湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

4/29 全国経営者団体の理事長さんとお話しすることが出来ました

2011-05-01 04:38:06 | 引きこもり
2011/04/29 記
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現段階でいえないことが多くて申し訳ないのだが、ある経営者団体の全国組織の理事長にお時間を戴き、私の地元企業経由の被災者支援の説明を聞いてもらった。事前に資料をFAXしていた関係で、この支援法に興味を持っていただいた。しかし、被災地は各県状況の大きな差があり、私のモデルが成り立ちそうなのは岩手だという。手早く先方に私の案を紹介してくださった。

連休中、私は横浜ペットレスキューの本拠地伊東に行く。その間に岩手と電話で詰めをする。現時点で陸前高田と大船渡からの立ち上げ候補が出てきている。湘南の協力者を求められるように、コーディネートして行きたい。

連休明けは、霞ヶ関と丸の内を回る。ただ現時点では芽が出来たとしか公開出来ない。

陸前高田と大船渡

ここから始まる予感。


p.s. 帰りに慈恵医大の眼科外来へ。当座のかすみ、点眼薬が出る。



夜間傾聴:なし

(校正1回目済み)

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4/28 経営者団体との面会を前に、今年度の巡回の分担が決まりました

2011-05-01 03:56:19 | 引きこもり
(前の記事からの続きです。)
2011/04/28 記 (続)
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母の治療の中心を移すことにしたが、母は心理系の診療に強い不審感を持っていた。実際、受診したとき希望した医師に会えず、振り分け診療の医師に回されてしまうことと、鍵となるはずの問診も、最悪のときは母の顔も見ずに5分ほどで筋弛緩剤と睡眠導入剤がでてきたという。次回の約束も彼の診察日から選ばされたので、紹介状の意味がないではないかと抗議した。すると規則ですと答えたという。東邦医大大森病院では、初診外来の問診票に○を付けて出したが、設問に合わないことが多く、そこにメモ書きして看護師に渡したところ、問診が始まるなり、うつ病の症状が羅列されたという。その症状は自分の状態と全く関係ない設問だった。その場に立ち合わせてもらった私も、誘導尋問のひどさに、なぜ紹介状を開かず、母の話も聞かずに分類が始まるのかと問いただした。10分ほどで、睡眠導入剤が処方され、次回の日程調整の話となったので、母もおかしさを感じて、医師を選ぶことはできないのなら、もう来ませんと啖呵を切った。

とにかく質のいい医師に当たらない。だから私が心療内科などを勧めても、もう絶対に行かないというようになってしまった。社会的差別のレッテルが貼られかねないことへの不安という話ではなく、じっくり話を聞かず、短時間・分類優先で薬が山と出る状態に怒りを感じているという状況だ。

とりあえず、栄養失調を指摘したペインクリニック(麻酔科)と、検査のみ新規の脳神経外科と消化器内科に行くことになった。

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そうこうしているうちに、私のJR相模原の私塾の方の巡回先が固まった。これから1年間付き合っていくことになる。人数は少ないが、大きな荷物を抱えている方ばかりだ。もうひとりの巡回担当者は現地対応が頻繁な方を見る。御宅に急行しなければならない事態が起きたとき、私には相模原・八王子・町田は遠すぎる。即応できないから長年の相棒がそこを抱えた。私の担当は、このブログに登場する4名と非公開1名の5名。相模大野校前は広く浅くだったので、じっくり時間をかけて道を探っていく。例年なら4月初めの割り振りだが、今年は震災があった。人脈経由の余波が押し寄せてきていたのだ。

母を茅ヶ崎駅で路線バスに押し込み、橋本3君と会った後、JR相模原の本校で担当者の最終確認の職員会議があった。ただ私にはもうひとつの心配があった。母の介護のことと、網膜色素変性症の進行だった。右目を補償している左目の視力が落ちてきたのだ。眼鏡つくりは気持が急いている。これも途中で度が変わったらどうしようもないのだ。ようするにポンコツなのである。

明日は某経営者団体の理事長と、被災地で頑張っている企業さんの紹介を受ける。湘南にモデル作りが始まる。面白がる支援者が出てこないか。


夜間傾聴:前の記事通り


(校正1回目済み)


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