2011/05/12 記
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私の左眼の状態がよくない。翌日が休診日なので相模大野の眼科に問い合わせた。網膜色素変性症ということでは、慈恵医大で薬を貰っている状態では保険が効かないという。大学病院が年数回では状態がフォローできない。地元医と役割分担した治療を求めていること、職場が相模大野であることを語りOKを取った。とりあえず診てもらうことに。
うまく行かないもので、昨日は淵野辺の巡回だった。巡回時間をずらしてもらって診察を受けた。この日、市障害福祉課から装具一部負担の証明書が届いていた。手帳取得から3ヶ月、診断書申し込みから4ヶ月が経っていた。診察は検査のやり直しを入れて高かったが、度が進んで、眼鏡が合わなくなっているという話。結局目の疲れということで、市販の目薬と大差ない点眼薬を貰ってきた。今後も通院OKだが網膜色素変性症ということでは無理との事。薬局に行けばよかったかなあとも思う。
ともあれ市から通知が来たので大学病院専属の眼鏡屋に電話し、すべてはフレームなどが決まっているので、海老名の営業所で受け渡しという話となった。右目が半透明ポリ袋の隙間から外界を見ているような状態なので、左目がこれ以上使えなくなったら死活問題になってしまう。
金曜日にレンズ位置の調整をして、10日後に受け渡しということになった。ともかく相模大野駅はホームに入るとき、一番左の改札が車椅子用で通路の幅が広い。ところがそこを抜けるとき、カードのタッチが宙を切り、遮断機がしまってしまったほどだ。右側が見えていないのだ。
母の偏食をなんとかせねばと思案しているところに、母の掌蹠膿疱症(しょうせきのうほうしょう)定期検査の確認メールが届いた。土曜日の午前中だった。湘南新宿ラインで行けば一本。さほど歩くところも少ないということで、新宿の専門外来まで送り、帰りを母を挑発して、東京の稽古事仲間と何かを食べてこいと誘導した。案の定、母の様子が変わり、箪笥から上着を出したりし出したのだった。
不定愁訴の場合、適度な生活のメリハリが必要で、日に当たることも必要。栄養を考えずに、少量の和菓子や、果実で消化器の負担をかけずに済ませてしまう状態は、「親を孤食させるつもりか」というなら、嘔吐が復活しない範囲で、食事を挑発した方がいいと考えるのだ。ただ私は新宿に用事を重ねることが出来ず、相模大野で母と合流することにした。新宿から小田急に乗車するところまで、私も知っている経堂在住の**さんに寄りかかってもいいだろうと勝手に仕組んでいた。
小田急線はよくわからないし、座れないから嫌だという母を相模大野までならどれにのってもいいと説得、母が**さんに電話した後、よろしくお願いしますと強引に母を預けてしまった。先方も70代、無理はお願いできないのだが。病院のほうも知り合いの、メールを送ってくれた看護師さんにお礼のメールをだしつつ、胃切除後のダンピングを抱えている旨、簡単に様子を書いておいた。しばらく受診していないので、診察券がないとうろうろしている母の後姿に、挑発成功のVサインを出したのは見えまい。
ともあれ、私は土曜日、藤沢の某市会議員に面会を求めていたのだが、予定は変更になってしまった。犬の愛好家への道を持っている方なのだった。
地震津波が発生してから2ヶ月目になる。その関係で新聞記事に面白いものが目立つ。ひとつはマイクロファイナンス(小口初動資金融資)の技法がやはり利用されていたこと。企画の進展を追ってみたい牡蠣養殖業の動き、もうひとつは、被災者の状況の基礎資料2つだ。
●「カキ養殖の島復興へ「一口オーナー」すでに3300口」
●「東日本大震災:12万人が避難生活 福島は3万人県外に」
●「東日本大震災:生計めど立たず 避難者追跡調査」
雨が降り続いている。活動範囲が狭められてしまう。
夜間傾聴:橋本2君(仮名)
