湘南オンラインフレネ日誌

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「わーく」準備メモ(07)DAISYは対話ツールに使えないものか

2009-11-06 07:04:48 | 引きこもり
父のショートステイの間に、居室の清掃を済ませたり、父の冬物の衣類を干したり、母と駅前に外食に出たりと、普段と違うピッチで動いているが、急に駆りだされることがないと、こうも気が楽になるものかと驚いてもいる。

巡回を出来るだけ詰めて済ませておきたいと思いつつも、こればかりは相手の都合もあるので思うに任せないもどかしさを感じている。海老名と橋本の1件づつ。先日の後遺症もあって、テンションは、いまいち。

大森海岸君(仮名)と「わーく」の技術面の話をしているが、DAISYの話となると、どうもピンと来ないようなのだ。オンライン上で、従来のAMISのようなブラウザ機能が補償されるのだろうか。携帯ネットの交流にHPを作って交換するようなものなら、仲介編集者の手間はどうなるのだろうかと。

国際標準規格として、様々な困難を超えてお互いに情報を提供していくことによって、結果的に交流を果たすという役割を担わせるならともかく、共通言語のような直接的なかたちで対話を図るといことには向いていないのではないかというのだった。「わーく」が結びつけるのは、将来地域就労ネットワークへと進めていく母体となるような生活のQOLを上げるネットワークであって、引きこもり青年や知的・精神・発達にまたがっていく。ところがDAISYが得意とするのは、さまざまな読み上げ機能なので、ディスレクシアの方を除いて、効果的な意味を持たないのではないかというものだった。

私はむしろ、将来提供されるであろう、携帯動画窓や、DB保存する際の形式の統一がビデオ画像ファイルで行われるより、先々提供される標準ソフトによって、文字部分の二次加工しやすいということや、書籍化していくときに有利だろうという、周辺の都合が優先されている。アメリカの全出版物は、紙メディアと併行してDAISY版を保存することになってきているし、日本の点字図書館の標準形式がビデオではなくDAISYで提供されることになっているので、より多機能なHPのような扱いが出来るだろう。つまり仲介編集者がいる限り、提供される情報は生な画像メールの統合というより、インフォメーションを織り込んだ、丁度紙メディアの新聞と投稿欄のような様式に整えられてくる。即時的な意見交換というより、ちと重い。されど文章中心ではなく画像中心の配信となる。ならばDB化の価値も生まれてくるだろうし、それは操作慣れした方用ではあるが、どうかと、大森海岸君に問いかけた。

大森海岸君の応答は明快だった。

「重いと読まないよ」

というひと言で、流れが決まった。確かにそうである。DAISYはもともとマルチメディア電子図書を目指して来たのであって、対話ツールではない。しかし「わーく」で言えば、インフォメーションと画像交流は分ける方針なので、一体化して論じてはいけなかったのだった。企画等のインフォメーションの提供の方ではDAISYの可能性がある。それは画像交流とは分けるべきということになった。

DAISYはiPhone/iPod に対応するソフトがまもなく(株)サイパックから出る。数年先を考えれば、全く荒唐無稽ということではなくなるだろう。しかしソフトを買わないと使えないという事なら、ビデオファイルを蓄積した方がいいのではないか。操作が単純明快をよしとする方向でいけるのではという話となってきた。DAISYは投稿を整理し電子図書化して提供するという場面で使い、現在はむしろ、フォトフレーム利用に力点を置くべきというところで話が終わった。

しかし、DAISYは先々、地域起業の仕事になるだろう。だから慣れておいてもらうに越した事はないのだが。

(つづく)


<参考>
●「DAISYとは」
コメント
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