湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

8/31 行き止まりの川を越える日

2023-09-01 05:53:00 | 地震津波災害ボランティア
2023/08/31 記
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ハッカーさん、今日は嫌な日だ。若い時は、緊張する出来事が毎年あって、車で夜間出動することもあった。ゲートキーパーだ。うまくいくことなどない。ただ孤立からは脱するところまで、それが仕事。PSWさんに仲介するが、私との付き合いは、突然復活し、浅く長く続くこともあったのですよ。彼らも中年。彼ら生き方が下手だから、うまくはいってはいないが、生き延びている。いつも、8月31日は、そのことを、つい、たどってしまう。

さて、書きはじめます。
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案の定、母は昨日の東京通院に疲れが出て、地元医の今日のリハは、快調のときのように、路線バスへのひとりのか送り出しはできず、私も付き添った。今日は一日中寝床で、リハは休むものと思っていただけに、母の気は張っていた。明らかに歩行に疲れがでていたが、門前仲町に母のルーツをたどった余韻が、母の気迫になったようだ。
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外来の待ち時間に、母と門前仲町のことを話した。関東大震災のとき、祖父は蔵前あたりにいて、やがて大火におそわれる隅田川淵に向かっていた。しかし店の家族の安否が気になり、時間差で大火に巻き込まれずにすんだという話や、祖母と、仲の悪い義母の曽祖母が,馬喰町の店の中で抱き合って跳ねていたという話が、おもしろおかしくいいつたえられていた。新規の話では無いが,母が夢中に語ったのはひさびさのことだ。

母は幼い頃、深川の倉庫跡に行ったことがあるが記憶は薄く、新築された横山町の家はわかるが、生家の馬喰町の店の記憶がないという。この頃、家は二軒あり、戦災消失後、横山町だけになったらしい。

母をリハに送り出して、ひとり外来で待つ間、故祖母は震災と戦災を潜って来たのだと,改めて思った。庶民とひとくくりにする発想の粗雑さ。生老病死と冠婚葬祭,家族の誕生、苛烈な社会事変など、考えてみれば,生涯平坦な人などいないのではないか。個人史は見なければ見えない、そういうことなのではないかと、意識は空を飛んでいた。

帰宅後、母と、ちょっとした儀式をした。飯にアオノリを振り、醤油をかけて,茶漬け。故伯父が好んだ闇市時代の御馳走再現だった。

南海トラフ、首都直下,台湾…。東日本大震災世代も、否応なしに歴史をきざんでいくのだろう。流されまいぞと,茶漬けに誓った。茶番というなかれ。

(校正1回目済み)


コメント
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