(校正1回目済み)
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私の左眼の状態がよくない。翌日が休診日なので相模大野の眼科に問い合わせた。網膜色素変性症ということでは、慈恵医大で薬を貰っている状態では保険が効かないという。大学病院が年数回では状態がフォローできない。地元医と役割分担した治療を求めていること、職場が相模大野であることを語りOKを取った。とりあえず診てもらうことに。
うまく行かないもので、昨日は淵野辺の巡回だった。巡回時間をずらしてもらって診察を受けた。この日、市障害福祉課から装具一部負担の証明書が届いていた。手帳取得から3ヶ月、診断書申し込みから4ヶ月が経っていた。診察は検査のやり直しを入れて高かったが、度が進んで、眼鏡が合わなくなっているという話。結局目の疲れということで、市販の目薬と大差ない点眼薬を貰ってきた。今後も通院OKだが網膜色素変性症ということでは無理との事。薬局に行けばよかったかなあとも思う。
ともあれ市から通知が来たので大学病院専属の眼鏡屋に電話し、すべてはフレームなどが決まっているので、海老名の営業所で受け渡しという話となった。右目が半透明ポリ袋の隙間から外界を見ているような状態なので、左目がこれ以上使えなくなったら死活問題になってしまう。
金曜日にレンズ位置の調整をして、10日後に受け渡しということになった。ともかく相模大野駅はホームに入るとき、一番左の改札が車椅子用で通路の幅が広い。ところがそこを抜けるとき、カードのタッチが宙を切り、遮断機がしまってしまったほどだ。右側が見えていないのだ。
母の偏食をなんとかせねばと思案しているところに、母の掌蹠膿疱症(しょうせきのうほうしょう)定期検査の確認メールが届いた。土曜日の午前中だった。湘南新宿ラインで行けば一本。さほど歩くところも少ないということで、新宿の専門外来まで送り、帰りを母を挑発して、東京の稽古事仲間と何かを食べてこいと誘導した。案の定、母の様子が変わり、箪笥から上着を出したりし出したのだった。
不定愁訴の場合、適度な生活のメリハリが必要で、日に当たることも必要。栄養を考えずに、少量の和菓子や、果実で消化器の負担をかけずに済ませてしまう状態は、「親を孤食させるつもりか」というなら、嘔吐が復活しない範囲で、食事を挑発した方がいいと考えるのだ。ただ私は新宿に用事を重ねることが出来ず、相模大野で母と合流することにした。新宿から小田急に乗車するところまで、私も知っている経堂在住の**さんに寄りかかってもいいだろうと勝手に仕組んでいた。
小田急線はよくわからないし、座れないから嫌だという母を相模大野までならどれにのってもいいと説得、母が**さんに電話した後、よろしくお願いしますと強引に母を預けてしまった。先方も70代、無理はお願いできないのだが。病院のほうも知り合いの、メールを送ってくれた看護師さんにお礼のメールをだしつつ、胃切除後のダンピングを抱えている旨、簡単に様子を書いておいた。しばらく受診していないので、診察券がないとうろうろしている母の後姿に、挑発成功のVサインを出したのは見えまい。
ともあれ、私は土曜日、藤沢の某市会議員に面会を求めていたのだが、予定は変更になってしまった。犬の愛好家への道を持っている方なのだった。
地震津波が発生してから2ヶ月目になる。その関係で新聞記事に面白いものが目立つ。ひとつはマイクロファイナンス(小口初動資金融資)の技法がやはり利用されていたこと。企画の進展を追ってみたい牡蠣養殖業の動き、もうひとつは、被災者の状況の基礎資料2つだ。
●「カキ養殖の島復興へ「一口オーナー」すでに3300口」
●「東日本大震災:12万人が避難生活 福島は3万人県外に」
●「東日本大震災:生計めど立たず 避難者追跡調査」
雨が降り続いている。活動範囲が狭められてしまう。
夜間傾聴:橋本2君(仮名)
(校正1回目済み)