2021/03/04 記
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3.11が近づいて、TV番組も東日本大震災関連の内容が増えている。津波•震災による人命危機と生活破壊に対して、実地に赴き無償人道援助するというこの構図のうえで「災害ボランティア」は、土木清掃•援農•避難所運営や、元気付け歌曲提供等、被災者支援を行ってきた。
私が気仙地方仮設や避難所を回って感じたことは、障がい者と後期高齢者の姿が見えないことだ。またティーンズがいないという不可解な現象だった。東京の報告会は、青年とシニアばかりという声の大きな方の動き。訪問の回数を重ねることで、障がい者や後期高齢者は、被災者の束ねの陰に見えなくなっており、いわゆる楽屋裏に押し込まれていた。私の関わりは、メインストリームにはない押しやられた被災者に向けられたものだ。いくつものエピソードがあるが、単純に「災害弱者」ともくくれない忘れられた人々だ。
私は仮設の食事会にお邪魔した。生活支援のボランティアさんが、部屋の隅によりかかった80代男性に、「おじいちゃん、おいしいわよ」と、煮物をすすめているが、どこか居心地が悪そうだった。なぜか高齢女性がいなかった。乳幼児はいるが学童がいない。外に出てみると、80代後半の女性が庭いじりをしていて、声をかけて話をきくと、「あれは"嫁"の集まりだ」という。束ねるものの見方の粗雑さをはっきり自覚させられた言葉だった。閑散とした昼間の仮設。声をかけても玄関にでてこない人影。支援の偏りを感じる体験だった。被災のさらにその奥に、声を潜めている方たちのこと。この方々に寄り添うのが私の役割と、動きを変えた。
番組を見ながら、そんな思いを改めて反芻していた。
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サポセンに行って、ワクチンボランティアの話を&&さんに話をする。災害ボランティアは、コロナ禍に関わりを見失っているようにみえる。その息継ぎのためにも、ワクチン接種支援活動は必要と思うが、誰がボランティアを束ねるか、保健所からの要請がこないということで、「無理」という意見。私たちは中間支援者、既存の活動に乗るだけでなく、活動の提案するのも役割と思うが。医療関係専門職外周支援の可能な事例を保健所、社協ボラセン、サポセンに配って粘るつもり。
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山かけ丼の夕食。リハ帰りの母、「とろろがもたれて、嫌」と食べない。唐辛子の佃煮の茶漬けで終わり。…糖尿病者、丼ふたつを並べて悩む。
夜間傾聴 なし
(校正2回目済み)