を発行。編集会議を積み上げていく。会員3人以上になったら無人でも会場プレゼンを積み上げていく。呼んでくれれば、説明に回る。これは「わーく」編集部の活動。
交通費の捻出が重い。

ともあれ。歩きながら考えよう。内容は大事。


p,s,**子君から久々の電話が入った。千葉の実家に行っていたという。家庭の中が大変だったので、預かってもらったのだろう。奇妙なものだ。かかってこなければ心配になるのだから。


夜間傾聴:なし

(校正1回目済み)

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2/4 後始末のような契約を済ませて/連続セミナー・チラシの藤沢の手応えは

2013-02-05 06:38:48 | 引きこもり
2013/02/04 記
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母が固執していた墓地移転話、父の一存で、宗教上の都合から遠方移転されていたものを、より近くの某所に移転契約した。母が流感を患っているので、ぽつり、私だけが管理事務所に出向き契約を済ませた。前の墓地と比べると高低差が少ない分、これから親子ともども高齢化していくことを考えると、よかったのかもしれないが、なんとも高い。無駄金に思える。子どものいない私は、生存の痕跡さえ残せれば、いずれ無縁さんになっても構わないと腹をくくっていたが、母の思いとは大きくずれていた。

帰り道、私は東日本大震災の、町が流れていく光景が繰り返しフラッシュバックしていた。突然断ち切られる生。生きてあることそのものに価値があるのだと私はいいつつ、生の中に価値を求めることが断ち切られる無念を感じ、ざわめく思いの中に超越した冷えた視野が広がっている。これは私自身が嵐の中にいる自覚と、それゆえに見えてくるものの生のテンションを踏まえていくことの自覚によるものだ。この二重性が母には異様に写るのだろう。その二重性のテンションのなかで肌ひりひりとする「今」を自覚する異常。ため息がでた。

藤沢で途中下車。「発達」誌133号が「震災の後を生きる子ども」を特集していた。黒田さんの謝金等の出費がちらつき、棚にもどした。

藤沢市の関連行政課にチラシを撒いた。茅ヶ崎のことかと関心を引っ込める課がふたつ。関心を持ったのが高齢者関係ひとつ。

小腹がすいたので辻堂駅で「親子」「丼」はゲンが悪いので、節約して牛丼を食べる。湯通し飯に固まったすじ肉の丼が出てきて,二箸手をつけて店を出てきてしまった。チェーン店というのに、人間の喰いものではない。この店、開店したときも丼が煙草臭かった。これで2回目。

夕食のささやかな買い物をして帰る。大きな金が動いたあとは、「男の料理は不経済」のねちっこい絡みが出るのが常だったから、予測していたのだった。母の反応は真逆。今日の橋本3君の指導は、流感がうつる可能性を考えて日送りしていてよかった。高揚する母を抑えて、ともあれ食事をする。

時間にゆとりができたので、SFCの看護学部の**氏に被災地生活支援の方の件で、協力してもらえないかとメール。以前もなしのつぶてだったから、返信あったら幸運のつもり。

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鎌倉の「すきる」(株)の話。間接情報あり。なるほどねと思う。1年ぶりの情報だった。

新刊、図書舘にリクエストを出す予定。

●「ソーシャル・キャピタルで解く社会的孤立-重層的予防策とソーシャル・ビジネスへの展望」

p.s. JR茅ヶ崎駅駅長宛の講師依頼状書いては消し…。

夜間傾聴:なし

(校正3回目済み)
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2/3 S君と会ったがなかなか…/連続セミナー配布続く/QRカードは賛同者側の問題で 他

2013-02-04 06:06:10 | 引きこもり
2013/02/03 記
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S君と会った。就職の話だがはっきりとした情報を提供することはできなかった。もともと福祉的就労枠は絶対数数が少ない。一般就労は、出てくる情報が少ないことに加え、その仕事が当人とマッチするかという未知数の部分があるので、彼の言う、やりたくない分野を削って提供する程度しか絞ることができなかった。

予備校の場合、お互いのつきあいの時間が長い。だからできること、得意なことがわかっている。S君の場合はそうはいかないので、手探りとなる。

ハローワークの情報と異なり、私の情報は社会活動の中で生協のような活動の関連求人を抱えたり、経営者団体経由の中小企業の生情報だ。そこで出会いを作って、ハローワークに仲立ちを頼む形で、採用面談に持ち込んでいく。だから生情報をそのまま提供するわけにはいかない。打診が企業側にも伝わっているから、彼の自由選択に任せるわけにはいかないからだ。出会いを提供する代わりに、彼自身もモチベーションを高めてもらわなくてはならない。そのままの彼を企業に入れ込むというものではないからだ。

