湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

5/21 憂鬱な話ですみません/眼鏡がやっと届いたものの…

2011-05-24 06:46:22 | 引きこもり
2011/05/21 記
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昨日、元ビッグイシュー販売員の**さんから電話が入っていた。休止している湘南あすなろ会をどうするのか、一度会おうという話に応じたものだった。彼は携帯電話を持たない。だから彼と連絡を取るのは容易ではない。だから彼が立ち寄るところに手紙を置いたり、伝言を残したりする。だから時差のようなものが生まれてしまう。しかし連絡が取れたので、22日に一緒に昼を食べようということになった。

そのときの為に、私には少し整理しておく必要があった。私は湘南あすなろ会発足以前から、年齢の高めの若年層引きこもり青年のネットカフェ巡回を時々やっていた。長期化した引きこもり体験の結果、両親が逝ったために天涯孤独の無業者となり路上にはみ出したり、家出をしたが戻れなくなったというホームレスの入口に立つ者が、散見されたからだった。引きこもり青年の中でも、自殺や触法のリスクの高いひとたちだった。私の塾を失い、就職した先の限定的な引きこもり青少年たちとの関わりから、自分なりの活動を模索している結果、訪問カウンセリングの限界(守秘の壁ゆえ、当事者活動がなかなかできない。)を越えるために、そこで問題になっていた親御さんの訴えから生まれたものだった。触法青年の見守り活動がある。そこと接していながら活動は、そこに軽度発達障がいや中途発症の精神症などの対人関係の困難を抱える比率の高いひとたちへの関わりをする活動は、防犯活動のような場合が多いために、引きこもり青年の接触活動として、そうした活動から線を引いていた。つまり巡回活動はなかなか協力者が生まれない活動でもあった。

この活動や、駅頭若年層HLへの声かけなどをしてきたが、こうした活動は、従来のHLの生活支援活動とも対象世代が違っていた。HL支援活動は無業中高年の支援活動と言っていいほどに、若年者比率が少ないものだったからだ。この意味で、若年層対象の活動は、従来のHL支援活動の常識ともずれていた。

自分の拠点を持たず、または持てず、訪問学習カウンセリングの延長から進んだ隘路だった。同時に始めていた夜間傾聴も10数年を過ぎて、就職先からの紹介比率が大半を占めるように変質し、それがゆえに外勤(訪問)定年の形で、相模大野側の訪問が途絶え、JR相模原周辺の方たちだけに細っていた。個人の踏ん張りゆえに公開もままならず(対象者は溢れている)、今後の接点をどう作っていくかも課題だった。

しかし、湘南あすなろ会の活動は、ビッグイシュー販売が柱だっただけに、私の活動をそのまま持ち込むことは困難だった。このギャップをどう埋めていくかが、**さんとの出会いの中の迷いとしてあった。同じBIの販売員の++さんは、就職と同時に販売をやめ、その後、退職し地元から離れた。こうした事態の中で、今後の活動が問われることになった。++さんとの対立の結果、もとの活動に戻る決断をして、あすなろ会から離れた後に++さんが、地元を離れた結果、あすなろ会が宙に浮いていた。この事態をどうするのかという局面にあるのだった。

湘南あすなろ会の特徴は、若年者HLまたは予備軍へのこだわり、就労支援活動へのこだわり、市民活動との連携という特徴がある。鶴嶺高校へのHL支援活動からの格差社会とそこへの関わりの問いかけ授業など、独自の展開も行ってきた。しかし、日常活動がなかなか立たない状況でもある。

安易に会に復帰するのも++さんのことを考えれば無節操というものだ。同意のとれる方針がたてば再出発もありうる。そのもどかしさを孕んでいた。

私の地元への訪問やネットカフェ巡回、起業準備としてたてた「わーく」発行、夜間傾聴に飛び込んできた方は、重篤な事情を抱え込んでいる方が多く、すでに4名が命を失っている。私と接触して離れた方を含めれば、この10年にその倍以上の方が他界している。この活動は、HL支援とは接していながら領域が違う活動であり、湘南あすなろ会の活動に持ち出す活動ではない。

どうしたものかと、ある藤沢の市議さんと会う約束が破綻した藤沢駅前の喫茶で、眼鏡屋の約束の時間までの空白時間、悶々としていた。市議さんとはペットレスキューの里親さがしの協力依頼だった。

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目のかすみは依然続いていたが、やっと仕上がった眼鏡を受け取りに、茅ヶ崎経由で海老名に出た。大和経由もあったが、やはり慣れが大きく相模線に乗ってから大和経由の手があったことを思い着くのは、やはり冷静になっていない証拠だった。

眼鏡は出来上がっており、今回は受け渡しだけだった。検眼のとき、現行の2本の眼鏡を1本にまとめたような程度の遠近両用遮光眼鏡と説明されていたので、遮光が新しいだけで、矯正視力をあげたものではないことを知ってはいた。しかし、かすんだ目に新しい眼鏡をかけてみた印象は淀んだものだった。4ヶ月をかけて入手した眼鏡の新鮮さは全く裏切られたような視界だった。

合計で12万円をはみ出していた。訪問が頻繁だった頃は、先方が荒れていることもあって、手で突然払いのけられて眼鏡が吹き飛ぶこともあった。一瞬にして、眼鏡は使い物にならなくなった。親御さんへの賠償請求が心苦しく、職場では補償してくれなかった。新しい眼鏡を手にする度に、ため息が出ていた。今までかけていた眼鏡は補充用の度の合わなくなったものを降ろして、予備のない状態で使っていたのだった。

拗ねているわけでもなく、勿体無いと思ったわけでもないが、晴れ晴れとして、新しい眼鏡にかけかえて店を出る気になれず、支払いを済ませた後、眼鏡ケースに新しい眼鏡を入れて、古いめがねのまま駅前に戻った。どうしたものかなあと思う。しかしともあれ眼鏡は新調できた。あとは自転車を買えば、海岸線パトロールや、今回のようにペットレスキュー協力店探しなどがやりやすくなる。そう自分を説得しつつ、サンマルクのパンや、丸井の食品売り場でキノコと野菜、調味料、母説得用のアナゴ寿司を買い込んだ袋を下げて橋本に向かった。

相模原の教室授業だったのだが、気仙沼から避難してきた老夫婦の孫が付き添いで、現地ドライブして自宅の跡を見て帰って来たのだと聞いた。疲れが出たか祖父が入院したとのことで、彼(孫)は遅刻してきた。家までは車で行けず、彼が写真を撮ってきたのだという。使い捨てフィルム形式のカメラで撮ってきたところが、若くない証拠だと私がつついた。しかし避難している方の困難を目の当たりにした思いだった。

ここしばらくは、遠近両用眼鏡に慣れなくてはならない。下側の近距離用の位置に両眼の網膜色素変性症の恒常的なかすみの領域が重なっていたからだった。

今夜は目を休めるために、読書&PCは休止。明日はスライド(PPにあらず)仕上げと23日の新たな被災者支援活動の立ち上げ準備である。


夜間傾聴:南大沢君(仮名)


(校正1回目済み)

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