湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

9/12 包括支援センター巡回3日目

2013-09-13 03:49:25 | 地震津波災害ボランティア

2013/09/12 記
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蒸し暑さが復活。しかし一日が短くなった。その分、気が急く。

ある方から、就労継続支援A型事業所への就労の可能性について問われた。初め私は鎌倉の社会的企業の方と勘違いしていたが、話はそうではなかった。現在神奈川県下には確か15事業所前後できていると思ったが、B型の福祉的就労そのもののような実態にある主流障がい者就労と比較して、格段に収入が違う。そのために、特定の方の就労を実現するために事業所が設立されたり、(B型と比較して)高収入を求めて求職者が絶えないのが実情だ。可能性は低いが、明日、採用の可能性は低いが、事業所を訪ねてみることにした。

橋本に行く前に、3日目の巡回は、包括支援センター「ゆず」「みどり」と、某訪問看護事業所をまわって終わった。エリアの人口増にしたがって、包括支援センターも地域分割が細かくなり、センター数も膨らんでいく。「みどり」も26年度から「つるみね東」と「つるみね西」に分かれる。

「みどり」は、市の浸水予測地域も抱えており、震災津波が想定の範囲内で来たとしても、影響を受ける。柳島の「すみれ」も同じだ。勿論海側は皆影響を受けるのだが。

今回は個々に、一応の概略を説明することができた。私の提案のような勉強会は、事業所連絡会でも行われているが、震災から時間が経つにつれ停滞気味となり、提案するなら、目の前の忙しさに流されないほどの内容がいる。オリンピック招致が決定し、災害対策活動はなおさらに、「なぜ・いま」という問いに答えなくては、提案は無駄だろうというご意見もいただいた。

しかし、このご意見は、専門職としての、ある状況認識が忘れられているように思う。東日本大震災から2年半経ったといえども、復興は遅々として進まず、長期化する避難生活が地元の方の生活と健康を蝕んでおり、湘南で被災しても同様に単純な復興とはならないだろうという自覚である。自分からは結集できなくても、お膳立てが整えば懇談参加の必要を感じるという状態であるか、それとも東日本大震災は、すでに当事者と地元活動に託されて、外野が立ち入る時期は過ぎた、地元防災などいつ来るかわからないものに今、力をさく気にならないと考えているかだ。私は条件付で前者の状況がであると思いたい。条件とは、懇談テーマの質が「必要」と感じたらという前提のことである。マニュアル学習を反復しても駄目なのだと思う。逆に言うと、現地の被災経験を受け止め反芻でき、意見交換できる技量がないと懇談が活きないというハードルがあることはあるのだが。

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今回のNHKドキュメント「あの日、わたしは」は「石巻市吉野町の内海幸子さん」の証言記録だったが、地域活動支援センター「こころ・さおり」の作業所利用者さんと職員計20名の車による高台避難の際、内海さんは過去の渋滞事例を思い出し、ビル5Fに避難することに切り替えたことは、高速避難が困難な利用者さんにとって賢明な選択となったということ。津波到着直前に、隣のコンビニで食料をまとめて買い求めたことも、過去の体験記憶が活きたという。

津波来襲によってビルは孤島化するが、全員助かったという。私が大事にしたいのが、この判断を喚起したのが過去の事例経験だったことだ。このような事例蓄積が、生活・医療ネットワーキング作りとともに懇話会の目的のひとつなのだ。

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しかし、何度行っても包括支援センターの職員が異なり、ざっと過去の活動歴を一から語らなくてはならないのは閉口する。そのとき、職員は、判を押したように同じ、無言・能面表情をとる。最近の行政職員もしなくなった警戒対応だ。不思議と若い男性職員に多い。後半には、その構えも崩れてくるのだが、出会うたびに私は「またかよ」とつぶやいてしまう。なんともしんどい。

明日は「すみれ」と「青空」、父の特養に立ち寄る。市社協と老人クラブ・地区社協はどうしたものかと。民生委員関係は、後日まわる。…連休である。しかし気が乗らない。

夜間傾聴>ひとり(対話途中、相手が眠ってしまった。何とも空しい。)


(校正2回目済み)

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