少し形が見えてきたのは、彼の立場のこと。困難を抱える者は中間的就労を手がけている就労支援団体の支援を得た方がいい。壁にぶつかったときの支援などが意味をもつことが多いからだ。継続的に情報収集は続けていくことを告げて相談は終わりとなった。

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風邪を引いて休んでいる間の穴を埋める必要があったが、日曜日は先方が休みなので動きがとれなかった。S君と話したあと、近所の呼びかけるべき団体を回って、夕食の買い物を済ませて一度、家に戻った。

「ポルト湘南」は外装工事中。アポを取っていたわけではないから、用件だけを済ませてきたが、震災があったとき、路上生活者は情報が遅れて危険に晒されることと、避難してから避難生活が始まったとき、地域住民との間でトラブルが起こりやすい。

これは、遠方などの理由で、すぐに帰れない通行人もまた、避難所サービスの取得の際にもめごとにつながりやすいことに似ている。そういう意味で、独自の領域(視座)からの提言が欲しいのだが、行政等は、その存在自身を否定的に捉えられているので、語れば被災前の日常生活が、いっそう地域から排除されかねない。そういう戸惑いを抱えているため、今回も黒田さんの講演会に、明確な応答は得られなかった。

「浜須賀会館」は、責任者不在で、資料を提供しただけで終わってしまった。

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QRコードについての問い合わせがあったが、QRコードシール(カード)の主要な問題点は、「システム的なこと」だ。このことを少しずつブログに書いていこうと思う。また行政交渉などをしてきて、私が冷や汗をかいていたのは、チラシを撒いたり、張り出したりしても、共感者の反応が企画実現呼びかけに対し現れなかったことだ。応援団がいなければ、行政得意の沈黙自爆誘導作戦に乗ってしまう。唯一、自立支援協の中でか、私の不在の状態で技術紹介されたが、すでにパッチを当ててあるシステム的弱点部分を指摘され、否定されてしまったということだ。私なら説明できたことなのだが、その場に立ち会えなかった無念がつのる。

それは「治療薬の更新をQRコードは反映できない」という誤解だった。

この話以外は無風だ。今回の黒田さんの講演も参加検討しますと言っても、なかなか参加しますとは言ってくれない。数名の申し込みがあったときは、正直胸が熱くなった。この活動はどの政党の活動かという判断が先立つ愚かさ。応援団を育てるのではなく、QRコード医療情報カードをめぐって、自ら考え災害と被災者連携に踏み出す方が現れることの大事さ、それには決して発案者の己を風化させない持続する活動が必要だ。誰も応答しないなら、頼らず継続しつづける最低限の精神論が必要だ。

企画の輪郭だけは、関係者に伝わっている。しかしその企画が必要な背景などは、全く伝わっていかないと言っていい。

だからQRコードカードについて、お問い合わせの方には、特許などの配慮は社会活動には無用。自分のやれる地域で、どんどん真似してアレンジを試みて欲しいのだ。雑草のようにあちこちで芽をだしていけば、それが社会活動の力なのだと気づくだろうと思う。

茅ヶ崎は昔からわからんちんが多い土地柄だ。みな横浜・東京に逃げ出してしまう。だから幻想は持っていない。茅ヶ崎で根付けば他地域でも根付く。硬直的な古い同じメンバーがうなっているから、ろくなことがないのだ。新しい人が勝手に初めてもらった方がいい。

夜間傾聴:なし


(校正2回目済み)


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2/3 黒田さんのチラシ、メール分配信/相模線もマスクだらけ 他

2013-02-03 05:46:55 | 引きこもり
2013/02/02 記
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教室外の訪問指導から徐々に仕事を再開している。

やはり本調子ではないのか、いつもなら帰りのバス、子供連れがいるときは、下車希望ボタンを押すのは、ガイドを待ち構えてボタンを押そうとしている子がいるときは、その子に任せているのだが、今日は私が先に押してしまい、幼い子が泣き出してしまった。年長さん位の兄貴が、「先に押したの、このオジさんだよ」と母親に指を指す。「謝らないよ、悪いことしていないからね」と、その子を挑発してバスを降りた。

どうもいけない…。母が完全に風邪をひき、37度。医者に行ってきたというが、薬を飲んでいない。大丈夫だという母に「世話焼かせないでくれ」と白湯を出して気がついた。いつもなら、こんな言い方をしない。

帰り道に市立病院近くの

湘南ケアポートさわやか

に寄った。うちはそういうの関係ないんだけどねえと言われつつ、春めいた陽気に汗だくの私に察したのか、チラシを受け取ってくれた。

とにかく土曜日、電話確認するが、近くは皆、お休み。
先ほど、メール配達分をまとめて送った。

黒田裕子氏の活動とつながるか、気仙沼に生活支援を続けている方に別のメールをした。

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2013/02/02 23:17
十勝地方中部地震
震度5強・マグニチュード6.4

