湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

すみません、未整理ですが、この間のメモです

2009-11-29 15:12:42 | 引きこもり
ここ1週間、特に父の介護の件で、小刻みに時間が取られ疲れていた。キー音がするたびに、昼夜を問わず、母を呼ぶ声で私を呼ぶ。これには辟易としている。母の掌蹠膿疱症(しょうせきのうほうしょう)は、急性期に入っている関係で、ゴム手袋をして炊事しても、指先の皮膚が切れてしまう。母の分も炊事洗濯が割り込んでくるので、まだ数日は交代できない。部屋に戻るが、マウスを持ったまま眠ってしまう状態が続いていた。しかし、私の周辺では活動の大事な動きが続いていた。

順番はばらばらになるが、ここ数日に出会った人たちの話から書いていく。まとまりがなくて申し訳ない。

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私の巡回先は、ある予備校と私塾に、進学を目指して再挑戦を試みる人たちを回る。私と出会う方は若い方の場合は母親が、青年の後半に入った方では、私たちを個人的に知る支援者の同伴や、進学費用に限界を感じつつ迷いながら門をくぐった本人が入学時の面談を通して回ってくる。いずれも授業に馴染まず、こころに不安や困難を抱えている方が、私のもとに、ぽつりぽつりと回ってくる。

私は******君(仮名)からバイト先で知り合ったという友達の紹介を直接うけた。「金がないから進学できない」と「言葉の上で」嫌がる彼を説得して、親御さんに連絡を取らせてもらった。実はこの方は、まだ申請未登録なので、接触について本校から注意を受けていたが、報告を入れても、やるなとか違反だとか言ってこないので、この注意は「慎重に”やれ”」という警告と解釈。続投決定。親御さんと二日間、勧誘ではなく、久々の長い傾聴電話をしていた。家庭は困窮している状態ではなく、彼自身、親への依存が嫌なのだということが分かった。彼も私を遮断するということでもないので、彼には改めて勧誘という立場に立った。久々だった。いつもは請負い仕事だからだ。

しかし、アスペという診断を受けていた******君が、彼の世話を焼いている様子に驚くと同時に、支援者が自分自身を注意しているつもりで、その実、症状のレッテルを貼っていたことも見えてきて、恥かしくなった。******君によれば、彼もアスペなのだそうだ。

今朝,9時過ぎに******君から電話が入った。昨日、彼の同伴で入学手続きを取ったという。授業に出れば彼は、私の手から離れていく。矛盾をちょっと感じるが、引き止めるのも変な話だ。電話を入れてきた******君を、お互いだが変な奴だなと思う。拍手である。

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私と同じ巡回しながら、心理カウンセリングをされてきたKさんとも会うことが出来た。多芸な方でカメラマンの仕事もされていた。お話を伺っていると、私は攻めの話し方から離れられないことを感じるが、彼には懐が深さを感じるのだ。なるほどなあと思いつつも、中でも、その語りの中に情熱を感じさせたのが各地のNPO連携による生鮮食料品ネット作りと、そのシステムへの障碍者雇用の話りだった。

この分野は商業ベースの展開もあるほどに、ニーズがある。しかし人の力と経験がかかり、流通に詳しい人間を加えないと、諸変動や拡張困難の波をかぶることになる。これは若松町のたい焼き屋さんのリーダーもそうだが、そこに専念出来る情熱がいる。

私のように、つなぎ屋というか網屋は異質の活動を仲介するがゆえに、手綱も手放せない。内発的な転換が始まる時代を私は意識している。だからその接触を推進する役割から引くことが出来ず、それゆえにKさんの話には乗り切れなかった。私は泥の田に立ち皿回ししているようなものだからだ。Kさんの活動には協力しようと思う。だが泥の田の発酵と腐敗は紙一重、そういう場に立つ者として、自分が抱える状況から出発しようと思うのだ。彼には親の会を紹介し、無念だが彼との話を終えた。私は泥の田をいまさらに意識していた。可能性の判断ではなく、必要性の中に私の立場がある。

