湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

5/12 相模大野に私の担当眼科医を作り/食事の泥沼にはまるまい/被災2ヶ月の記事

2011-05-15 17:40:21 | 引きこもり
2011/05/12 記
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私の左眼の状態がよくない。翌日が休診日なので相模大野の眼科に問い合わせた。網膜色素変性症ということでは、慈恵医大で薬を貰っている状態では保険が効かないという。大学病院が年数回では状態がフォローできない。地元医と役割分担した治療を求めていること、職場が相模大野であることを語りOKを取った。とりあえず診てもらうことに。

うまく行かないもので、昨日は淵野辺の巡回だった。巡回時間をずらしてもらって診察を受けた。この日、市障害福祉課から装具一部負担の証明書が届いていた。手帳取得から3ヶ月、診断書申し込みから4ヶ月が経っていた。診察は検査のやり直しを入れて高かったが、度が進んで、眼鏡が合わなくなっているという話。結局目の疲れということで、市販の目薬と大差ない点眼薬を貰ってきた。今後も通院OKだが網膜色素変性症ということでは無理との事。薬局に行けばよかったかなあとも思う。

ともあれ市から通知が来たので大学病院専属の眼鏡屋に電話し、すべてはフレームなどが決まっているので、海老名の営業所で受け渡しという話となった。右目が半透明ポリ袋の隙間から外界を見ているような状態なので、左目がこれ以上使えなくなったら死活問題になってしまう。

金曜日にレンズ位置の調整をして、10日後に受け渡しということになった。ともかく相模大野駅はホームに入るとき、一番左の改札が車椅子用で通路の幅が広い。ところがそこを抜けるとき、カードのタッチが宙を切り、遮断機がしまってしまったほどだ。右側が見えていないのだ。

母の偏食をなんとかせねばと思案しているところに、母の掌蹠膿疱症(しょうせきのうほうしょう)定期検査の確認メールが届いた。土曜日の午前中だった。湘南新宿ラインで行けば一本。さほど歩くところも少ないということで、新宿の専門外来まで送り、帰りを母を挑発して、東京の稽古事仲間と何かを食べてこいと誘導した。案の定、母の様子が変わり、箪笥から上着を出したりし出したのだった。

不定愁訴の場合、適度な生活のメリハリが必要で、日に当たることも必要。栄養を考えずに、少量の和菓子や、果実で消化器の負担をかけずに済ませてしまう状態は、「親を孤食させるつもりか」というなら、嘔吐が復活しない範囲で、食事を挑発した方がいいと考えるのだ。ただ私は新宿に用事を重ねることが出来ず、相模大野で母と合流することにした。新宿から小田急に乗車するところまで、私も知っている経堂在住の**さんに寄りかかってもいいだろうと勝手に仕組んでいた。

小田急線はよくわからないし、座れないから嫌だという母を相模大野までならどれにのってもいいと説得、母が**さんに電話した後、よろしくお願いしますと強引に母を預けてしまった。先方も70代、無理はお願いできないのだが。病院のほうも知り合いの、メールを送ってくれた看護師さんにお礼のメールをだしつつ、胃切除後のダンピングを抱えている旨、簡単に様子を書いておいた。しばらく受診していないので、診察券がないとうろうろしている母の後姿に、挑発成功のVサインを出したのは見えまい。

ともあれ、私は土曜日、藤沢の某市会議員に面会を求めていたのだが、予定は変更になってしまった。犬の愛好家への道を持っている方なのだった。

地震津波が発生してから2ヶ月目になる。その関係で新聞記事に面白いものが目立つ。ひとつはマイクロファイナンス(小口初動資金融資)の技法がやはり利用されていたこと。企画の進展を追ってみたい牡蠣養殖業の動き、もうひとつは、被災者の状況の基礎資料2つだ。

●「カキ養殖の島復興へ「一口オーナー」すでに3300口」
●「東日本大震災:12万人が避難生活 福島は3万人県外に」
●「東日本大震災:生計めど立たず 避難者追跡調査」

雨が降り続いている。活動範囲が狭められてしまう。


夜間傾聴:橋本2君(仮名)


(校正1回目済み)

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5/11 父の入所している老健に小さな手術の立会いに/被災者に支援を届けるということ

2011-05-15 11:38:42 | 引きこもり
2011/05/11 記
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台風1号が接近しており、雨に祟られる。授業は相模大野の午前中1コマ、橋本の夜の巡回が1件。母が起きてこないが相模大野までそっと出かける。この予定では一度帰った方がいいような予感がしていた。相模大野の方は、完全に演習補助で他の1名が机間巡視するが時間のかかりそうな子が私の方に送られてくる。訪問を中心にしていたときと比べれば、対話も何もない。一斉授業を除けば、しらけた再受験の子がほとんど。不登校経験者は個人指導にまわる。偏差値の高いところへの受験の子がいないので、正直言って手持ち無沙汰だ。結局私を飼っていて、外勤定年後の給与の不満解消策なのかもしれない。