2013/01/31 23:53
茨城県北部地震
震度5弱・マグニチュード4.7

ここのところ、大きめの地震が連続している。不気味だ。避難対策をしながら父のことを思った。避難生活になったら長いことないなとため息。

黒田さんの講演、なんとしても関連行政課から誰かが来て欲しい。市議会日程・県パネルディスカッションと重なるというが、黒田さんの講演をもっと現場臭い、実用的な話にしたい。これからは、3周目は場面設定をしながら、質問を浮かび上がらせる。

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風邪の薬膳粥。気に入ったらしく全量完食。

明日S君と会う。職業訓練所申し込み期限過ぎてしまった、無念。

歯科医師会からの応答あり。月曜日アポ電話を入れる。


夜間傾聴:ひとり


(校正1回目済み)

p.s.とろけるように眠い、薬のせい?
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2/1 職場復帰なり・他

2013-02-02 04:47:10 | 引きこもり
2014/02/01 記
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中学受験組の担当講師や、高等部の個人指導受験組講師は風邪にシビアだ。結局室内に私は入れないまま、ファミレスで上司と調整の事務的な話を済ませ、久々に町田まわりでJR相模原に出た。こちらの塾はラフだ。橋本3君が私の風邪を喜んで、「呪い」だとか「神罰」だとか言っていたらしい。それは「天罰」というべきだと橋本3君に伝えてくれと言っておいた。

とにかく復活のご挨拶は終わった。

黒田さんのチラシは

障害者ふれあい活動ホーム あかしあ
(茅ヶ崎市共同作業所連絡会)
楽庵

に配達して辻堂図書舘で、足のこむら返りでダウン。(薬のせい)

最後に茅ヶ崎市役所の市議会にポスティング。

今日はここまで。

母が咳を始めた。うつった模様。まずい。


夜間傾聴:なし


(校正1回目済み)


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1/31 サポセンの++さんに借金を返しに行っただけです

2013-02-01 05:26:22 | 引きこもり
2013/01/31 記
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熱や痰はようやく収まったが、一度むせると咳が止まらない状態が続いている。これでは他人に移してしまう。マスクおじさん状態である。私の右目は、ものの輪郭と色、明暗が曇りガラスを通したように見えている。左目は中央に大きなワタゴミがあって、周囲を使ってものを見ている。だから風邪薬でぼんやりしていると、右側に急にひとの気配を感じて鳥肌がたつような事態が起こる。他者は私がものが見えているものと思い込んでいるので、ひとを無視したとか、不平があるのかと怒られたりする。マスクをしていると、「病気でぼんやりしているらしい」という事後了解で納得しているようだ。

父の老健のノロウィルス対策は一応終わったらしい。しかし、県と市から全関係施設に消毒対策と処理チェックを行なえという通達が出て、最低来週初め頃までは、面会や食品差し入れが一切できない状態になっている。

私は月末に、施設が外部からサービスを受けている(レンタル衣類等)分、立替え分を支払いにいく。どうせ風邪ひきでは、今回の事態ではなくても、居住フロアには入れない。しかし支払いは支払いと、マスク姿で老健までかけ、支払いを済ませてきた。

私の姿を見るなり、風邪の有無を問われ、居住フロアに出かけない事務職員が応対。彼方からケアマネさんが、今回の事態の説明を怒鳴っているという不思議な対話をしてきた。

しょうもない話だ。駅前で2回、サポセン前で1回、帰りのバスの中で1回の合計4回、咳が止まらなくなり、咳が出ると持ち物すべてどうでもよくなって、移動したとき、1回忘れ物をしてしまった。

ハンカチ・マフラー・手袋・傘etc.、これらは目の関係でやたらに忘れるのだが、ハンカチどころか、買い物したキャベツとみかんの入った袋を道端に置き忘れてしまった。我ながら信じられない。

Sくんや、QRカードのお問い合わせ氏には申し訳けないのだが、明日も風邪を移しそうで、もう一日おいたほうが良さそうだ。咳き込みさえしなければ、やっと治った感じなのだが。

昨日、私のボケで古書流通NPOの**君とすれ違った私は、奇妙な話でサポセンの++さんに、仮設宛、年始タコ煎餅料金分を立て替えてもらったため、至急返さねばと、料金を持ってサポセンに突入した。++さんと偶然合うことができた。

あとは支払いと退散。

職場も「受験生ガード」模様。私に許されているのはオンラインだけ、わかったかと叱られ、ちとしょげている。母の咳がはじまり、まずいなと思っている。

しかたない、集中力が失せているが、黒田さんの著書を読んだり、背伸びして,四肢のこむらがえりにのたうちまわっている。全くアホだ。「しゃぶ」抜きかなあと。

ビッグイシュー代、支払いOK.

夜間傾聴:橋本3君(母親。私の風邪ひき、大騒ぎでよろこんでいるとか。こら!)


(校正2回目済み)

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