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話は変わる。サポチガ有志がビッグイシューの販売員Tさんたちにアルバイト仕事の声をかけたところ、彼らが法外な高額見積もりを出し、その調整時にTさんたちが感情的な暴言を吐いたということで、問題がおきた。社会的挫折を味わってきたひとたちの活動は、様々なトラウマ的な偏りや古傷があって、きれいごとではすまない。大人の場合、酒がらみが出るし、常識や融通も利かない。酒は坊主の言ではないが「般若湯」である。Tさんは酒が抜けないうちに、サポセンに現れた。ふたりの見積もりの異常値の原因は相場を知らなかったことと、作業時間の想像力がなかったのが原因、一日仕事と単純に判断して出したらしい。弁護したが、これは繰返してはいけない。抑圧された方との連携は、とんでもないところがぼっこり抜ける。冷や汗をかいた。

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販売員TさんとEさんは、一昨日の夜はワードを使った会報作りに挑戦。Tさんは、KJ法を使って原稿の一部を仕上げた文の一節を、実際に打ち込んでみた。冷や汗をかきながらも、キーを捜して、なんとか仕上げた。場面を踏めば焦りが消える。画面確認の弱さも慣れて消えてくる。お疲れ様でした。Eさんのアドバイスもあって次回へとつながった。

Eさんはもともとネットワーカーである。ただワードのような文書作りをしてこなかったから、機能を手探りで覚えている。フォントの扱いや、画像の挿入など、苦戦しつつ完成。

ここが超えられたら、あすなろ会の活動は加速するように思う。2時間半の長丁場、じっくりではあるが、自助組織としての活動は動きつつある。

会員Oさんの紙面構成や、メインタイトルのアドバイスがあって、会報は「(湘南)ホームレス便り」となった。「湘南」をつけるかどうかは意見の差があって次回回し。少しづつ、Oさんと私とで、PCスキルをバックアップしていく。

最新号131号の追加分が担当者のポカミスで、発送が遅れた。土曜日に到着予定と遅れている。ところが手書き伝言板形式でサポセンの場に出向かないと連絡が取れない。Eさんがプリペイド携帯を持っているので、彼から連絡してくるが、いつも食事時なので父との格闘時、応答をするため落着いてからかけてみると、節約のために電源が切れている。メールは公開していないので使えない。こうして、私が足止めを食ってサポセンに行かないでいると、連絡がとれない。いつもサポセンの窓口担当の中の有志の方の厚意に依存しているわけにもいかないからだ。今は有志の方にバックナンバーを出してもらっている。

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これは、一昨日、引き継がないで解決したのだが、携帯ネットワーカーでもある都内の学生さんの身が危ない状態になった。大森海岸君(仮名)が、つながっていた関係で、早期に予兆をキャッチして、私のところに彼から相談が飛んで来た。最終的には、いのちの電話に引き継いだ。

その少年は万引きをしてつかまった。警察沙汰になったことで、退学になると直結して悩んでいた。この世代の子のもろさを感じる。大森海岸君がいなかったらと考えると…、何とも孤独である。私が車に乗っていた10年前なら、他に手がなければ彼のところに夜間、出向いていたかもしれない。しかし今、オンラインという世界では、言葉の世界で綱渡りを支える以外ない。難しい。いつもそれを感じる。今回は土日が挟まったので、私が親御さんと会うことを勧めたが、彼はそれを当然嫌がった。私との話はそこで終了を迎え、彼を何とかいのちの電話に引き継いだのだが、嫌というのを分かっていて、あえてそれを口にした自分に疲れを感じていた。オーバーフローである。

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大阪・西成の「ホームレス問題の授業づくり全国ネット」から「『ホームレス』と出会う子どもたち」(画像参照)というDVDが送られてきた。寄せ場に生きる子どもたちが、自分と家族を見つめるために、大人のように炊き出しおにぎりを抱えて夜回りをしている、その記録である。小中高の授業書という形で映像が提供されている関係から、学校現場でも問題の重さに比較して導入しやすいだろう。ライブラリー版ではないので、個人観賞用だが、あすなろ会の会員の範囲で観る場を12月中に設ける。