若い上司と昼食を食べている最中に、父の入所している老健から至急の電話が入ったと母から電話が入った。5日に行ったばかりだった。上司が気を使って先に本校に戻ると言って別れたので、私も清算を済ませ店を出た。改札口階に下りて老健に電話。昨日、父の足の巻き爪がひどくなって、皮膚科の医師を呼ぶという連絡が入っていたので、おそらくそのせいだろうと思っていた。

半分は当たりで、半分は違っていた。父は昨夜、足が痛いので爪切りを取りに行くと、立ち上がろうとしては転倒していた。部屋を移動させて監視している状態で、皮膚科の治療のとき来てくれないかという話だった。父は糖尿病があるから足の親指の巻き爪は在宅のときから警戒していた。指が壊死するほど糖尿病が進行はしていないが、治り難いのは事実だった。

家に帰らず、老健で時間をつぶして巡回をというような発想が頭をもたげる。巻き爪はそれほどに日常化していた難題だった。これがあるたびに、特養泊まりと重なれば特養の看護師さんが、無いときは訪問看護の看護師さんが泣いた。ひとりが父の足を抑えていないと蹴飛ばされてしまうからだった。

伊勢原に出て伊勢原から路線バスで老健に出る。本数があるわけではないので、コーヒー飲みつつ湿ってしまった書類の水気を取って時間を潰しているとまた母から電話が入った。老健に皮膚科の医師がまもなく来るという。またかと思った。この老健の私への連絡先は自宅になっており、緊急連絡先が私の携帯なのだった。以前、なぜ直接携帯に電話してくれないのかと聞いたことがある。携帯は「緊急」連絡先だからという石頭の応答に呆れたことがある。またかと思った。

あと10分ほどで伊勢原からバスに乗ると老健に電話。老健に駆けつけると、まだ皮膚科の医師は来ていなかった。要するに早めに呼び出したのがわかった。父に会うために部屋にいくと、案の定、入れ歯をはずした高齢者独特の顔をして寝息をたてていた。昨夜の転倒の鬼ごっこで疲れたのだろうと、職員さんがいう。一向に起きないし、医師が車で1時間半あったので、近所の薬局がコンビニ兼用になっているので、サンドイッチと無糖缶コーヒーを買って、老健のロビーで作業を始めていた。「被災地中小企業にサービスを発注する形の支援」のスライド画面の追加分だった。

私の提案は長期化する災害復興支援は、従来の義援金募集型ではマスコミの関心の退潮にともなって、被災地外の協力者の関心が急速に失せていく。粘り強い支援法と11万人近い避難所と仮設住宅に取り残された被災者に直接届く支援をどう作るかに狙いがあった。ところがこの時期の活動は、「産業復興支援」に質が変化していく。商業の復興が町を活気付け、産業の復興が雇用を生み出していくという論理だ。ところが特に東北は高齢化が進んでいる。この11万人は何らかの理由で再出発が難しい人たちだ。商業が復活しても消費は収入が抑えられていれば伸びない。産業の復活は関連業で働ける者たちに恩恵が限定される。産業振興が生活支援に結びつくというのは、実はおかしい。

買い物等消費した売り上げの一部を被災地に寄付という活動や、被災地産の商品を買うという運動は、被災地の企業や産業団体を潤すが、結びつく業種の生産に携わっていない被災者や、高齢者や障がい者たちは取り残されてしまう。支援の構造が被災者に届いていないのだ。一口株主を進めた形で同業者組合のファンドを立ち上げる活動も、地元被災者をすり抜けてしまう。

この矛盾を超えていける質をどう活性化させることが出来るか、そんなことを湘南の企業団体や生協を説得できるか腐心していた。

復興ファンドの件は河北新報が4月22日付で記事を出している。

●「岩手・宮城沿岸連携 被災6社、復興ファンド」(要河北新報会員登録)

結局想像力が自分の殻から出ていないのだ。しかし私の提案がだからといって正当化できるわけでもない。実際に実行に携わる方たちの実践の有効性に晒さなければ、机上の空論にもなれぬ落書きに終わってしまう。この提案は基本構造を出すことにむしろ留めている。自分なりのアレンジが可能な形に利用可能という意味なのだが。反面、モデルが立たないと取り組みが生まれない。

私がよっぽど難しい顔をしていたのだろう。事務員さんが皮膚科の医師が到着していると、恐る恐る話しかけてきた。すっかり自分の世界に入り込んでいたことに慌てて、事務員さんに詫びた。「お忙しいんですね」と声かけられても、偏屈の虫が「忙しいなら、ここにいないよ」と声を出すが、脳裏に留めて礼を返して認知症フロアに上った。

若い医師だった。挨拶したが父は権威(?)に媚びるところがある。女性は根底に蔑視がある。若い医師が、これから治療に当たる「医者」だとわかると、急に静かになった。「くそ爺ぃ」と、普段生徒から私に投げかけられている言葉が頭に浮かぶのだから、しょうもない。結局看護師と医師のふたりで、治療は父の拒絶に合わずに始まり、再び私は玄関ロビーに戻されてしまった。