しかし訪問を受けた高齢ホームレスの方は、やるせないだろう。このDVDに収録されている場面は、ホームレスの人たちは、過去そして現在も背後に家族や仕事の経歴を背負っている人たちであり、「どうですかぁ」(関西弁)のひと言でつながることの出来る絆を持った人たちであること。それが印象的だ。鶴嶺高の先生もそうだが、その後の扱いはともかく、まず見てほしい作品だ。何らかの企画に仕上げて、皆さんにも見てもらえる機会をつくるつもりでいる。

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26日の木曜日に、就職できないために結果的に引きこもっている地元の方と会った。大型の運転免許などを持っているが、事情があって日曜日に確実に休める条件を付けたら、不況下、全体の仕事の口が少ないところなので、全く仕事がなくなったという。彼は引きこもり経験者なので、現在の年齢でそれが再び始まったら、再就職できなくなるという危機感が強い。

月曜日にハローワーク藤沢に、久々にお邪魔して、出来ることを探してくるつもりだ。月曜は父がデイサービスの日なので、16時半までに家に戻らなければならないので、藤沢に用件をまとめて始末してこようと思っている。

この方は配達業も意欲を持っている方なので、とりあえず若松町のたい焼き屋さんを覘いてもらった。湘南おやじの会のTさんと会ったので、ちょっとご挨拶。しかし、別件、小箱ショップの申し込みをするのか否かと問われて、「わーく放送端末」を置こうかと迷っていたが、置くつもりと応答した。月4千円+電気代である。常時表示のプログラムがうまく稼動していない状況では、宣伝効果が薄い。どうしたものかと思っている。

この方と「たい焼き」を食べた。糖尿病なので半分残したが、おみやげを買うことで許してもらった。取り残された彼の立ち寄る場、過剰に巻き込まれないひとの活気が、こういう停滞中には大事なので、彼に仕事待機中、雑談をしに立ち寄れるようにと仲介したつもりでいる。

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多摩センター君(仮名)が進学を諦めて、縁故就職した。関わっていた私にはちょっと虚しさが残るが、彼の事情もある。橋本組がひとり減って寂しくもあるが、エールを送った。社長が彼と同世代。スナップを見せてくれたから大丈夫だろう。

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新小岩の東京シューレ葛飾中学校で、23日(月)、「フリースクール全国フェスティバル 2009」が開かれていた。私は出かけることが出来なかったが、大森君(仮名)と大森海岸君(仮名)が覘きに行ってきた。小学生世代の方とは、ひとり例外はいるが、しばらく関係が切れていた。例外とは、年数回知り合いの父親のメールに割り込んで、お子さんのメールが追加されてくる。ホームスクーリングをしていたが、中学生になったら母親とイギリスに移住するとのこと。父親は仕事上インドを中心にして行き来しているから、抵抗はないらしい。しかし、大森君たちのみやげ話を聞いていると、社会階層が違っているなと思わせる子の話が多い。私は不登校・引きこもりの方の支援から、発達障碍の学習面の困難や、精神の方の生活と学習支援に関わってきた。手帳を持つ知的の方とは、旧養護学校の筋からのご縁が薄い関係で、直接の支援は卒業後の青年期の軽度の方との関係になっている。しかし、大森君の話から、障碍は社会階層を越えて横断するが、不登校の子の多くに発達障碍の重なる子がかなりいるのだが、その不登校の子には、いわゆるリベラルな家庭環境の方の話が多いことに気付かされる。

私のいた大田区の私塾のときは、逆に社会階層が低かったことを覚えている。親御さんともに教科の学習意欲が低く、障碍と重なると選択肢が狭い。同じ不登校・引きこもりの活動をしていながら、選択肢の様相が違うのは気になるところなのだが、これは大森君や大森海岸君に、そのまま言ってもピンとこないかもしれない。しかし社会活動は、社会の断面を露わにすることを考えれば、だからこそ見えるところなのだと思っている。格差社会とその改革の話は、その様相の多面体をまるごと抱え込まないと、解決力を持たない。その媒介の経路をどう見通していくかが要に思える。フェスティバルに、変化の兆しが見えるかと期待していたが、葛飾中が既存の学校とどう違うのかという話も、大森君たちとの話では空転してしまったのだった。欲求不満が爺ぃには常に残ってしまうのだ。