あっさり治療が済んで、医師が下りてきた。医師は巻き爪対策にボンドを塗って爪が巻いてこないようにしたとの説明をし、私は礼を言って、何のためにここにいるのだろうとロビーに取り残されていた。実存の問いだといえば古いなといわれそうだと茶化しつつ、ともあれ切換え、これから巡回先に向かうことになった。

伊勢原に戻り、厚木からお馴染みの相模線で橋本に向かった。橋本3君だ。彼の定時癖は一層洗練されてきた。橋本駅の連絡通路をランニングして時間調整するのをやめて、お気に入りの時間の表示付きの携帯電話をいろいろな音に切り替えて相原高校側で鳴らしている。時々奇声がはいるので、誰も近寄らない。

私は定時まで現れてはいけないのだった。パン屋で時間調整。定時に改札口で合流した。今回は案外楽に席が取れたのは雨のせいだろう。この日、彼のテンションは高く、長時間は無理だった。定時に終わらないと不満が出るので、本題の履修内容を事前確認し、それが終わればおしまいと通告してあったので、時間の束縛からは逃れることが出来た。

彼を路線バスに乗せて別れた。相模線が発車ぎりぎりだった。橋本3君ではないが、いう事のきかない骨折後の残る膝を屈伸させて、早足で改札を飛び込んだ。世の中は甘くない。乗り遅れて次の電車になったのだが、始発駅の強み、早めに来た電車の3人分の席をがらんとした車内で確保し、情けないが右目を閉じてペットレスキュー関連の書籍に目を通していた。香取章子さんの「犬と猫のための災害サバイバル―いざというとき役立つ」だ。古い本ちょっと懐かしい。

家に戻ると母は夕食を何も食べていなかった。この時間に食べると夜中にダンピングを起こすからいらないと拒絶する。祖母の介護のとき、私は人間が生きていく上でどのくらいの食事量が必要であるかを体験していたので、いまここで母に食を摂らせることが得策ではないと判断。キヨミオレンジを切って出すに留めた。実はこれ、糖度が高い。手持ちのベストだと思っていた。翌日の昼に煮込みラーメンを準備して、繊維質補間を考えていた。

しかし雨が邪魔。折角連休明けだと言うのに土砂降りでは話にならない。夜間傾聴を従来どおり待機させつつも、暇になってしまった現状ではともあれ、被災地ペットの里親探しの協力者確保用段どり資料を作っておかなくてはと思っていた。地元企業へのサービス発注システムは、とりあえず一段落付いたからだった。

ペット、特に今回は犬はデリケートな社会性の強い生き物だ。片面で時間的制約、被災地では一時も早く犬をあずからなくてはならない状況があり、その一方では犬を家族として受け入れる方を探すというペットレスキューの中でも、人力がいる場面の協力を実現するには、愛犬家または飼育のプロの関係者がネットワークの一部を利用させてくれなければ、闇夜の鉄砲状態になってしまう。一方協力者が得られた時点で、大枠の段取りが出来ていなければ、里親との出会いは時期を逸してしまうという問題があった。

被災地の家族と里親候補との対話は、物理的な距離に阻まれている。ここを突破するにはskypeのようなTV会議の場を持つ必要があるだろう。次に犬と里親が相性を確かめ合うお見合いの場を作らなければならないだろう。この後者、犬を湘南まで運ぶには費用だけではなく、見通しがなければ犬を動かすのが無駄になる。かといって被災地まで里親候補が出向くのはハードルが高いのだった。

ここはTV会議と愛犬のプロフィールをしっかり共有していかなくてはならず、その場をどうするのかという問題もあった。私は湘工大にお願いできないかと接点を考えている。里親たちが足を運びやすい会場を設定する必要があった。もうひとつは出来たらスポンサーをつけたいということ。新聞社とか、会場提供という形で市行政とか。協力者探しと時間勝負のような大枠の設定が問題だった。個人の発案だけでは相手にされない。そこに道をどう敷くのかということだった。

以前私はいくつかの企画を立てるとき、旧会議室のような関係者ネットに提案して協力者の芽を得てきた。しかし、今回は2系統の活動が走っている。ツイッターを使うのは効果的なのはわかっているが、頻繁な対話に付き合えるような生活時間を過ごしていない。忙しいのではなく柔軟性というか即応の余裕がないのだ。どうしたものかなと思う。

夜中に調べていたことは、被災ペットたちの預かり状況とその数、話が違うが避難所・仮設住宅利用者数の推移の予測資料を探していた。一度どこかで北浦さんの活動紹介をセットしないとことが動かないかなとも思う。

治験の薬は動悸が副作用。メモつけながら、目への影響は無いか気になっている。

夜間傾聴:橋本3君(仮名・母親と)


(校正1回目済み)

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