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28日(土)スペアちがさき主催の「発達障害者 就労支援に必要なもの」に参加してきた。参加者が予想に反して少なかったのだろう。しかし、返って話がよく通って、私にはよかったように思う。しかし初めての参加者の方が少ないのは、なんとしたことか…。

講師の小林浩一さんとは、いろいろなところで、知らずにお目にかかっていた。今回初めて名前と顔が一致。障碍者就労支援関係者がまわるところは重なってしまうほどに狭いのかと思いつつ、裏話だが実は歯科技工士の「今日」さんは「郷」であろうと推測していた。世間は狭い。13日に錦糸町の会合にお邪魔する予定。

例えば裁判官が言葉の通じない孤島に漂着したら、彼は裁判官であるだろうか。社会の中で関係付けられて、その方はその方足りえている。その関係性をそぎ落として個人の特性という形で取り出しても、それは「固定的な指標」になるだろうか。その特性のジグソーパズルとして適所探しを就労支援とするのは、一見正しそうで外来の医師の見立てのように実は粗いものではないだろうか。障碍者の就労支援は「マッチング」であると言われると、「共鳴」でしょと反論したくなる。

これは経営者団体の就労論議のときも、「採用という枠にはまる従業員」という形で、片方が固定されて変わらないことが前提になっている労働自身が、就労活動自身を底の浅いものにしていると思っている。障碍者就労は、賃労働の対価で生活を買うという構造の難しさゆえに、逆に労働そのものの価値が問われるという本源的な面白い位置に活動が立っている。ここを見据えない就労支援は、企業はめ込み技に質が浅くなってしまう。

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子どもネットワークのTさんとお茶を飲んだ。母からのメールで、母の友人親子が来ていることがわかったから粘れたのだ。

久々だったが、私と元市議のOさんが、交互にチラシを入れていたころからの知り合いなのだが、Oさんは引退後、すっかり経営者になっていたとのTさんの話。どうしているかなと思いつつ、Oさんの事業所の平塚のはずれでは、時間的にきついなと考えていた。

保育労働と就労支援は、どこで一緒にやれるのだろう。対象世代が離れているから、逆に距離置いて話すことが出来るのかなとも思うのだが。12月10日に「こんなやさしい歯医者さん」ということで、歯科衛生士の高瀬幸子氏が講演する。18時半から、茅ヶ崎市役所分庁舎6Fホールにて。お邪魔しますので。

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セカンドブックアーチのYさんと会った。障碍者就労支援の件もそうだが、「わーく」の取材が目的だった。しかしエネルギッシュな人だ。彼にチームができたなら、面白いことも十分可能になるだろう。

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父の宗教仲間が昼に現れた。父は緊張するのか、客が来ると排泄が始まる。今回も宗教の話が終わって帰って行ったが、後片付けで父の部屋に入っておどろいた。父が、拭き掃除用のキッチンペーパーのロールを持って、排便しているのだった。キッチンペーパーは繊維が長い。水に溶けないから、下水に流すことが出来ない。だから間違わないように、父の見えないところに袋に入れてしまっておいた。トイレのバケツに投げ込まれたら、処分が大騒ぎになってしまうのだった。

父から聞くと、紙がないから取ってくれと信者さんに頼んだら探してくれたということらしい。トイレットペーパーはベッドの下に落ちていた。父はベッドから不安定な「つかまり歩き」をしてトイレに移ってしゃがんでいるのだ。転倒の危険もある。それを放置するのはやむをえないとしても、彼らは家族に連絡せずに帰って行った上に、親切のつもりだろうが、袋の奥から一番いけないキッチンペーパーのロールを父に渡していたとは…。介護したことのない人の知識の程度は、こんなものなのかと、彼らのスーツ姿にうんざりしている。

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以上
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